秘密の約束

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 王国首都にほど近い霧と石壁の街ロンダーライツ。ここじゃ誰しも親の稼業を継ぐのが常識になっている。  パン屋の子はパン屋に、靴屋の子は靴屋に、衛兵の子は衛兵に。もちろん例外もあるし認められないわけじゃないがそんなやつは至って少数派。  かく言う俺も賞金稼ぎの仕事を継いで五年、業界じゃすっかり中堅どころだ。  まあ、賞金稼ぎなんて言っても騎士や衛兵が追いきれずに手を焼いて賞金を掛けられた犯罪者を追い回す、大して期待もされていない仕事だ。素性の知れない流れ者や問題があって稼業を継げなかったはみ出し者が最後に選ぶ仕事のひとつ。ならず者の吹き溜まりだから街の評判も功績より悪評のほうがずっと多い。  そういう意味では爺さんの代からこの街でやってるウチは業界じゃ名家と呼べなくもない。なんとも有り難くないことにお陰で親父はギルドのボスと来たもんだ。  堅苦しい街。  澱んだ空気。  卑しい仕事。  なにひとつ好きになれやしない。いっそ全部放り出して旅にでも出たいもんだが……俺には、この街で成すべきことがある。  徹夜で犯罪者どものケツを追い回してどうにか取り押さえた俺は、その疲労でクタクタになりながら夜明けと共に帰宅する。  小さな一軒家の扉を開くとそこは直接台所を兼ねた食堂へ繋がっているが、俺の留守中に勝手に上がり込んだやつがなんの臆面もなくカップを片手に待っていた。 「やあやあ夜明けまで捕り物ご苦労様。さぞやお疲れだろう、今お茶を淹れてあげよう」  地味だが整った身なりの女。美しく一本に編み上げられた長い赤みを帯びた金髪、なにとも知れぬ黒い金属縁の眼鏡は当人曰く相当な高級品であるらしい。  品のある控えめな風貌でありながら娼婦のように赤いくちびるで嘲るように微笑む。 「お前なあ、知人の家だとしても不法侵入は犯罪だぞ。現行犯なら微罪でも賞金稼ぎには報奨金が出るんだぜ?」 「それは寡聞にして存じなかったな。ひとつ勉強になったよ」 「言ってろ」  俺が疲れた顔で首を横に振るも彼女はお構いなしだ。もっともこのやり取りは幾度となく繰り返して来た儀式めいた社交辞令に過ぎない。 「それに公私の区別は付けるのが(きみ)の流儀だろう。今は仕事中なのかい?」 「生憎と今日は店じまいさ。思いっきり濃いやつを頼む」  俺が向かいに座るのと入れ替わりに彼女は立ち上がり冷めた湯を温め始める。 「いつも言ってるけど、むやみに濃くしたって目が覚めるわけでもないし不味くなるだけだよ。私に任せておきたまえ」 「へいへい」  徹夜仕事で帰ってきた俺を出迎えてお茶を淹れてくれる彼女の後姿。かつて俺が夢見た光景がここにはあった。  早くに両親を亡くした彼女は、どこかの養子になるでも誰かに嫁ぐでもなく稼業の雑貨屋を継ぐことを選んだ。  ひとつの家がふたつの稼業を持つことも稀にあるが大抵上手く行かないので、この街で女が稼業を継ぐというのはあまり良い目では見られなかった。  それが雑貨屋と賞金稼ぎなんてなれば尚更だろう。上手く行くはずがない。  それでも俺は聡明で朗らかな、そのくせ誰よりも気丈な彼女に強く惹かれた。 『結婚しよう。いや、してくれないか』  ある日俺は彼女にそう告げた。今まで特に言葉にしては居なかったけれども、俺は彼女を恋人だと思っていたし周りもそういう態度で接していた。だから彼女もきっと同じ気持ちに違いないと信じていた。  一瞬嬉しそうな表情をした彼女はすぐに泣きそうに眉を寄せ、それから無理矢理笑顔を作って俺の言葉に答える。 『(きみ)が私を愛してくれているのはよく承知しているし、私も同じ気持ちだよ』 『じゃあっ』 『でもすまない、(きみ)とは結婚出来ない』  食い気味な俺を制するように発せられた彼女の言葉は拒絶だった。 『どうして……雑貨屋と賞金稼ぎは兼業出来ないって考えてるのか?』 『いやいやそんなことはないよ。ああ……でも、そうだな……やはり賞金稼ぎとは結婚出来ない』  。その言葉が俺に重く圧し掛かる。 『そうだよな、収入も不安定で危険も多い。毎年誰か彼か死ぬ……身元のはっきりしてないやつが多くて賞金稼ぎ自身が犯罪者として捕まることも珍しくない』  そんな仕事を稼業にする男と信頼厚い街の雑貨屋の女店主が結婚なんて……とそこまで言いかけたところで彼女が『ま、まて。そうじゃない』と首を横に振った。  そうして俺は彼女の秘密を知ることになり、結果としてひとつの約束を取り交わしたのだ。 「どうした、せっかく私がお茶を淹れたというのにもうおねむかい?」  その声に我に返って視線を上げる。物思いに耽っているうちに目の前に湯気の香り立つカップが置かれ、横に立つ彼女がニマニマと俺の顔を覗き込んでいた。 「いや、ちょっと考え事をな」  誤魔化しながらカップを傾けると、ほっと落ち着くいつもの香り。同じ茶葉を使っているのに俺と彼女では味も香りも全然違う。 「どうだい?」  微笑む彼女に「美味いよ」と微笑み返す。こんなとき、いつまでもこの日々が続けばいいのにと、今すぐかつての約束を反故にしたい気持ちでいっぱいになる。  俺が振られたあの日した秘密の約束は、それを達したときにこの日々を損なってしまうものだからだ。  では改めて紹介しよう。  ロンダーライツ賞金首一覧の第三位、五十年前からその名を連ねる怪盗ガーベラの後継者。彼女は、こともあろうに三代続く犯罪者なのだ。  ただ雑貨屋も隠れ蓑の片手間というわけではなく、先代怪盗ガーベラの旦那、つまり彼女の父親の稼業であったらしい。彼女が怪盗ガーベラを継いですぐに母が亡くなり、有耶無耶のうちに父も亡くした彼女はなし崩しにその両方を継いでしまった。 『私は、いつか(きみ)に自分の妻を逮捕させてしまうかもしれない。されなければそれはそれで(きみ)の仕事に支障がある。結婚なんて出来るわけがないだろう? まあ秘密を告白してしまった以上、私は結婚もなにもまずこの場から逃げる算段をしなくてはならないわけだが』  そう言いながらも逃げる素振りを見せない彼女は、俺が秘密を黙っていると信頼していたのだろうか? もちろん賞金稼ぎとはいえ俺は法を守る側だ。私情もあるから彼女には自首しろとまでは言えずとも犯罪行為は即刻止めて欲しい。出来るなら過去の罪でいつか捕らえられることが無いようにこの街を離れて欲しい。  けれども。  なにより俺は、彼女の誠意に対して恥ずかしくないだけの答えを返さねばならない。彼女が自分は犯罪者だから賞金稼ぎとは結婚出来ないと言うのであれば……。 『いつか俺がお前を捕まえる。そうしたら、結婚しよう』 『捕まえるって……』 『犯行現場か不法侵入、その逃走中に限り俺は怪盗ガーベラを本気で追う。自宅には乗り込まないがお前も自宅に直接逃げ込むのは止めてくれ』 『いやいやそんな鬼ごっこじゃないんだから』  眉を八の字に寄せて笑う彼女に俺も笑顔で答える。 『鬼ごっこさ。俺と結婚するのがそんなに嫌ならさっさと足を洗うんだな。そうすりゃ捕まることもない』  彼女は暫く呆気に取られた顔で黙っていた。あの理知的で派手なくちびるがあんぐりと開かれたままになっているほどだから、俺の返事はかなり衝撃的だったのだろう。 『なるほど、いやしかしそれは……んん? いやいや』  混乱する彼女に詰め寄って強引に抱きしめる。 『いいな? 何年ブチ込まれようが、一生娑婆に出られなかろうが構わない。俺が捕まえたらそのときは俺と結婚して貰うぞ』 『(きみ)は……滅茶苦茶だな、まったく』 『賞金稼ぎに犯罪者告白するやつほどじゃねえよ』 『ふふ、それもそうだ』  諦めたようにまた笑って身体を俺に委ねた彼女と初めて重ね合うくちびるは、花の香りがしたのを今でも覚えている。 「おい、なんだいまた宙空を見つめてニヤニヤと気持ちの悪い」  彼女の声で再び我に返る。どうやらまた思い出に耽っていたようだ。眠いとどうも良くないな。  少し機嫌を損ねた様子の彼女の腰を抱き寄せて「なんでもない」と呟く。 「おっと……(きみ)はもう寝るだけかもしれないが、私は日が昇りきったら雑貨屋の仕事があるんだぞ」  そう言った彼女は、けれども俺を振り払うではなく頭を抱いて耳元で囁く。 「だから、今からでも私は一向に構わないけれども、なんだ。服と髪を汚さないように気を付けておくれよ?」 「わかってる、わかってるさ」  俺は彼女を抱え上げて寝室のドアを蹴り開けた。 「口紅は?」 「それはどうせ塗り直すから構わないよ」 「了解だ」  俺たちはずっとままごとのように、こんな戯れを繰り返している。  それはきっと、あの日の約束が果たされるその日まで。
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