過剰、不足、過剰、過剰

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過剰、不足、過剰、過剰

立方体の部屋。壁は全て硝子で出来ている。天井を仰ぐと、取っ手付きの扉が見えた。胡座をかいていた私は立ち上がる。ぴんと手を伸ばしてみたが、あと四十九センチ届かない。どうかしましたか。透明の向こう側で、私を当てる先生。何でもありません。手を下ろし、床に寝そべる。ひんやりとしていて気持ちがいい。部屋の隅に小籠包が転がっていたので、拾い食いをした。一口でいこうとしたのが間違いだった。焼け爛れた舌。汁ごと唾を吐き出すと真っ黒だった。私は今、何を食べたんだろう。怖くなった。案の定、泣き方は忘れていた。 東側の壁。子宮型のネオンライトが飾られている。光を浴びながら、濃密な口づけを交わす年の差がある男女。なるほど。硝子に吐息を吐く。白く濁ったので、「愛」という漢字を書こうとした。学がない私は、間違えて「受」と書いてしまった。男の方がこちらを見て、「ウケる」と笑った。 西側の壁。草原にじょうろで水をやる女が一人。瞬きの刹那、緑が消える。梅、アネモネ、チューリップ、椿、馬酔木、クレマチス、彼岸花、 薔薇。突如降り出した雨。雨曝しに打たれる女と花々。二度目の目瞑り。菫、ヒヤシンス、スイートピー、藤、ラベンダー、白根葵。ずぶ濡れの女が、花を踏みつけて歩いていた。暇を持て余した私は、漢字練習帳を開いた。鉛筆を握り、聴き慣れた言葉を書く。平仮名で繰り返し書く。さ行ばかりだった。 北側の壁に、あどけなさが残る少女が居た。オムライスを食べている。ケチャップはハートを模していた。こら。湯気ごとスプーンに乗せた少女に叱咤を飛ばす、西側の女。女はチキンライスと卵をふぅふぅと冷ました。東側の男も現われる。少女の頭部を柔く撫でている。 南側の壁に、友の姿が見えた。駆け出す私。壁に張り付いて、友に呼びかける。友は振り返り、私を見た。手を振れば、手を振り替えしてくれる。出ておいで。友の唇が象る。私は部屋の中心に立ち、何度かジャンプを繰り返す。足に巻き付いた見えない重りのせいで、上手く飛べない。私はまず、髪を毟った。そのあとで、奥歯を抜いた。耳を切り落とした。皮膚を全て脱ぎ捨てた。処女膜は破れていた。おかげで身体は軽い。今なら届く。ドアノブを掴んだ私は、宙ぶらりんになる。押し戸だった。開くわけが無かった。最初から。ずっ と。突如襲われた腹痛。床が紅く染まった。鳴き声が響く。泣きたいのはこちらだ。気絶に近い一眠りを挟む。目覚めると、赤子が床を這っていた。こちらへおいでと両手を広げる。はぁっはぁっ。赤子が進もうとした瞬間、赤子が落ちた。床が抜けていた。いや、よく見ると、床は引き戸になっていて、誰かの意図で開けられていたのだ。下の部屋を覗く。赤子が泣いている。あれは一体、誰の子だろう。お情けで私は、部屋に転がっていた小籠包を一つ落とした。漢字練習帳と鉛筆一本も落とした。ドアを閉める。下の部屋では赤子が泣き続ける。耳を塞いだ。すると泣き止んだ。なるほどな。私は南側の壁を見る。友が私を指差していた。隣には警服を着た男と、白衣姿の女。面白くなって、私は笑った。手の小指球に擦れた鉛を舐める。甘かった。亜鉛不足なのだろうか。サプリメントをくださいと独り言ちった。無視された。
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