第八章

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 ラムの話のついでに宇川のことを話すとモモも芹沢も驚いた様子を見せた後に一気に盛り上がり始めた。 「ハカセ! アンタそれ先に言いなさいよ!」 「そのうち言おうと思ってたんだ」 「おチビとの復縁と並ぶくらいのビックニュースじゃない! っていうかラッシュハウンドの新譜が秋に出るの? 買わなきゃ!」  芹沢はラッシュハウンドのリリース情報も同時に知らされて半ばパニックのような状態になっている。 「とりあえずシャンパン入れましょ! アタシの奢り!」 「ウーヴでいい?」 「いいわよ! 今日は貸切なんだからガッツリ飲まなきゃ損よ!」 「旬はあまり飲み過ぎないでね」  シャンパングラスに注がれた黄金色からプツプツと気泡が立ち上っては弾ける。アルコールを含んだ華やかな香りが鼻腔をくすぐった。 「じゃあ今度はハカセの独立に、かんぱーい!」  カチンとグラス同士が合わさった。口に含んだシャンパンは甘味と酸味のバランスが見事だった。いつの間にかモモがフルーツを出してくれた。シャンパンにピッタリの組み合わせに、酒も進んでいく。 「本当によかったわぁ、よかったぁ……」  酔っ払ったモモが遂に泣き出してしまった。それを見て笑う三人。この楽しい夜がずっと続けばいい。そう思ってしまった。  シャンパンのボトルが開いた頃に会はお開きとなった。  モモが涙を流しながら何かを喋っているが、呂律が回っておらず何を喋っているか分からない。同じく酔っ払った芹沢に肩を借りながら、帰ろうとする旬と宇川を見送ってくれた。 「気をつけてかえるのよ」 「セリちゃんもね。っていうかモモちゃん任せて平気?」 「俺、片付けくらいならやるよ」 「いいのよ。アンタ達の貴重な休みを無駄にしたくないしね。酔っ払いの介抱くらいアタシでも出来るわ」 「芹沢さん、介抱されるプロだもんな」 「言ってくれるわね、おチビ」  芹沢も今ではメッセージをやりとりするくらいの仲になった。最初の出会いこそは良い印象ではないが、宇川との恋もバンド活動も応援してくれる数少ない味方だ。これからも大事にしていきたい。 「とにかく早く行きなさい。天気予報だと深夜から雨が降るって言ってたから」  言われるがままに外に出る。見上げると厚い雲が夜空を覆っていた。そろそろ梅雨時期だ。しばらく雨に悩まされる日が続くだろう。でも、不思議と憂鬱じゃないのはきっと宇川が隣にいるから。 「紫陽花が咲いてきているね。どんな色になるんだろう」  道端に目をやると紫陽花の蕾が少しずつ綻んでいた。これからは忙しさに心を失くしそうになった時は、宇川がこうしてささやかな幸福を旬に届けてくれるだろう。 「……ん?」  ポツリと、旬の額に雫が当たった。雨だ。天気予報よりも少し早く降り出した雨は、あっという間に強さを増して、二人をずぶ濡れにさせる。 「雨だ」 「走ろうか」  傘を買うかどうか悩んだが、宇川が走ろうと言うので言われるままに走った。初夏の雨の中を走っていると、去年の今頃を思い出す。 「去年の今頃、ラムを拾ったんだよな」  最悪な気分で迎えた雨の日の夜に旬はラムと出会い、そしてラムを通じて運命の人と出会った。ラムが繋いでくれた縁を、大事にしていきたい。二人と一匹でこれからも幸せに生きていく。 「ということは俺達も出会って一年か」 「色々あったけど、あっという間だった」 「……この一年はどんな年になるかな」 「きっと最高の年になるんじゃね?」  すると宇川はこちらを振り向いて笑った。雨に濡れた笑顔を見て、旬は幸せの輪郭に心の中で触れた気がした。  たとえどんな困難があっても、宇川が遠くに行ってしまっても、旬は宇川の隣を諦めない。きっと何度でも、恋をする。  玄関に飛び込むとラムがずぶ濡れの二人を出迎えた。衣服が濡れて身体は冷えたが、不思議と心は温かい。 「ただいま」 「ニャア」  二人と一匹。今日も明日もこの部屋で、仲睦まじく生きていこう。  帰る場所さえあれば、どんな嵐のような日々もきっと笑顔で乗り越えていける。
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