扉は開けるもの

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* 十三時から十八時までの五時間程度の調査で集まった証拠は集合体恐怖症の人間も慄く程。 その原因とも言えるのはあのターゲットの男。 驚くべきはあの後ホテルから出て来たターゲットがもう一人の女性と会った事だ。流石にホテルには行かなかったものの、普通の恋人同士のように人目も憚らずいちゃいちゃと腕を組み、時折浮気相手と堂々とキスを挟む倫理観もクソも無い光景に段々と苛立ってきた帆高のカメラのシャッターを切る指の動きは尋常では無く早いものへとなっていた。 ブレる事無い、しっかりと顔も確認出来るようなそれは中々の出来だと自画自賛まで。 そのお陰かどうかは分からないが、事務所へと戻った律と共に今日の報告書とカメラを渡せば、それらを確認しつつデジカメの写真の量にしばし固まったコウが顔を引き攣らせた気がしたがすぐに『お疲れさまー』と笑顔を見せた。 その笑顔にほっと安堵の息を吐いた帆高の肩が一気に重くなり、息と同時に知らず知らずの内に入っていた力も一気に抜けたようだ。 首を回せばゴキっと鳴る音。 ダルさが残る。 「どうだった?」 「そうですね…なんつーか…」 人を尾行するだけで意外と疲れる、と言うのが本音だ。 勿論口に出す事は無いが、バレないように、だとか、不自然にならないように、だとか、上手く証拠を撮らねばと言うプレッシャーから疲労が蓄積しているように感じる。 曖昧に笑みを浮かべ、言い淀む帆高に何かを察したのか、それともただ本能で動いているだけなのか。 恐らく後者と思われるが、その人の好さそうな笑みのまま帆高の肩にぽんと手を乗せたコウはもう一度、 「頑張ったなぁ、本当お疲れ様」 と労いの言葉を掛けた。 無邪気とも言えるその笑顔。 ぱちぱちっと瞬きする帆高は、自分よりも少し低い位置にあるその笑みに、ゆっくりと口角が上がるのを自覚し、そっと目を伏せた。 「これから、宜しくお願いします、」 「こちらこそー!」 何とも新しい扉を開いた様な、そんな感覚に一瞬むず痒い気持ちになったのは気のせいと言う事にしておこう。 『じゃ、飯でも行く?コウさん、特別に奢っちゃうけどっ!!』 肩を抱かれ、時計を見つつそんなお誘いを受けた帆高達だが、間髪入れず、 『帰ります、お疲れっした』 と、エレベーターに向かう律はついでに帆高の腕を引っ張るのを忘れない。 素っ気ない律の態度に、あからさまにしょぼんと肩を落とす男へ、扉が閉まる前に『失礼しますっ』と声を掛けたが聞こえているだろうか。 「あの人、バイト減ってから、ここ一週間くらい休んでなくてさ」 ビルの玄関を出るなり、そうぼそりと吐いた律を帆高が見上げる。 「そ、そうなんですか」 「事務所で寝てるみたいだし、今日はもう依頼も無いから家に帰って寝るだろうよ」 「あー…」 つまりは飯なんて奢ってないでとっとと帰って寝ろ、と。 コウに対する素っ気ない態度は律流の思いやりと言う事らしい。 納得しつつ、帆高の中で何となく出来上がっていく律の人物像。 (この人って信頼してる人には、とことん優しい人なのかもなぁ) そう考える帆高は、並んで歩く律の体温を感じつつ、徐に口を開いた。 「もしかして、ですけど、俺をバイトに誘ってくれたのってコウさんの為でもあります?」 「……」 「あ、それが悪いって訳じゃないっすよ、俺だってバイトは探してたし、相互利益と言うか、お互い様って言うか」 ちらりとこちらを見下ろす律の視線に慌ててそう付け足す帆高だが、決して嘘ではない。 別に非難しているつもりも、文句を言っているつもりも無いのだ。 ただ、大貫と言い、コウと言い、彼等に対する態度は第三者目線で見ても半分は優しさしか感じない、そう有名な頭痛薬のように。 残りは信頼、好意とでも言うべきか。 勝手な憶測だが、人間不信だからこそ、自分が大事にしている人には惜しみない誠意をあたえているのかもしれない。 そう考えると、 (やっぱめっちゃ良い人じゃーん…) 外見だけでなく、中身も美しいとか最高が過ぎる。 「て言うか、あの人が俺をバイトに誘ってくれて、人と接するの面倒になってた時だけど、完全な引き篭もりになるのを防いでくれたみたいな恩を勝手に感じてるだけで、でも別に帆高を利用した訳じゃないから」 「タイミングが良かったって感じっすね」 「…そんなとこ」 溜め息混じりに頭を掻く律にドキドキしてしまうのは、何だか色んな面の彼を見れるからだ。 こんなに美人だと言うのに男臭い仕草が妙に色気を含み、帆高の口元がひくひくと動いてしまう。 「で、実際のとこ、バイトどうだ?」 「出来るかはよく分かんないっすけど、頑張ります」 自信は無いが、意気込みだけは伝えたい。 コウの為、と律の為。 そして自分もお給料が入り、これこそ矢張りウィンウィンと言うもの。 苦笑いしながらも、そうきっぱりと告げれば、少し眼を丸くした律がふわりと弧を描くように唇を持ち上げた。 「そっか」 その笑顔に見惚れる。 暗くなった通りの街明かりよりも眩いそれに、呆けた帆高の中で湧き上がるのは幸福感にも似た、満足感。 おぉ…っと息を飲み、また騒ぎ出す心臓に息も切れそうになる帆高は浅い呼吸を繰り返し、酸欠になりそうになりながら家路に着く事となった。
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