落ちるのは穴か沼か

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「虫とかは?得意?」 「苦手では無いです、結構素手でイケますよ」 しゅっ、ぱっと腕を前から後ろに引き、手を開いて握る帆高をどんな動き…?と小さく呟き何とも言えない表情で見遣る律だが、 「それなら良かった。たまに虫の駆除とか頼まれるから」 すぐに眼を細めるとくすくすと肩を揺らした。 「虫、ですか。例の黒光りした逞し奴、とか?」 「それもあるけど、たまに蜂もあるからさ」 「蜂かぁ…」 家に入って来た蜂を駆除した事はあるが、もしかしたら巣の駆除もあるのかもしれない。 「マジで色々と依頼があるんですね」 「そうだな。未知な体験もあったし、クソみたいなのもあるし」 「クソは…やだな…」 一体どんな依頼なのか。 逆にそのクソっぷりが気になってしまうではないが、あまりにぶっ飛んでいるものであれば捌き切れる自信なんてない。 今日から一か月、少しでも律から学ばなければ。 もうすぐ夏もやって来る。 段々と夜が短くなるのだ。 ゆっくりとオレンジと黒のグラデーションが濃くなるのを肌で感じつつ、推しとの時間は大事にしようと帆高は改めて決意を固めた。 * 二日目はモノ探し。 家の中で車の鍵を無くしたと半泣きの男からの依頼だった。 三日目は老夫婦の家の掃除、ついでに電球を交換すると言うもの。 初めての事尽くしに悪戦苦闘しながらも、律からの指示に素直に従い、何とかこなす一週間を送った。 そして、本日は有難き命の休息日。 「意外と頑張ってるよな、お前って」 「あ?あー…まぁな」 講義も終え、生徒からも人気のあるカフェテラスにて、疲れた身体に甘いモノとパンケーキを食していた大海はじっと目の前の幼馴染を見詰める。 「……何だよ」 「だってさぁ、帆高って何でも屋みたいな地域密着型のバイトするとは思わなかったからさぁ」 ――――流石は幼馴染。 伊達に幼少期より過ごし、互いにいつ何がどうなったかと把握している訳では無い。 「実際どうなんだよ、バイトって」 「思ったよりは、悪く無いな、って感じだな」 「大貫さんが心配しててさぁ、あの、ほら、イケメンの、吉木さん?あの人が無理矢理させてんじゃねーのか、って」 切り分けたパンケーキをぱくりと口内へと放り、頬を膨らましながら咀嚼する大海の眉がひっそりと寄る。 一応心配してくれているらしい。 容易に分かるその態度に、思わず笑いそうになってしまうが首を振る帆高は缶コーヒーを飲みながらふるりと首を振った。 「いや、大丈夫だって。律さんも全然良い人で教育係だし」 その上推しなんで。 (そう、推しが一緒なんだよなぁ) すっかり律を推し認定している帆高のバイトを続けようと思っていた原動力はこれだ。 美人が隣に居る、それだけで楽しい労働時間。 にやぁ…っと口角が無意識に上がってしまうのも仕方が無い。 尤も律には見られぬ様、もっと言えば依頼人にもバレぬ様注意はしている。これで二タニタと気持ちの悪い男だなんてクレームでも入れられてしまったら目も当てられない。 「つか、お前の方はどうなの?」 「え、あ、俺?」 これ以上律の事を考えると口元が痙攣を始めてしまうかもしれない。さっさと話題を変えようと帆高はちらりと大海の方に視線を遣った。 「俺は―…うーん、あんま進展無いなぁ」 大海から溜め息と洩れる哀愁。 すんっと肩を落とし、皿に残っていたパンケーキをフォークで刺しつつ、唇を尖らせる。 「たまにカフェには行くけどさぁ、そうじゃなくて、前にみたいにプライベートでも会いたいなぁって思うんだけど…あの人休みの日って筋トレでジム行ったり、走り込みしてたりとかで」 「あー…」 あの身体を作り上げる為にそれは欠かせない事なのだろう。 「こっちから遊びましょう、って誘いたいけど、邪魔になったら嫌だなって思って何も言えねーの」 こう見えても気遣いはそれなりに出来る男である。 それ以上に恋しているのだから、相手に嫌われたら嫌だなと言う感情も先立っているのか、最初のようなガッツが見受けられない。 「…今日行ってみるか?」 だから、と言う訳では無いが何か突破口を見つけてやりたいと思うのは幼馴染心ともの。 それに、 (もしかしたら、だけど…) 「え、大貫さんのところ?」 「そう。他愛無い雑談から、こう、もしかしたら一緒に遊びましょう、に繋がるかもしれねーだろ?」 「嘘…お前協力してくれんの…?すげー優しいじゃんかー」 えー惚れちゃうぅっと眼を輝かせ手を重ねてくる大海の手を払いのける帆高だが、予想以上の歓喜振りに少々痛んだのは心臓部分だ。 (…………いや、) 「やっぱ持つべきものは幼馴染兼友達―っ!!」 残っていたパンケーキを一気に掻き込み、両頬にぱんぱんにするハムスターもどきの嬉しそうな笑みに、ぎこちない笑顔を返す帆高はテーブルの下で誰にも分らぬ様、ぎゅうっと拳を握った。 ―――――あわよくば、またプライベート律を見れたりしたらなー… (なんて、な…) 自分の下心も悟られぬ様。 悪いがお前の下心を利用させて貰う、と思っているかどうかは定かでは無いが、帆高の視線はすすっと横に移動するのだった。 『推し』の事は、少しでも知りたいものだから――。
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