その衝撃は皿が割れるよりも

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ふわりと揺れる藤色の髪。 すっきりとした二重の少し垂れた眼が前髪から覗き、耳にはごついピアス。 一瞬目が合った、と思った男はすっとカフェへと入って行った。 時間にして、本当に一瞬。 看板の後ろから立ち上がった、その隙。 だが、分かった事は大きい。 今迄見た誰よりも綺麗な男だった。 身長も高い、すらりとした肢体の足の長さも驚愕した。 「えー………」 呆けた様に出た声はあまりに間の抜けた声。 ぽかんと口を開けた侭、立ち尽くす帆高に大海が訝し気に見上げる。 「…どったの?」 「い、居た…」 「え?は?」 ―――――――最高に綺麗な男が居た。 その衝撃は凄まじく、先日母親の大切にしていたウエッジだがブリッジだか、ウッドの皿を三枚同時に割ってしまった時よりも心臓に響いたと言うか。 ドンっと、胸元に電気を流されたかのような、それ。 「お前見てなかったのかよ、」 「えー、俺大貫さん見てたわ。ちょうどカフェテラスに出てたから」 「本当、空気読めない、いや、タイミング悪い。未曽有の大事故だよ、お前」 「人格否定より酷くね?」 「いやー…すっげー…人間じゃないかと思ったわー」 まだ現実味が無い気がする帆高がぺしぺしと自分の頬を叩いてみるも、目の前には幼馴染の阿保面がある。 「そんなにイケメンだったのかよ」 「おう」 本当ならばあの男が入って行ったカフェに自分も入店し、出来る事ならば死角からガン見したいところ。だが、先程まで大海を半分鼻で笑ってたのもあり、一歩が踏み出せない。 「けど、男の人も普通には入れるカフェって事は分かったよな」 「そう、だな」 「じゃ、土曜日、でいっか」 「え、一緒に行ってくれんのっ!やったっ!!」 「奢りだろ」 「覚えてんのかよ」 ちっと舌打ちする大海の横で未だドキドキと早い心臓を押さえながら、帆高は少しだけ口角を上げた。 * 公文帆高は普通の男子高校生である。 平均よりも少しだけ高い身長に、見た目が華やかでもなければ、目立つ何かがある訳でも無い。口元にある黒子がセクシーを無駄にしていると謎の名言を貰った事がある程度。 故にモテた事も皆無ならば、承認欲求もそれほど無く、むしろひっそりと目立たないように過ごすのが好ましい。 それ故か、学校生活においても一軍と呼ばれる陽キャ達と絡む事もなければ近寄る事も無い。 可愛い女の子だとしても、それは変わる事の無いスタイルだ。 これが前提。 そんな帆高だが、家に戻ってもぼーっと今日見た男を思い出すと、ほわりと頬が染まる。 決して風呂に入っているから、と言う訳では無く。 (いやー…何だろ、あれ。目の保養ってやつ?見てるだけで癒されるパンダ的存在?) 眼を瞑りもう一度思い出してみても、あの少しヤル気の無さそうなタレ眼と藤色の髪、すらりとした身体。 何かが全てマッチしたような、クリーンヒットしたような。 説明し難いそんな感情に首を捻る帆高の脳内に、別々に購入した箱と中身がぴたりと合うと言うシンデレラフィットと呼ばれるものが映像化される。 兎に角もう一度彼に会えばこの感情が何なのか分かるかもしれない。 会えるかどうかなんて決まってはいないものの、あの店に行けばもしかしたら会えると言う確率はあるのだ。 「大海の気持ちが分かるとは…」 尤もこれは恋愛感情では無いと言える。 流石に帆高も同性を好きになった事等一度も無ければ、好かれた事だってない。 だったら、余計にこの気持ちをはっきりさせたいと思うのは当たり前。 本当に感情が急カーブいっぱいにハンドルを切って、そのままガードレールに訳も分からずぶつかったようだ。 風呂から上がれば、リビングでは母親がゲンドウポーズでテレビを凝視している。 どうやら最近ハマったらしいアイドルのDVDを余す事無く見ているらしい。 何故何度も見るのか、飽きないのかと聞いた所、 『この子達九人グループなのよっ。まずは全体を観て、次に一人一人見ていくんだから最低でも十回は観なきゃ!!』 とファンクラブで購入したペンライトをあり得ない速さで目の前で振られた。 ちなみにだが、 『でもねー、一人一人見てる筈なんだけど、いつの間にか推しに眼が行っちゃうのよね~。本当に悩ましいわぁ』 そう言った理由もあり、結局は十回では済まないらしい。 きっと今日も推しに眼を奪われているのだろう。 ぴくりとも動かない立派且つ広い背中からは何か違うオーラが見える。このアイドルを教えてくれた従姉妹はそれはそれはおもしろそうに笑ってた。 『推しの存在っていいわよ。大袈裟かもだけど生きる糧になるんだから』 ふふっと眼を細めてそんな事を言っていたが、今の母を見ているとそうかもしれない。生き生きとパートを始め、ライブの争奪戦にも参戦している。 『推しが笑顔だとこっちも幸せよね』 なんて、父にも数年見せていないであろう女の顔をしているのだから大したものだ。 そんな母をこっそりと眺めて、自室へと戻った帆高は余韻を感じながら眠りたいところではあるが、一応受験生。 机に向かうなり、ほうっと息を吐きながら鞄から教科書を探し出した。
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