白いテープの行方

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* 推し活となるものを始めて帆高の母は毎日が楽しそうに見える。 それまでは至って普通の主婦だった筈だ。 パートをしつつ、夫と子供の為に家事をこなし、時折ママ友と呼ばれる子供を介していないとお近づきにならないであろう奥様方とお付き合いしている事もあったが、それが日々の気分転換になるのかと聞かれたら答えはノーであったようで、逆に新たなストレスを抱えて帰る事もあった。 そんな彼女がふとした切っ掛けで推しとなる運命の人間と出会った時、世界が変わったと言うのだから不思議なものだ。 一喜一憂が気になる。 写真が上がればビジュ良ぉぉぉぉ!!!っと悶える。 何の供給も無ければ心は砂漠化する。 そんな時に行き成りドンっと情報が落とされれば、乾燥していたスポンジに水が与えられたようなもので、それが過多となれば色んな汁でもうびしょびしょの母を何度見た事だろうか。 恋愛感情でも家族愛でも無い、推しへの熱量。 でもそれは確かに愛で、激重感情な上に情緒まで不安定にさせられるものだ。 「は?付き合いたいって思うか?思う訳が無いでしょうが。自分の息子と同じくらいの年齢の男なんて無理無理」 「へ、へぇ」 夕食の片づけをしながら足を腰より高くあげている母親は呆れたような眼を息子に向ける。 「じゃ、自分が二十年くらい若かったら?」 「えー、そうねぇ…だったら考えない訳じゃないけどぉ」 頬を赤らめてモジっとする母に対する息子の心情は結構キツイ。 「まぁ、でも推しはあくまでも推しだからねぇ。まぁ、あざとぶりっ子、匂わせ上等な女なんかに捕まったら、冷めそうよね」 「え、冷めんの?嫉妬とかじゃなくて?」 「嫉妬しないのが推しよねー。まぁ、勿論嫉妬しちゃう子もいるんだろうけど」 「ふぅん…」 「結局はゴールテープが見えないけど、今が楽しけりゃそれでいいのよ、私は」 ――――なるほど、よく分からん。 自室に戻り、ごろりとベッドに寝ころびスマホを開ければ幾つかのメッセージの中に律の名前を見つけ、どきりと跳ね起きると同時にそこをタップ。 【バイト終わった。帰る】 帆高は本日バイトは休み。 【帰ります】とメッセージを送っていた為か、律もこうして返信してくれたのだろう。 【明日は寝坊するなよ】 ついでに入ってきたメッセージに【了解です、律さんも】と送ると深く息を吐いた。 明日はキャンプだ。 目的としては幼馴染の恋の後押し的なものだが、違う意味で緊張してしまう理由がそこにある。 (律さんと同じ時間を過ごす、とか) 夜お泊まりするだけとは違う。 もっと長い時間のプライベートな律を見れるのだ。ドキドキと期待する気持ちとやらかさないようにしなければと言う不安が入り乱れ、まるで始めて一緒にバイトをした時のようだ。 (アイツも緊張してんのかね) 大海の能天気な笑顔が浮かび、嬉々として明日の準備の見直しをしている姿が想像される。 実を言えば色々なサークルから声を掛けられていた幼馴染。ついでに帆高も誘われたりもしたのだが、今の大海には大貫しか興味が無い為かカフェに行く為にこっそりとバイトをしているのも健気なものだ。 当の大貫がそんな大海をどう思っているかは定かでは無いものの、露骨に嫌悪感を出すのも想像が付かない上に律も協力してくれるのならば有難い事この上ない。 (でも、) 二人だけの時間を出来るだけ持ちたい、と言うのは可笑しな感情だったりするのだろうか。 分からない事だらけだ。 *   四人中三人が初心者。 キャンプと言えば、と問われ、 『一人でするのが陰キャ。男女混合でバーベキューやってるのが陽キャ』 『ナイフ片手に、自給自足、みたいなっ』 『…ラーメン食ってるイメージ、ですかね』 律、大海、帆高の返答を聞いて若干大貫の頬が引き攣っていたのは記憶に新しい。 それらを考慮してくれての事だろう。 車を走らせる事、二時間。 着いた先から一時間ほど慣れない野山を歩き、ひーひーと猫背になる大海を励ましつつ、着いた先は不自然に開けた場所。 「簡易的にキャンプが出来るんだよ、ここ。初心者向きってやつだな」 明らかに気を遣われている。 本当ならばもっと本格的な山籠りくらいの勢いで挑みたかった筈の大貫だが、初心者が三人、しかもにわかとも言えない知識レベルにここまで難易度を下げてくれたのが容易に分かる。 露骨に戸惑う大海と共に帆高も申し訳ないと肩を下げるも、 「いいんだって。まずは経験っ!少しずつ慣らして、また来たい、やってみたいって思ってくれれば良いんだから」 いつものように白い歯を見せ、ばんばんっと背中を叩いてくれる大貫は矢張り底抜けに人が良い。 そんな大貫に惚れ直したのか、ぽうっと見詰める大海と帆高もふっと眼を細めた。 (こう言う人って、モテるんだろうな) しかも筋肉好きだったら余計に。 こりゃ大変だ、とすっかり元気を取り戻した幼馴染が大貫と共に荷物を解くのを横目で見遣り心配するも、 「帆高」 「あ、はい」 「トイレとかはあっても、諸々は自分達でしなきゃだからさ。取り敢えず俺等は薪集めよ」 おいでおいでと手招きする律に、まんまとほいほいされる帆高はある意味心配されるくらいにチョロい。 結局テントは大貫達に任せ、山の中へと入った帆高はぐるりと周りを見渡した。
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