白いテープの行方

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緑と土の濃い匂い。 視覚からも木々が立ち並び、うっそう重なり合っているが、そこから木漏れでる光は明るいものでじめじめとした湿気は少ない。 キャンプ場として開拓されたお陰なのか、足場も然程悪くも無く、正直蝉の鳴き声がかなり煩いが、これくらいならば時間を掛ける事なく作業が進みそうだ。 そんな事を考えつつ、律の背後を付いて歩いていた帆高だが、その背中がふっと止まると、くるりとこちらへと振り返った。 緩くひとつに結った髪がさらりと揺れる。 豊満な自然な香りとは違う、いつもの香りが鼻を擽るのを感じ、こんな場所でも律の匂いを感じ取ってしまう自分に少々気持ち悪さを感じながら、帆高も足を止めた。 自然の中にある造形美。 きっと目の前に絶景と呼ばれる景色が広がっていたとしても、きっと帆高だけは律を凝視してしまう気がする。 それくらいにどストライクな顔とスタイルは推しと呼ぶにふさわしい。 すっきりとした涼しい印象ながらも少し垂れ眼なのが可愛らしい、と最近は思えて来た。 「帆高」 あぁ、この耳触りの良い、透る声も良い。 蝉の声や鳥のさえずりの中であっても、律の声はきっと聞き取れる自信がある。 無意識にほう、っと洩れる息が荒く無ければいいが、なんて、 「さっき、大貫に見惚れてた?」 「―――――、え、」 考えも、一気に吹き消えた。 途端に煩く聞こえる蝉の鳴き声。 がんがんと頭に響くくらいに煩わしいそれ。 「何て?」 思わず、出た声は自分でも驚くくらいに低く、且間の抜けた声。しかもタメ口と来たもんだ、と言うもの。 「…だから、さっき、」 「さ、っき?」 さっき? さっきとは? さっき、さっきと考えこめば、さっきと言うのは一体何だと言うゲシュタルト崩壊まで。 (え、何、どういう事?) ばっちんばっちんと瞬きして見せれば、律が眉を潜めながら、その色味も天才的な唇を少しだけ尖らせた。 は? 何、その顔。 止まる思考に固まる身体。 びしっと律だけに向けられた視線から入ってくる情報が本能だけに語り掛けてくる。 これは拗ね顔だ、と―――。 (か、) 可愛い――――…!! なんて破壊力だ。 ドンっと激しい力で胸の真ん中を打ち付けられたような衝撃に息が止まりそうになる。 いや、一瞬止まった。止まった筈だ。 そうでないとフルマラソンした訳でも無いのにこんなに動悸、息切れが激しい訳が無い。 切実に酸素が欲しい。 来客者の二酸化炭素より、木々や草花から放たれる酸素の方が多い山の中心で叫びたい衝動は何なんだ。 今まで猫のきゅるるんお目々を見ても、頬っぺたぷくぷくハムスターを見ても、評判の美少女配信者を観てもこんなに心揺さぶられた事も無い。 表情ひとつで人様の情緒を乱すなんて、恐ろしい事この上ないがそんな恐怖とは裏腹に、帆高の唇が震える。 必死に耐えようと手を口元に当てるも、 「……何、笑ってんの?」 益々深くなる眉間の皺すらも可愛く思えてしまうのだから仕方ない。 「い、いや、」 そろりと視線を逸らすも、己の置かれた状況をようやっと思い出し、はっとしたように律へと顔を向けた帆高は、その顔を思いきりブンブンと振った。 「ち、違うっ、俺、大貫さんに見惚れてたりしてないっすよっ!!」 そうだ、一体何を言い出したのかと思えば。 そんな在りもしない事を事実にされたのではたまったもんでは無い。大体友人の想い人に横恋慕なんてする趣味もなければ、申し訳ないが大貫に恋愛感情を持つ事自体が難しい。 「いい人だなぁ、って思ってただけで、」 大体何を見て見惚れてたなんて言っているのだろう。 顔が良いのを引き換えに、とんでもなく視力が低くなる呪いでも受けたのか、首を傾げる帆高に段々と律の眉間も通常営業へと。 「―――ふぅん」 「ふぅんって何っすか…」 人を疑っておいて。 言わせてもらう訳にもいかないけれど、今は律で手一杯なのが事実。 推しをこれでもかと堪能させてもらう中、他人様にまで目が向かないのだ。と、言うよりは向かう必要性も無いと感じている。 でも、それは明らかに律の所為だ。 帆高の真ん中どストライクな顔にスタイル、ついでにこの不意打ち、掴めない性格できゅんきゅんとさせてくれるのだから、もうどうしようもない。 そう思ったら何だか少しムッとしてしまう帆高はまだ色んな意味で幼い。 こんなに、律しか見ていないのに。 「もしかして、ヤキモチ、じゃないっすよね」 思わず出てしまった憎まれ口。 勿論、冗談だ。 きっと律自身も、いつもみたいにふっと嘲笑うか、小馬鹿にしたように口元を上げるか。 流石に無言で流されたら傷付きそうだが。 ふんっと顔を背けたものの、ちろりと視線だけを律に向ければ、そこには真顔があるだけ。 ぴくりとも表情筋を動かさず、清涼感のある眼だけがしっかりと自分を見詰め、まさかの無言でリアクションを引き当ててしまったのだろうかと帆高が動きを止める。 「り、律、さん…?」 お伺いを立てるように、何とか名を呼ぶ。 調子に乗り過ぎた、と、蝉の声が益々大きくなる中、不安も比例。 こんな真夏に指先から冷たくなるのを感じていると、 「そうだけど?」 さらりと聞こえて来た抑揚の無い声。
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