白いテープの行方

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「会いたい、らしい」 歯切れの悪さも珍しい。 あははっと大口を開けて笑う姿から想像もつかない大貫の口調に帆高は口内に溜まっていた唾液を飲み込む。 「……会って、どうしたいっつー話なわけ?もう今更だけど」 「ちゃんと話したいらしい。色々誤解もあったし、謝罪もしたいんだとよ」 「ふぅん…」 「お前が大学内でも全然人を寄せ付けないから、菜穂ちゃんも全然近寄れないし、連絡先だってブロックしてんだろ?」 「…何が悪いの?」 ―――――つまりは、 (菜穂って人は、律さんの、) 恋人、だった人間なのだろうか。 二人の話を何となくつなぎ合わせ、パズルのように組み立てると出てくる言葉はこれしかない。 あんなに綺麗な人間だ。 所作すらも性格だって、良すぎる。 そんな律に彼女の一人や二人居たのなんて当たり前だろう。遠目で見ているだけの人間なんてそれ以上にもっと居る筈。 (その人が、一体何だ?) 『知りたい事と教えたくない』は違うと思っていた。 けれど、こんな盗み聞きをしてしまう程に気になるのは何故だろうか。パパラッチの感情?それとも出歯亀したい衝動なのか。 それに寝ていた場所に戻ろうと思わない訳ではないが、身体がぴくりとも動かず、それとは反対に聴覚だけに神経が集中するのがよく分かる。 そんな帆高が葛藤する中、聞かれているとも知らない二人の話が続いていく。 「お前、菜穂ちゃんと別れてから誰とも近寄らなくなって俺も一応心配してたんだぞ。で、いきなり公文を傍に置くようになって、ちょっと安心してたけどちょっとお前のは違うんじゃねーの?」 「は?違うって、何が?」 「寂しさを紛らわす為にペット感覚だが弟感覚だかしんねーけど、その前にちゃんと菜穂ちゃんの事何とかした方がいいんじゃねーの」 「だから今更だって」 「つか、お前あんな風に甲斐甲斐しく世話するなんて、菜穂ちゃんにだってした事ねーだろ。何?公文を代わりにしてんの?」 「ちげーわ…」 「でも、お前まだ菜穂ちゃんの事忘れてねーんだろ?」 「…………」 無言は肯定、と聞いた事がある。 身体を強張らせた状態で息を潜めていた為か、少し動いただけで軋む関節が地味に痛い。 もうこれ以上聞くのは辞めておこうと思ったかどうかは定かでは無いが、ようやっと足を動かし、音を立てぬ様に寝ていた場所まで戻った帆高はゆっくりとそこに身体を倒した。 さっきまでの眠気が嘘の様に消えている。代わりにドキドキと煩い心臓に漠然とした不安のような気持ち悪さが身体を支配しているのか、何だか吐き気までもが襲ってきているようだ。 (好きな人、いるんだ) 好きな人と言うより、あの話しぶりではまだ恋人として現在進行形なのでは? (へぇ、まぁ、) そりゃそうかもな。 そう思えば、すとんと腑に落ちる何か。 吐きそうだと思っていたのに腑に落ちるとかウケる、なんて一人でツッコミながら帆高はごろりと寝返りを打つと小さく息を吐き出す。 (寂しさのあまりに恋人ごっこでもしてやろうって思ったんかね、あの人) 帆高が自分に好意を持っている、と思って――。 ネットに毒されていれば勘違い乙くらいは言ってやってもいい案件だ。 「本当、マジでいい迷惑だわ…」 ぼそっと洩れた声は意図していないもの。 でもきっと外には聞こえていない筈だと、眼を閉じた帆高はぐっと背中を丸めた。 さて、どうしたもんか、と呟きながら――。 * 翌日も快晴。 よく眠れたであろう、顔色、肌艶良好の大海は朝から絶好調。 大貫と付き合いでラジオ体操に精を出し、何故か早朝マラソンとやらにまで参加したらしい。 ぜぇはぁっと電話口ではしてはいけない荒い息を吐き、ゴールと共に倒れた幼馴染に水を与える帆高の心境としては夏休みの課題の為に朝顔に水やりしているに等しい。 正直に言おう―――。 (寝れなかったわー…) お陰で朝の日差しが眼球に染み入り、痛みまである。 あれから必死に瞼を閉じ、寝入ろうとしていた帆高だが、まんじりとも眠りの妖精と出会う事が出来ず見えない焦りと格闘する中、しばらく経った頃テントに戻って来た律に息を呑んだものの、何とか微動だせずにやり過ごす事に成功。 ただいきなり背中をそっと触れられた時には、起きているのがバレたのかとドキリとしたが、何も言われる事もそれ以上何かをされる事も無く、数分後には聞こえて来た律の寝息に帆高も安堵の息を吐いた。 ――そこから五時間程経ったものがこちらです。 出来上がった寝不足の帆高の眼の下には当たり前に隈が我が物顔で鎮座し、目付きも若干ハードボイルド風味に。 それでも普段通りに過ごさねば。 本日のミッションは帰るまでいつも通りの帆高で居る事。遠足だって家に着くまでが遠足なのだ。小学生が出来る事を大学生の自分が出来ない筈がない。 「帆高、手伝って」 「はいっ」 朝食の準備をしてくれていた律に呼ばれ、即座に向かう帆高に迷いは無い。 使い捨ての深皿に出来上がった味噌汁をよそう律からそれを受け取り、帆高はそろりと少しだけ高い位置にある顔を盗み見る。 こちらもいつも通り。 変わった様子も何か悩んだ様子も無く、朝の光に負けない後光を放つ顔面は凶器レベルだ。
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