手持ちのカードは一枚だけ

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手持ちのカードは一枚だけ

そうと決まれば行動は早い。 急がば回れと言う、これまた有り難い先人からのお言葉あるも、ぼやっとしているのも性に合わない。 自然と早歩きになるのがそれを物語り、帆高は事務所に帰還すると、ふんっと気合を入れる様にエレベーターのボタンを押した。 もう律は戻っているかもしれない。 一緒に晩御飯と誘われていたが、その前に話をしよう。 律には幸せになって貰いたい。 推しだとからじゃなく、男としても人間としても好きだからそう思える。 自覚した今だから、笑顔で居て貰いたい。自分がどう役に立ったかは定かでは無いが、これから応援だけでもしていきたい、出来たら友人関係も築けたら。 「お疲れ様ですっ!!」 気合が声にまで出てしまったのか、勢いよく事務所へと足を踏み入れた帆高の挨拶が室内に響くと、 「おっ、お帰りっ!!公文くんっ!!!」 「う、おわっ!!!」 勢い良く飛んできたのは社長のコウだ。 人が顔面目掛けて飛んできてビビらない訳が無い。 しかしコウはそれどころではないのか、年齢を感じさせない華麗な寸止めスライディングを決めるなり、固まった帆高のその背中をぐいぐいと推す。 「お疲れ様っ!!!さぁ、こっち、こっちで休みなさいっ!!!」 「は、え?」 一体何だ? よくよく見ればコウの顔色が宜しくない上に、若干冷や汗のようなものが確認出来た。 そしてパーテーションに区切られた応接間として使われるそこへと半ば押し込む様に案内すると、背後からこそりと掛かる声。 「ごめんっ、ちょっと相手しててっ」 「へ?」 追加の仕事だろうか。何の相手だ、全く意味が分からない。 訝しげに首を傾げる帆高だが、目の前のソファに座っている人間に気付くと、はっと眼を見開いた。 「…律、さん?」 「おかえり、帆高」 長い脚を組み、不遜な態度でソファへと凭れ掛かっているのは紛れもない目的の相手。 矢張り先に帰ってきていたのかと、ほっと安堵の息を吐くも、何やら様子がおかしい。 あまり宜しくないような顔色から始まり、じっとりと眉間に皺を寄せ、身体中から隠す気も無いらしい不機嫌オーラ。じっとりと細めた眼は剣呑な色を帯びているように見える。 まぁ、美人の不機嫌顔なんて余計に美形度が上がるのは不思議だな、なんて余計な邪心が生まれてしまうが、いや、そんな事を思っている場合では無い。 「お、お疲れ様、です…」 へらりと曖昧に笑みを見せつつ、ちらりと背後を覗き見ればコウが両手で拳を握り、グータッチするように動かしている。 どうやら頑張れと応援しているつもりらしい。 (何なわけ…?) もう一度律へと向き直るとじっとビー玉のような眼が帆高を捉える。 「何か、ありました?」 これは腹を据えて律の相手をするしかないようだ。 初日勤務のキャバ嬢の如く、いそいそと律の隣に座り、コーヒーでも淹れましょうか、なんて声を掛けるが、ちらっと一瞥されるとその鋭さに身を竦ませた。 「取り敢えずそっちもお疲れ様」 「は、い、」 ごくっと喉を上下させてしまったのは生理現象に近い。 「疲れた」 「あ?あ、あぁ、仕事疲れたんすね。あれでも、結婚式のサクラでしたよね?もしかして何かやらされたんすか?」 サクラだけでなく、もしかして余興でもさせられたとか。 「りっちゃんね、」 「うわっ!」 ぬっとパーテーションの向こう側から現れたコウがカップを持って律と帆高の前に置く。どうやら帆高が用意するよりも前にコウが淹れてくれたらしく、香ばしい香りが広がる。 意外と気が効く社長からの行為に頭を下げるも、 「花嫁に迫られたんだと」 「…へ?……えっ!!!!?」 コーヒーに気を取られていた所為で反応が遅れてしまったが、カップを覗き込んでいた帆高の顔が勢いよく持ち上がった。 次いでその勢いのまま律へと顔だけをぐりんっと向ければ、ちっと聞こえてくる舌打ち。 「何か結婚式が終わって次は披露宴ってとこで、いきなり花嫁と新郎が揉め始めたらしくて。んで、一体何があったんだって覗きに行ったら、りっちゃんと眼が合った花嫁がラグビー部のエース並みにタックルして飛びついてきたんだとさ」 『やだー、運命見つけちゃったぁ…!!』 ついさっき神の前で花婿と将来を誓い合ったと言うのに、舌の根も乾かないうちに、純白のウエディングドレスでそう言いながら他の男に突進。 斬新なホラーでしかない。 「しかも揉めてたって言う理由が、その前にも他の男に突進してったらしくて。父親が羽交い締めにしてその時は事なきを得たらしんだけどさ。りっちゃんは結構しつこく言い寄られたらしくて」 いや、ただ花嫁の前世が猪だったのだろう。 「んで、結局披露宴もただのお食事会みたいになったらしくて。巻き込まれたりっちゃんは疲労困憊って感じな訳よ」 「あー…」 申し訳ないが妙に納得してしまった。 どうやら恋多き女花嫁だったのか、それともただの面食いなのか。 何はともあれ、コウにとってそんな不機嫌モードの律が恐怖だったのか、ほいほいと戻って来た帆高をこれ幸いにとあてがったようだ。 「じゃ、ちょっと報告書確認してくるからっ!!」 そう言うとさっさと退散し、二人だけの空間へと。 「えー…いや、マジでお疲れ様でした」 「くそ程疲れた」 でしょうね。 同情に似た視線を送れば、不意に握られた右手は律の手の中に。 「癒して」 しかも、お強請りときたもんだ。
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