手持ちのカードは一枚だけ

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――――ずっきゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅん!!!!! 至近距離で、しかも真正面から攻撃はクリティカルヒット。 眼鏡でも掛けていたらぱーんっと軽快に弾けていた事だろう。 何故に真顔でそんな事をさらりと言えるのかと疑問も出てくる。ごりっと抉られたHPに鼻血を噴き出しそうになってしまうも、そこまで人間を辞める訳にはいかない。最低限度の尊厳は持っていたい。 爪で掌を突きささんばかりに拳を握りながら、すぅぅぅぅっと息を吸った帆高は吐き出す間に考える。 癒す。 癒すとは? 驚き過ぎて一瞬家康?誰?征夷大将軍?徳川の?と思ったくらいだ。 貧相な頭ではアニマルの面白動画しか出てこない。 マイナスイオンを自然放出出来る程の能力もある訳無く、ただ律に握られた手が熱く、そこだけに意識が集中してしまう。 その為か分からないが、真っ白になりそうだった脳内に響く声。 『はぁあああああ!!!!ちょっとぉぉ、見て!!ハグ、ハグしてるっ!!メンバー同士でハグしてるわぁぁぁ!!癒されるっ!!尊い!!尊くて倒れそう…!!!これだけで一週間は酸素だけで生きていけるっ!!!』 ―――――は、 「ハグ、します、か」 出て来た癒しの具現がこれだ。 己で発した言葉だが、もうちょっと他に無かったのだろうかとすぐに後悔するも両手まで広げてしまったばっち来い状態では今更過ぎる。 目の前にマグロでも置かれてしまえば、某寿司屋の社長だ。 くりっと律の眼が動くのを見遣り、帆高の脇汗が尋常ではない。 (何か、下心が下じゃ収まり切れないくらいに溢れ出た変態みてーじゃね…) 本当に今更だけれど。 けれど、 「する」 意外と早い返答に、リアクションをする暇も無く、ぎゅうっと帆高に腕を回した。 まるで母野に抱き付く子供みたいに甘える仕草。 自分の胸に凭れ掛かる律に帆高は真顔で見詰める。 (ゆ、有料コンテンツだ…) キスまでしといてハグくらいで今更何をと第三者からは笑われてしまうかもしれないが、こういう純粋な行為だからこそ得られるレア感も興奮だってある。 しかも、ここは律の部屋とかでは無く、バイト先の事務所となれば余計に煽られるそれに賢者モードへと移行。 冷静を保ちつつ、下へと視線を動かせばさらりとした藤色の髪と長い睫毛がはっきりと見える。 いつもよりも解像度が高く見えるのは、今まで見上げていたのが見下ろすと言う形になっているからだろうか。 (頭、なんて、撫でるのも、あり、とか、) どぎまぎと震えそうになる指を眼下にある髪へと伸ばせば、思った通りの軽く細い髪がそこに絡み、ぶわりと頬へと熱を集中させた。そして、すりっと律の頬が胸に押し付けられると無意味に拳を天へと突きあげたくなる衝動。 (ああああああ―――…) やっぱり、好きだわ、この人。 つんっと鼻の奥が痛む。 泣きたくなるような衝動に息も浅くなってしまう。決して興奮からではない。 「…帆高の心臓すげーね」 「………日々必死に生きてるんで」 そう、他人事ではない。 これは自分の事だ。 気持ちに向き合うのが怖すぎて、余所見して、今になって必死に追いつこうとしてしまった為。 (本当…早めにけじめつけねーとだよなぁ…) これ以上は駄目だ。 ただの沼ならいい。でもこの男は底なし沼だ。 わざわざ自分から命綱無しに飛び込むなんて、そんな命知らずな事しなくて良いのだ。 好きな人が居るならば、その相手と笑顔で寄り添う二人を沈みながら見る趣味だってない。 せめて草葉の陰から。 ふぅっと息を吐き、開いていた左手でぽんぽんっと律の背中を叩き、伏せられた眼をじっと凝視する帆高だが、その眼がばちっと勢いよく開いた。 「…何、この匂い」 「へ?」 むくっと音も無く起き上がった律の顔が帆高の右側の首筋に当てられ、次いで肩、腕、そしてまた胸元へと。 「何この甘い匂い。香水?女物?」 「え?いや、俺香水とかは、」 一体何の事だと首を傾げそうになった帆高だが、口を『あ』の形に開いた。 「今日の依頼者の、えっと女性だったんですよ。デート相手として、腕組んでたんで」 彼女の香りは女性らしい甘い匂いだった。 その残り香だろう。 一緒に居た時間が長かったのか、そんなのが自分の服に引っ付いている事も気付かなかった。 照れ臭そうに頭を掻きながら、そう説明をしたものの、すっと立ち上がった律に眼を見開いた。 そして、スタスタと歩いていく先はパーテーションの向こう側。 (へ、な、何?) 律の言動がゼロか百過ぎて理解が追い付かない。こちらも慌ててソファを降りた帆高はパーテーション越しにコウの元でピタリと止まった律を見詰める。 「社長」 「あ?どした?確認ならもう終わるけど、」 どんと目の前に立たれた美人のデカい男に気後れされる訳でも無く、のほほんとしたいつもの表情で見上げたコウだが、次の瞬間ぎゅうっとその身体が縮んだ。 「帆高にデート代行とか辞めて欲しいって言いましたよね」 「え」 「あー…」 帆高とコウ、同時に出た声だが反応は全くの反対。 呆気に取られた様な帆高に対し、分が悪そうに唇を尖らせる三十過ぎの男、そしてそれを冷ややかに見詰める美形の青年と言う何とも不思議なトライアングル構造を作り上げる。 「だって仕方なくねー?お相手は普通の子が良いって言うし、イケメン不可ってやつ?」 改めて聞くと、綾鷹でも複雑になるであろう選ばれた理由。
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