手持ちのカードは一枚だけ

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「それに依頼が入ったのは二週間前。りっちゃんがそんな訳分からん事言って来たのは一週間前。どう見たってお客様の方が先なんだよ。仕方ないでしょーが」 「…でも、」 「つーか、これは一応バイトとは言え仕事だよ。大体公文くん本人は文句言わずに快く引き受けてくれたんだからさぁ」 納得いかない風に眉を潜める律がぎろりと背後を見遣る。 ひぃ…っと出てきそうになる声を両手で押さえ、身体を縮める帆高だがその頭の中に出てくる疑問。 (つか、怒ってる…?) それに何故、デート代行はしてはならないのか。 それをコウにまで根回ししている事実に正直驚きしかない。 そんなに世に出してはいけない顔面だと思われているのだろうか。 「あと、そのりっちゃんの過保護って何?ここを紹介したのがりっちゃんで心配になるのは分かるけど、紹介したからこそ、こういう仕事があるって言うのは理解してたでしょうが」 「まぁ、そうっすけど…」 「かわいい子には旅させなきゃダメだぞぉ」 「うざ」 語尾にハートマークが付いたコウの台詞を一言で一蹴。酷いっ!!と涙目になるコウへワザとらしく大袈裟な溜め息を見せると律はくるりと踵を返し、 「帰ります」 とだけ告げた。 「はいはい、二人とも報告書確認したからいいよぉ、お疲れ様ー」 少しぶすくれたように頬を膨らませる三十路の男に頭を下げると、バッグを肩に掛けた律が帆高へと目配せする。 「あ、あの、じゃ、俺もお疲れ様です」 「はいはい、またねー」 エレベーターの扉によって遮られる手を振るコウの姿。 未だ怒気を感じる律と二人きりになった事に、若干の緊張が走るが走って逃げかえる訳にもいかない。 「えっと、飯、どうします?」 本当ならば食事の前に律へと気持ちを伝えようと思っていた。だが、この状態で話を切り出すタイミングも掴めなければ、先程固めた決意等とっくに気体となって消え失せている。 ならば、ここは素直に食事をした方が賢明だろう。 左隣に立つ律に視線を送り様子を伺うと、何やら考え込む様に前を見据える律はぽつりと口を開いた。 「あのさ、」 「はい」 「実はちょっと話があったんだけどさ」 わぁ、奇遇。 と、笑顔で受け入れる筈も無く、 ―――話。 一応恋人同士、その間に交わされる話と言えば、プロポーズか、別れ話しか思いつかない貧相な脳を持つ帆高はごくりと喉を動かす。 「何の、話ですか?」 無意識にその意図を聞き出そうとしてしまった自分にも驚きだ。 しかもドキドキと心臓が激しく動き出し、圧迫されたかのように呼吸がし辛い。 平静を装ってはいるものの、油断すると指先や足が震えそうになるのをぐっと堪える。 一体何が自分の身体に起きているんだと不安になる帆高だが、答えは簡単だ。 別れよう、の言葉が怖いだけ、と言う何ともシンプルなもの。 自分から伝えようと思っていたのにも関わらず、だ。 (ここまで、好きになってたってのが驚きだわ…) 何が傷は浅いうちだ。 もう既にざっくりと、イってくれている。ホイミじゃ駄目だ、べホマの呪文くらいでないと回復も出来ないかもしれない。 ぎゅうっと肩から下げていたバッグのベルトを掴み、唇を真一文字に結ぶ帆高はついでに腹筋にも力を入れる。 精神的攻撃に物理的な防御は何も役に立たないのは分かっているが、気持ちの問題だ。 「俺のワガママみたいなもんなんだけど、」 そんな帆高の覚悟を知ってか知らずか、恐らく後者。 長い睫毛を伏せ、少し言い淀む素振りを見せる律が帆高の服の裾を掴んだ。 「その前にさ、」 「え、」 「今日の仕事はどうだった?楽しかった?」 右ストレートを繰り出す前に、まずはジャブからとでも? 本題の話を待ち受けていた帆高は、一瞬きょとんとした顔を見せるも、すぐにあぁ…っと引き攣った笑みを見せた。 「楽しいとは違いますけど、えっと、それなりに失敗も無くって感じで、」 「ふぅん」 「まぁ…初めての事だったんでマニュアル通りでしたけど…」 緊張をほぐす為に腕を組むだとか、こちらから提案してリードするだとか、実を言えば全ては事前に読み込んだコウの特製マニュアルに倣っての事。 「感想終わり?」 「え、あー…あとは、そうっすね…」 一体何を求められているのか、未だ見当が付かないものの、律儀に頭を捻る帆高は、あっと思い出す。 「俺、デートの練習相手としての依頼だったんですけど、やっぱ、デートって好きな人とするのがいいね、って」 「……それって、誰?」 「ーーーーは、」 しまった、なんて顔をした訳では無い。 だが、治まっていた動悸が先ほどよりも激しさを増す。 こめかみから流れた汗が頬を伝い、ぽとりと地面へと落ち、まだ熱の残るアスファルトへと。 「帆高の好きな人、誰?」 真っ直ぐに射抜く律の眼がいつもはガラス玉の様に無機質に見えるのだが、この眼は違う。 色味が強い、そこに感じる何か。 ぞくりと背中を這う悪寒に促されるように、自然と背筋を伸ばした帆高は律の顔を凝視したまま、ゆっくりと唇を開いた。 「り、律、さん、」 何故なら今恋人同士と言う関係性。 これで他人の名を出すと言う選択は最初から無いにも等しい。 流石にそこまで馬鹿では無い、振りをする必要も無い。 どぎまぎと強張った身体が若干の痛みを感じる。 「………そう」 ふっと視線を逸らした律の態度にも。
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