手持ちのカードは一枚だけ

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お疲れ様、と労いの言葉がじわりと胸の辺りに沈む。 そわっと脇腹辺りがくすぐったくなる、そんな感覚に帆高の口元がむずむずと動き出すも、 「何食う?リクエストある?」 「あ、いや、う、うーん…」 早速買い物かごを手に取り店内に入っていく律の後ろ姿を追う。 「サラダは?シーザー?和風?中華?」 「あ、じゃあサラダ作ります、春雨の中華サラダとか」 「へぇ。何がいる?」 「きゅうり、と、大根、あと鶏ガラスープの素っすね。ドレッシングは普通のポン酢のやつで」 「いいよ」 無造作にカゴの中へと商品を詰め込む律がふふっと笑う姿は未だ見惚れてしまう。 「コロッケのタネが冷凍であるし、今日はそれでいいよな」 「え、」 コロッケなんて冷凍か総菜のイメージしかない。帆高の母親だってあまり揚げ物は好まないのもあり、手作りなんて見た事も無く、手慣れた様子で材料を選んでいく律にキラキラとした眼を向けた。 一人暮らしにバイトで培ったスキル。 しっかりと役立てている律に尊敬しかない。 「律さん、やっぱ凄いっすね」 「好き?」 「はいっ俺、コロッケ好きですっ」 「―――…あ、そっちなわけね…」 そっちとは? 間の抜けた顔でポカンと顔を上げた帆高に苦笑いを見せ、再び買い出しを再開した律に相変わらず周りからの視線が集中している。 特に主婦の方々のちらちらと芸能人を見ている様な、眼福と言わんばかりに目を見開いて記憶でもしているかのような者まで。 もう一度見遣る律の背中。 (――二人で買い物とか、) 同棲カップルとか、新婚さんの夢とでも言うべきか。 周りからは友人同士の買い物に見えるのだろうが、それでも二人だけの共有である『恋人関係』と言う繋がり、好きだと自覚したばかりの帆高がむず痒くなるのも仕方ない。 ―――――短けぇ夢だったな、 どっかのアニメキャラのそんな台詞が脳内を走ると共にデカい図体を丸める大貫の姿も浮かび、出てきそうになる溜め息をそのままごくりと飲み込んだ。 『お前さ、背中を押してやってくんない?』 最初何を言われているのか分からなかった帆高が首を捻るのは当たり前の事だろう。 ジャパニーズ熱湯風呂? 押すな押すなの鉄板のお約束? そんなベタな日本のお家芸とも呼べる光景が脳裏に過るも、どうやら少々意味は異なるらしい。 大貫もそんなに説明が上手い方では無い上に、どうやら少し気疲れしているようだと気付いたのは、たどたどしい説明を受けた後だ。 『律、さぁ、その、あいつ前に付き合ってた女が居て、結構マジで好きだったみたいで誰から見てもお似合いな恋人同士だった訳よ』 『けど、ちょっと仲違いしてから律がかなり拒絶しちゃっててさぁ。元々そんな社交的じゃなかったけど、三割増しになったみたいで』 『その上、絶対にまだ未練持ってるみたいだからさ…その、しんどそうなわけよ、両方とも』 『で、今公文ってアイツと仲いいだろ。正直俺よりも一緒に居る時間ありそうっつーか…、律の方がかなり懐いてるようにも見えるし』 と、まぁ、長い前振りを要約すると、至極簡単な事。 (―――俺が律さんに助言してやれって事なんだよなぁ…) 背中を押してやって欲しいの意がようやくここに繋がったと言う事だ。 大貫から見て、律と帆高の仲がかなり良いモノとして見れているのは正直喜ばしいものだが、まさか恋人関係になっているとは思ってもいない為に出来た相談。 そのうえ、大貫自身も律の元カノであろう女性から、律との場を設けろとかなり催促されているらしく、困った風に眉を潜めていた。 『めちゃ面倒だけど…俺上にねーちゃんが居てさぁ…男は女の子を泣かせるもんじゃないっ!!って言い聞かせられてて…刷り込みみてーなもん?』 しかし、一番の気になる所は、そこでは無いようで。 『律の方もまだあの子を好きなら、やっぱ力になってやりてーなって。本当、律って長続きしない男だったのにあの子とはちょっと違ってたんだよなぁ』 結局は律の事を思っていると言うのが痛い程に分かってしまった。 ちぇっと舌打ちしたくなったのは、やる前に人から言われたからと言うものだ。 宿題をしようと思っていたのに、母親からやれと言われた、その心情。 (俺だって、そう思ってたんだし…) そう、大貫の為ではない。 大貫に言われたから、言うのではない。 あくまでも、好きな人の為、律の事を思っての事だ。 スーパーの袋をぶら下げ、隣を歩く律の足元を見つめる。 何度か行った事のある律のマンションの道はすっかり覚えてしまった。きっと夕飯を御馳走になるのも今日が最後かもしれない。 帆高としては、友人関係になれるのであればそうあって欲しいと願うものの、自分とは違う人との仲睦まじい姿を直視できるのかと聞かれれば、それもどうだろうと思うのが本音でもある。 バイトはどうするべきか。 元々は律の紹介で入ったところ。のうのうと仕事を続ける事は出来るだろうが、彼が迷惑だと感じ取ったならばすぐに辞めるのが得策かもしれない。 意外と考える事はあるようだ。 律と帆高だけの関係だと感じていたが、そう考えれば世界は意外と広い。繋がりはしがらみとはよく言ったもの。
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