手持ちのカードは一枚だけ

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「帆高?」 「え、あ、はいっ、」 「七回目」 「は…?」 「溜め息。スーパー出てから、今まで出てた溜め息、七回目」 「…え、あぁ…」 アスファルトに伸びる長い影と濃い紺色のグラデーションの空。 全体的に薄暗くなった外で、まさか溜め息の数を数えられていたとは赤くなった顔が目立たなければ良いが。 羞恥から思わず俯く帆高だが、また無意識に溜め息が零れ、はっと口元を押さえた。 「何かあった?」 「い、いえ…」 今日がエックスデー。 だが、いざそう決めてしまってもいつこの事を言い出せばいいのやら。 『本当に好きな人と向き合うべきです』 とか? 今この場で言える筈も無い。 だったら食後?けれど、絶対に食事を準備している時も食事中も楽しい時間の筈。 その後に、わざわざ失恋の道へ一歩踏み出す事なんて出来るのだろうか。 そもそもお前が言うなよ、とかセルフツッコミしてしまいそうだ。 「俺、お前の事好きだよ」 「――へ、」 考えに集中していた為か、律の言葉に一瞬遅れて反応してしまった。 隣を見遣れば、ほんの少しではあるが眉間に皺を寄せた律がきゅっと唇も噛みしめている。 どこか、申し訳なさげな、その表情。 「聞こえなかった?」 「い、いえ、…えーっと」 聞こえなかった訳では無い。 ただ言われた言葉の意味が分からないと言うか、その根っこにある意味合いはどういう事だ、とか、何故このタイミングで?だとか、そんな疑問が一気に脳内に押し寄せ軽い混乱を生んでいるだけの事。 お陰で表情管理なんか出来る訳も無く、眼を白黒させ、その後じっとりと逸らし、口元は引き攣っている。 『寂しさを紛らわす為にペット感覚だが弟感覚だかしんねーけど、その前にちゃんと菜穂ちゃんの事何とかした方がいいんじゃねーの』 そして、思い出されるキャンプ時での大貫の言葉。 ペット…弟… (えー…えー…そ、そっちの意味?でも、分からん…は、反応、反応は何が正解だ…!?) もうすぐ律のマンションだと言うのに、足取りが一気に重くなるのを感じ、帆高の額に汗が浮かぶ。 彷徨う視線がぐるぐると、次第に気持ちの悪さまで出てくる始末だ。 一応まだ恋人同士は継続中。 だとしたら、肯定しておくべきなのでは。 安易且逃げにも等しい答えかもしれない。それでもこのまま無言で脂汗を製造するよりもマシだろう。 例の件を話すにしても後から友人として好きだと言う意味だったとか言っておけば何とか誤魔化せるかもしれない。 「、お、おれ、も、」 俺も好きです――――。 そう、告げれば、 「帆高っていつも何考えてんの?」 「す、―――――…へ?」 出てくる筈だった言葉は、さらりと出て行く前に消え行く。 買い物袋を抱えた男が二人。 薄暗い道路で向き合い、まだしっとりと重い湿気を孕んだ風が間を通り抜けた。 「咄嗟に出てくる言葉とかはスラスラ出てくるのに、何ですぐに考え込む訳?考えこんだら考え込んだで、全然正直にモノを言わねーし。何で俺と二人で居るのに考え込んでんの?」 湿った空気感の中でもはっきりと透る律の声と逸らされる事の無い視線が帆高を射抜く。 「責めたい訳じゃなくて、ただ聞きたいだけだから言いたくないなら言わなくてもいいんだけどさ」 「――い、いや、そう、っすね」 もしかして、これがタイミングと言うやつなのかもしれない。 「それに、俺もお前に…謝りたい事があってさ」 「あー…」 「いい機会だから、今日ちゃんと話さねぇ?」 ほらきた。 謝罪からの話、それはもう一つしかない。 矢張り今日しかない。今日しかないと言うよりかは今日で終わる、と言うものだ。 「――そう、っすね。俺もちゃんと話したいって思ってたんで」 思いの外そう口から出た言葉はさらりとしたもので、ほっと安堵の息も交じっている。 「取り合えず飯食うか」 「はい」 ―――あぁ、でも泣いてしまいそうだ。 油断すると眦がじぃんっと痺れ、目元に熱が集中してしまう。 すんっと鼻を啜り、持っているスーパーの袋を握り締め、もう一度息を深く吐き歩き出す帆高の頭では覚悟は決まっていても、矢張り感情的にはキツイ。 律に言われた通り、何も考えずにただ正直に物事を言えば良かったのだろうか。推しだなんだと足掻いていた部分が無駄だったと言う事なのだろか。 いや、それでも律の気持ちがこちらに向いていない限りはきっと無意味だったのでは? でも、 (そっか、考えてもしょうがないって、これだな…) ようやく律のマンションの入り口に辿り着き、不思議と落ち着きつつある帆高はオートロックの解除をする律の背中を眺める。 (出来るだけ、笑顔を見たいよな) 好きだと思った律の笑う顔。 少しだけ眉を寄せて笑う、不器用な笑い方。 この先この人以上に好きだと思える人と出会えたりするものだろうか、なんて考えれば、帆高も苦笑いしてしまう、 ―――が、 「り、律っ」 「――うおっ…!!」 呼ばれた名前の持ち主ではないと言うのに大きく跳ね上がった肩と間の抜けた声がロビーに響く。 「律、お、おかえりなさいっ!!」 そして、外から入ってくる女性に眼を見開いた。 (この人、もしかして、) くるっと内巻きに巻かれた栗色の髪と薄いメイク。 美人と言う程でも無いが小動物の様な大きな目と小柄で華奢な身体に似合うワンピース姿のその女性。 「菜穂」 振り向いた律はさほど驚いた様子も無く、呼んだ名は聞き覚えがある。 (そう、だ、) 律の彼女だと気付いた帆高の喉からは、ぐびっと奇怪な音が鳴った。
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