手持ちのカードは一枚だけ

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だが、ばちっと絡んだ視線に帆高の動きが止まる。 真っ直ぐに射抜く律の眼は逸らされる事なく此方に向けられている。 「………えー…っと」 ゆっくりと前に向き直り、口元の黒子を撫でる。 未だ菜穂の苛立ちを隠そうともしない怪訝な目付きがごりごりと帆高の精神的な部分を削ってくれるも、 「公文、帆高、です」 「さっき聞いたけど…」 これは、もう仕方ないのだ。 「…律さんとお付き合いさせて頂いていると言うか、恋人です」 初めましてー… 最後は消え入りそうなくらい小さな声になってしまったが、どうやら目的の人物にはしっかりと聞こえたらしい。 「ーーーーは、…え?」 大きく見開かれるメイクが施された大きな眼。 揺れる眼球が同様の大きさを表し、帆高の背後に定まった。 「り、つ?」 冗談だよね、と言いたいのだろうが、どうも声が上手く発せないらしい。 「何、これ何のゲーム…?ドッキリ、みたいな感じ?でもそれにしたって、冗談にしては悪趣味って言うか、」 しどろもどろな声が帆高の中にある罪悪感を刺激するも、もう後には引けない。 そして、それは、この男も一緒。 「冗談とかじゃないよ」 柔らかい声と共に腰に回された手に帆高の肩が揺れる。 「話そうって思ってた事はこれの事だよ。俺、帆高と付き合ってるからお前とヨリを戻す事は無い。だから大貫にも迷惑掛けないで欲しいんだよね」 冷静に淡々と声がマンションのロビーに響く。 「もうお前の事は何とも思ってない」 いっそきっぱりと、清々しいそれ。 「男の子、だよ、ね?え?」 あまりに堂々とし過ぎている為かそんな事を問うてくる女性に帆高はぎゅうっと胸の辺りのシャツを掴んだ。 「い、一応、付いてるんで…」 そう、お見せする事の出来ない、ナニが。 「何、それ…律、どう言う事っ、」 ようやっと思考回路が動き出したのか、帆高の渾身の振りもガン無視し、今にも泣きそうな顔をしながらも、そう詰め寄る菜穂だが、そんな女性の態度にも顔色ひとつ、眉すらも動かさない律が小さく息を吐いた。 「そのまんまの意味だけど」 「そのまま、って、」 納得がいかないのは当たり前だ。 付き合っていた、未練のある元彼がいつの間にか男と付き合っているのだから。 もしかしたらヨリを戻せるかもと期待を持っていただけにその心情は計り知れないものがある筈だ。 「だから、菜穂とはヨリを戻せないって、ぶっちゃければ…戻す気も無いってちゃんと話そうとしてたんだよ」 その上追い討ちも時間差でやって来る。 ふるふると肩を震わせる菜穂の眼にたっぷりと溜まる水分が今にも零れ落ちそうで、ズボンの後ろポケットに無造作に突っ込まれているハンカチを取り出すべきかと考えてしまう帆高だが、これ以上余計な事はすべきではないだろう。 あちらから見れば此方は恋敵。 しかも野郎とくれば、同情なんてされたくはない筈だ。 しかし、 「あの、律さん」 「何?」 「どっか別の所で、話してきてくれません…?」 遠慮がちに、だがはっきりとした声でそう告げれば律の眼が見開かれる。 「ここ…マンションのロビーで誰が来るか分からんし…それに、正直、二人の問題に…今の俺は関係無いっすよね。だから、ちゃんと、話した方が、いい、のでは、と…」 もっとビシっと言いたい所ではあるが、最後までカッコ付かないのが帆高。 それでもじっと目を見詰めてくる律の視線を逸らす事無く、何とか受け止めながら、そう告げれば重い溜め息を吐く律にびくっと肩を揺らした。 「じゃ、これ」 「え、」 徐に渡されたのはカードキー。 「先に入ってて」 「りょーかい、っす…」 此処で終了では無いらしい。 「まだ俺お前に謝罪してないから」 「あ、」 帆高への話はまだ終わっていないと言う事だ。 カードキーを受け取り、ついでに律が持っていたスーパーの荷物も抱えると、申し訳程度に頭を下げエレベーターに乗り込んだ。 エレベーターの扉が閉まる直前。 帆高が見た光景は、静かに俯く菜穂の背中に手を当てて、ゆっくりと、促す様に外へと出て行く姿だった。 * ひとりでこの部屋に入ったのは初めてだ。 家主の居ない家に入ると言うのは何とも緊張してしまうが、靴を脱ぐなり両手に抱えた荷物をキッチンへと置くと、帆高は大きく息を吐いた。 まさかの律の元カノの襲来。 その彼女に対して、強制ではないにしろ、圧から今の恋人です、なんて自己紹介してしまうと言う愚行。 (あぁ…はずー…) 今更振り返ってみれば何とも非常識な行為に感じてしまう。これが俗に言うDQN行為なのか、それとも、 (恋人としての役割として考えたら…当たり前の事なんかなー…) 羞恥から赤くなる顔を掌で仰ぎつつ、ソファに身体を沈めた帆高はぼんやりと宙を見上げる。 「でもな…」 律ははっきりと言ったのだ。 『だから、菜穂とはヨリを戻せないって、ぶっちゃければ…戻す気も無いってちゃんと話そうとしてたんだよ』 いつものぶっきらぼうな物言いではなかったものの、ストレートな言葉。 (―――本当に、元サヤは考えて、なかったって事?) 嘘ではない。 律はそんな嘘なんて言わない筈。 きっと真摯に向き合ってくれていた。 (それにあの人って…住所も知らんかった訳?) 大貫に聞いて此処に来たと菜穂は言っていた。 帆高は招待してくれていたのに。 しかも、何度もお邪魔しているこの部屋。 (ふーん…へぇ、ふーん…そう、なのか、) そう考えると、ほわりと浮かぶ憶測に帆高の眼が泳ぐ。
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