手持ちのカードは一枚だけ

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けれど、律を責める気にならないのは帆高も自分を誤魔化し続けていたからだ。 付き合おうと告白された時に撥ね付ける事だって出来た。それをしなかったのは、『推し』だからだとかで自分を言い聞かせながらも、結局の所一緒に居たいと根本で強く思っていた部分が勝ったからだ。 それなのに自意識過剰に誤解させてしまっただとか思っていた自分が恥ずかしいとすら、今なら思う。 お互いがお互いに罪悪感を抱きつつ一緒に居たなんて笑い話にもならないだろう。 帆高の頬が引き攣りそうになる中、 「ただ、」 真っ直ぐに前を向いていた律が少しだけ俯く。 「本当に、気に入っていたのは本当で、何て言うか、話してて楽だなって思えて、それで実際付き合ってみたらヘラって笑うとことか、懐いてくれてるとことか、嬉しくなって」 心臓がドキドキと忙しない。 帆高の息も浅くなる。 もう何を言われても驚かない、きっと、静かに受け止める事しか、 「俺の方が菜穂よりやべー事してるって思って、クソみたいな思考でも罪悪感でいっぱいになってきたのに、謝らなきゃって思ってたけど、言えなかった。マジで好きになっててお前が離れたらどうしようって言えなかった」 「……え?」 「夏にキャンプ行ったろ。実は大貫から菜穂がヨリを戻したがってるって聞かされて正直焦った。俺の勝手で始まった帆高との関係なのに、お前と付き合ってるのが楽しくなってて、当たり前みたいな、罪悪感とかも最低だけど少しずつ薄れてて、本当に恋人みたいなつもりになって。なのに今更アイツが出て来て、また膨らんだ罪悪感と邪魔されそうなのが怖くなって」 いや、どうしようか。 話が入って来ない。 今さらりと、重要な事を言われた気がするのだが。 見開いた帆高の眼が瞬きもせずにガンぎまりになっている。 「お前もお前で二人きりの時に考え込んでたり、言葉を選んでるのが分かって。なのに欲しい言葉をくれるから、どんどん甘えて、コウさんからも過保護が過ぎるなんて言われる始末で」 「あ、あのっ、」 「…何?」 目頭を抑える帆高のストップ。 どうやら眼の乾燥が限界を迎えたらしく、少し赤くなった眼をじりっとこじ開けた帆高は何とか律へと細めた視線を向けた。 「あの、菜穂さんには、何て言ったんすか…」 「あの子が、帆高が好きだから無理って言ったけど」 ほら、またさらりと。 お高いシャンプーのCMか。 「ーーーー俺の事、好き、なんっす、か」 「…今日も告白したろ」 「あ、」 『俺、お前の事好きだよ』 言われていた。 確かに今日言われた。 でも、それも色々と雑念やマイナス思考が入り乱れ、どう受け止めていいのかすら分かっていなかった。 あからさまに動揺を見せる帆高のコーヒーカップはカタカタと小刻みに揺れている。 「こんな事言うのもあれだけど、帆高が菜穂に恋人だって言ってくれて嬉しかった。すげー安心したし。けど、あれもお前の事試したみたいになるんだよな。菜穂と同じ事して、それ以上に酷い事もしてて、俺マジでやばいわ」 ふっと自嘲気味に笑う律は、それでも綺麗だ。 何も求めていないような、空っぽのようなあの眼。 確かに彼がした事は第三者から見れば褒められる事では決して無い。 むしろ責められて当然の事。 ずるい人だ、酷い人だ。 でも、 (う、うわぁ……) たまらなく嬉しいと思うのは、惚れた弱みとでも言うべきか。 ーーー初めて律に出会ったあの頃から。 顔が熱い。 鼻の奥から目頭がじんっと痺れるように痛みを持つ。 自然と帆高の頭が下がり、こんな情けない顔を見せたくないと膝に肘を置いた手に額を擦り付ける。 「帆高」 「は、い、」 「本当、ごめん」 「…いや、大丈夫、っす」 「でも、俺お前が好きだよ」 「ーーーー、そ、う、っすか」 ずるい、 「別れたく、ないな、俺は」 本当にずるい。 ーーーーーーーじゃあ、俺は? 今だけ、今だけ、正直に。 大海に憧れたように、今だけでも。 ガバッと顔を上げ、ぎっと睨み付けるように律を見やる帆高が握った拳は硬い。 「俺も、律さんが好きですっ、結構、ま、マジでっ」 「ーーーうん」 結構マジで、なんて日本語としてどうなんだ?と問われれば困ってしまうけれど、唇を噛み締め肩を怒らせる帆高の精一杯の気持ち。 口元の黒子も触れてはいない。 何も考えず、思ったままの気持ちをそのままに律へと伝える。 それを律も分かっているのか、少しだけ眉を下げふっと柔らかい笑みを浮かべると、赤く染まっていく目元。 「飯、食う?」 「食いましょうっ」 「風呂も入ってく?」 「ありがとうございますっ!」 「ーーー泊まってく?」 「ーーーー、」 言葉が詰まったのは、一瞬。 「泊まりますっ」 声がひっくり返ったのはご愛嬌。 ふはっと笑う律の手が手汗が混じった自分の掌を握りしめた事に一瞬緊張するも、 「すげー…嬉しい」 今にも泣き出しそうな、初めて見るそのキラキラとした表情を前に帆高もふわりと広角を上げた。 ずるくて、卑怯で、綺麗。 (ーーじゃ、俺は?) ーーーーそうだ、今だけ、今だけ幸せであっても、いいだろう、 言い聞かせるように、笑う帆高は一瞬だけ視線を落とした。 最後の一枚のカードは、もう出せない。
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