猫は笑う

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「す、すみません…」 「何に謝ってんの?」 「何も、言わずに帰ろうと、した、みたいな…」 帆高もそれなりに身長があるがそれより上からの圧と言うものはかなり息苦しさを感じさせる。 「何かあんの?はっきり言わないと分かんねーだろ?やっぱ俺の事無理だと思った?」 「い、いや、まさかっ!!!!」 息を吐く呼吸音に、眼を見開き勢い良く顔を上げる帆高が千切り取らんばかりに首を振った。 若干酔う。 「じゃあ、何?」 髪を掻き上げる律の仕草に、見惚れている場合では無い。 不機嫌そうな表情も悶える程に好きだ。笑顔であれば、こちらも幸せになれる。 少しむくれるのも可愛いし、若干引いているであろう時の顔だって、本当はこっそりとぞくぞくと悦に入っている。 つまりは全部ひっくるめて帆高は律の虜状態だ。 好きだし、律も同じ気持ちであってくれるなんてこの先の人生の運を全て使い果たしたとしか思えない。 いや、それでもいいとすら思える。 けれど、 「帆高」 「あの、俺…」 「何?」 短い単語の中にも副音声として『早く答えろ』と聞こえてくるその声音に、圧し潰される限界を感じた帆高の唇が真一文字に結ばれる。 本当の事を言うべきか。 どのみち律とは上手く行かないと思っての逃亡だ。だったら此処で嫌われようが呆れられようが、同じ事なのでは。 (……でも、) 「俺は、帆高が好きだけど、」 「―――」 「でも、お前が無理なら、仕方ないと思う、」 む、 「無理じゃないですってっ、」 めっちゃ好きだってっ!!! 切なげに伏せられていた律の眼がくりっと弾かれた様に見開き、両手で拳を握る帆高へと向けられる。 「俺マジで、律さんの事好きだってぇ…男とか興味無かったのに、性癖とか捻じ曲げられるくらい好きだけどさぁ…!」 「………性癖、捻じ曲げたの、俺」 「もう足舐めろとか言われたら喜んでって言うくらい好きだけどっ!!」 限界だ、我慢していたものがボロボロと出てくるのを感じる。 「俺、ダメなんだって、マジで俺じゃダメなんだよぉおお!!!」 ばっとその場にしゃがみ込み、膝を抱えながら顔を覆う帆高に、驚かない訳が無い。本当ならば性癖云々の詳しい話を聞きたい所だが、今はこの恋人を落ち着かせる事が一番重要視されるところだ。 「帆高、ちょ、」 「けど、俺あんたに謝らなきゃいけない事とか、あって、それに、絶対俺等無理だって分かったし、」 ぼろぼろと零れ落ちてくる涙に後押しされ、感情が流れ出る。 ダムの決壊と言うよりかは、まるでにゅるっと押し出される心太とでも言うべきか、 「本当は、うぅ、え、俺、最初の時、あんたの事『推し』だと思い込んでて、そんな中途半端なままの気持ちで、ぐぶ、付き合いはじめでぇ、」 「……は?お、し?」 「罪悪感やら何らやある中、で、ぐぶっ、まじでガチごいになっでるっでぇ気付いだんずげどぉぉ、ぉえっ、ふっ、」 濁音と嗚咽が混じり過ぎて聞き取りも解読もそれなりのスキルを必要としてしまう。それでも何とか話を聞き、ふわふわとした曖昧な感じではあるがそれとなく理解出来たらしい律は、余計に眉を潜めた。 例え何か誤魔化しながらの付き合いであったとしても、今が互いに同じ気持ちならばそれで良いのに。 推し云々は正直意味までは分からないものの、好きだと伝えてくれる帆高にほくほくとした温かみが沸き上がり、煌々とした気持ちになってしまう。 「…あのさ、それの何が駄目だって言ってんの…?」 蹲る帆高の肩に手を乗せ、『ぼえ』だとかの嗚咽混じりの声を鑑賞する律の口元は柔らかい。本当ならばこのまま引き摺ってでも部屋の中へと連れ戻したい所だが、最初が間違えていた律だけに此処から先は慎重に物事を進めたいと、その背を撫でる。 優しく、促すように。 「好き、っすけどぉ、俺、」 「うん」 「多分、ぜっだい゛、………ずる、」 「うん?」 何て? 聞こえないと顔を近づけると、帆高の涙や色んな汁でぐちゃぐちゃになった顔が勢いよく眼前に晒された。 「俺っ、絶対!!嫉妬もするし、気も引くし、優越感もこれでもかってくらいががえで、マウントとか取るっ、しっ!!!」 「―――――は…?」 「そうなるどっ、あんたの元カノよりひどい事になるしっ、ぜってー嫌われるじゃんかよっ!!!」 「ほた、」 「今までだって、あの人この家来た事ないんだぁ、とか、既にマウント決めてんのに、もう性格悪いじゃんかよっ、おんなのご相手に恥ずかしい締め技してるようなもんじゃんかっ!!!」 ―――結局は、此処だ。 昨日律から菜穂の話を聞いている最中、帆高を試しただとか、騙すように付き合ってしまっただとか、正直そんな事より気になってしまったのはこれ。 『律は全然嫉妬もしないし、興味無さそう、気を引いてるのにそれも気付かないって』 『それ聞いたら俺一気に冷めてさ。マジでビックリするくらい、すーって。』 『束縛も激しくなってちょっと連絡が遅くなると鬼電してきて、一時間くらい説明させられて、それが三か月くらい続いて、何か疲れた。』 ――――いや、俺駄目じゃん。
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