猫は笑う

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本当は元カノだろうがなんだろうが、嫉妬していた。 付き合おうって言ってくれたのに未練あったのかよ、だとか思っていた。 そんな自分に嫌悪も持ちつつも、面白く無いとこっそり子供じみた感情を持っていた事だって。 「このさき、俺もあの人みたいなこど、するかもだし、ぜってー律さん困らせるに決まってるぅぅぅうう!!!そんで嫌われて、うんざりして、なのに綺麗なままなんだよ、それで悩ませるんだよ、あんたはぁぁぁ!!そんな未来しかみえねぇぇぇ!!」 どっかの歌手みたく眩しくて見えないとかじゃねぇんだよっ ―――う〝、おぇ、 「…………」 泣いてんだか叫んでいるのだか、とどめとばかり最後に盛大に嘔吐く帆高からまたぼろぼろと水滴が流れていくのをしばし見詰めた後、律から洩れた溜め息。 「そんな、わけで、すみません…」 帆高も段々と落ち着いてきたのか、ずずずっと鼻を啜る音が玄関先に響き、ぐいっと手の甲で涙を拭った。こんなに泣いたのは小学生以来だからだろう、少しぼうっとする頭は物理的にもふらりふらりと左右に揺れている。 眼も開き辛いのはもしかして腫れているのかもしれない。 頬もひりひりするのは繊細な肌を持っているからとかではなく、ただ肌荒れしているからだろう。 ところで、このまま歩いて帰るとか、すれ違う人が二度見するのでは。 そんなくだらない事を現実逃避に利用する帆高だが、 「別にいいけど」 「あ゛…?」 もう一度鼻を啜る。 思わず出た低い声。 拗ねた感情半分に、睨み付ける様に見上げた先は、ふふっと困った風に笑うその顔。 でもそれは困惑していると言うよりは、もっと優しく柔らかい、初めて見る笑顔。 「帆高なら、いいよ」 「いい、って、何が、」 ずび、っと邪魔する鼻水は限りなく。 「ふは、」 耐えきれない様に噴き出し、律が肩を震わせるもぽかんとそれを見上げる間抜け顔の帆高は首を傾げるしかない。 「ほら、顔拭けよ」 くすくすと未だ笑い続けながらも着ていた自分のシャツを引っ張り、高くも無い鼻を押さえる律に流石の帆高も一瞬眼を見開くも、『はい、ちーん』と言われてしまえば、大人しく鼻を拭かれてしまった。 先程までの痴態が羞恥を通り越し、まさに虚無と言った風にだらんと力無く両手を垂らす帆高にまた律が笑う。 「全部、帆高ならいいよ、俺は」 そして、また同じ言葉。 「……俺なら、いい、?」 とても都合の良い言葉が聞こえた気がする。幻聴だとしたら相当メンタルに来ているようだ。 でも、そんな筈は無い。 けれど、その笑顔に見惚れてしまう。 嬉しそうな、少し照れた風な、今まであまり感情が分かり辛いと思っていたその眼もまるで甘い飴のようにとろりとしている風に見える。 「帆高」 「…は、い」 「嫉妬してくれるんだろ?」 「た、ぶん、」 「俺の気を惹こうって頑張る?」 「そう、なる、かも、」 「マウントも取るかもって事だろ?」 「既に取ってる節がありまして…」 「それ全部いいよ」 「……いいって、公認、って事、すか?」 「ていうか、」 ぐいっと両手で顔を挟まれ、持ち上げられれば至近距離の律の整った顔に、鼻の穴が開いてしまいそうだが、ぐぅっと抑える必死の帆高をまた笑う声。 「嬉しいかも」 「…は、」 クシャっと笑うその顔から眼が離せない。 本当に、嬉しそうな、愛おしいモノを見るそれ。 ヤバい、手が震えそうだ。 また鼻の奥がジンと痺れだし、ひくっと帆高の頬が引き攣り出す。 「何すか、それ…っ、」 「泣くなよ」 「だって、そ…んなん、きーてねぇ、し、」 だったら昨日の話は何だったんだ。 別れようって決意した気持ちは何だったんだ。 ずるい、本当にずる過ぎる、チートだ。 ちょっと顔が良いからって、スタイルが良いからって、全部がどストライクだからって、 「律さん、は、ずりぃー…よぉ、」 例えピンヒール履いてようが、眼帯して右手が疼くとか言い出そうが、アニメキャラ見て息荒く、お嫁たん♡とか言おうが、それでも、 「そんなん、好きの、まんま、じゃん…か、よぉ…」 ぶわっと溢れる涙で前がぼやける。 もう律が一体どんな表情をしているのかも分かり辛くなってしまったが、そこに不安は無い。 「うん、俺も帆高が好き」 だって、声が、雰囲気が、夢みたいに何処までも優しい。 けれど、帆高を抱きしめるその手が、力強く抱きしめてくれているのに、壊れ物を扱う様に小さく震えているのが、現実だと教えてくれる。 「っ、うぅぅ…」 言葉と同じくらいに痛い程に伝わる感情があるなんて知らなかった。 息をするのも苦しいくらい、相手を好きだと思える事だって、全て。 「あんたは、わかりづら、いんだよぉ…!!」 「ごめんな、」 だからこそ、相手の背中に回した自分の腕も負けないくらいに力強く。 「帆高なら、全部いいよ、」 「俺も、めっちゃ好きっす、…っ!」 押さえつけられる様に与えられた唇も、不器用に当たった歯も、全部が自分の為にある至福は、きっとこの先誰にも渡したくないと言う新たな独占欲になるのだろう。 また、ひとつ性格の悪い所が生まれてしまった。 律はまた、いいよ。と、笑ってくれるだろうか、なんて。 性癖も、歪んだままでーーー。
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