猫は笑う

5/10
前へ
/87ページ
次へ
近所で見かける猫を手懐けたものの、置き餌は食べてくれるが手からは食べてくれない、そんな気分になると言うもの。 あながち大貫がペット感覚だとか言っていたがあながち間違ってはいなかったのだろう。 でも、キスは受けてくれる。 同じ男でもキスくらいは出来るだろうと安易な気持ちでしてみたものだが、不快なんてものは無く、それどころか少しカサついた唇は驚く程に心地良い。 身長もそれなりにあるからか、極端に屈まなくとも良い。 ついでに間近で見る帆高は、きゅっと引き締めた唇の近くにある黒子が何とも言えない感情を揺さぶる。 そんな事を考えていれば自然とキスするのも当たり前になり、最初は強張っていた帆高の身体から力が抜けて行くのを感じるのも妙に優越感と言うか、満足感と言うか、 (支配欲、って言うか、) 一度自覚してしまったら、何となく落ち着かなくなってしまったのには後々笑ってしまった。 出来るだけ一緒に居れるように自宅へ招く事が多くなり、面倒だと思っていたメッセージの遣り取りもマメに行う。終いにはバイト先の社長に向かって帆高の仕事を制限しろと直談判まで。 恋人代行なんて引き受けた時には面白くないと思ってしまったのは当たり前の事で、 『俺、デートの練習相手としての依頼だったんですけど、やっぱ、デートって好きな人とするのがいいね』 そうはにかむ帆高に『好きな人って誰?』なんて聞いてしまったのは意地悪半分。 勿論自分の名を言ってくれるではあろうと思っていたが、少しの間を開け、口籠りながらたどたどしい正解発表に律は首を傾げた。 前々から思ってはいたが、素直な物言いと違い、態度が全く持って伴っていない。 これが素直だけれど正直では無いと思ってしまった強い決定打だ。 けれど、そんな帆高にどんどんと募る独占欲。 束縛や執着なんてされるのも嫌なのだから、絶対に自分はしないように、むしろした事も無いから、なんて思っていたにも関わらず、ようやっと気付いた。 するっと自然に、朝目覚めて背伸びし、呼吸をした瞬間。 夢を見ていた。 なんて事は無い、ただの夢だ。現実では無いそれにしばらくぼうっとした頭をそのままに白いシーツを眺めていた律だが、次第に胸の奥から迫り出す何かは普通に直下していた。 ――――――――下半身、に。 最悪だ、まさかのオチが此処かよと。 こんな状況、いくら顔が良い男だって朝勃ちなんて当たり前だとフォローされるかもしれないが、見ていた夢が悪い。 帆高が嬉しそうにマウントポジションで迫って来た、なんて言う中学生が妄想するレベルのものだったが、そんなものにまさか反応してしまうなんて。 まあ、兎に角自覚してしまったのだから仕方ない。 『やべぇ…すげぇ好き、かも…』 そんなに性欲が漲っているなんて思った事もないうえに、性行為なんて溜まった物を吐き出すだけの生理的排泄行為の延長戦、そこに気持ち良さがあったのかと問われたら然程としか答えようがなかった今迄のそれ。 それなのに夢の中の帆高に欲情して、あまつさえ中学生のように下着を汚してしまった事実に赤く染まった頬は引き攣った。 そうだ、謝ろう。 京都に行くくらいの気軽さでは無く、誠心誠意まずは謝罪をしようと思うまで0.008秒ほど。 正直、罵倒されて自分の元を去っていくかもしれないと思わなかった訳では無い。 それでももう一度振り向かせれるよう努力しよう、何年でも待とうと思えるくらいに好きだと思ったのだから自分自身タチが悪いと思ってしまった。 そして、謝罪も受け入れ、笑ってくれた帆高が、あんなにモロに感情を爆発させるとは思わなかった。 菜穂との対峙だって努めて冷静に対応してくれたのに、困った風に笑って全てを律の全てを許してくれた帆高が、自分自身の嫌悪からあんなに泣きわめいて別れようとするなんて。 好きから生まれる別れなんてあってたまるか。 嫉妬? 上等、むしろこっちがヤキモキしているくらいだ。正直バイトだってもう辞めて貰おうと思っていたりする。コウからの抗議が来るだろうが、知った事では無い。 駆け引き? ああ、いい。是非お願いしたい。ちょっとこちらを伺いながら、照れ臭そうにする帆高を見て白米でも食えそうだ。 優越感? 売るだけやるし、持てるだけ持って欲しい。 独占欲? 可愛いじゃないか、ムッとしながらも甘えに甘える帆高だって見たいし、なんならワガママだって言って欲しい。 それらの姿を見られて幻滅なんてするかも、と思っている恋人だが残念ながらしないし、なんなら可愛いとにやけてしまいそう、そしてそれよりも気になる事だってある。 「俺、」 「は…?」 黙りこくったと思ったら、不意に口を開いた律に大貫が眉を潜める。 頼む、自分が理解出来る、反応出来る事を言って欲しい。今日この見目麗しい友人と会話らしい会話を出来た試しがない。 「せーへき、歪ませたんだとさ」 どんな風に歪んだと言うのだろう。 気になり過ぎて、夜しか寝れないけれど、今度泊りに来た日は夜は寝かせない予定だ。 「ん?」 「責任取らなきゃだよなぁ」 「―――――は?」 間の抜けた友人の声は、店内に響いた――――。 本日の会話、強制終了。
/87ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2562人が本棚に入れています
本棚に追加