猫は笑う

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* 本日のバイトは引っ越しの手伝い。 どうやら結婚を機に同棲を始めるカップルらしく、仲睦まじい様子を遠目に幸せいっぱいの様子を感じ取り、端々から生まれてくる幸せオーラに当てられる中、時折照れ臭そうな申し訳なさげな二人に苦笑いしていた帆高だが、今の彼にはそんな仕草等痛くも痒くも無い。 何故なら、 (俺も幸せだし?) そう、謎に満ち溢れている自信だ。 恋愛初心者故の浮かれ具合と言っても過言ではない、この帆高のふわふわ感。 仕事上は常にコツコツと冷静に進めて行くも、この後のアフターは律と会える事にウキウキと心躍らせていた。 引っ越し蕎麦いかがですか? なんて、お誘いも時間が惜しいのとこれ以上二人のお邪魔をする訳にはいかないと丁重にお断り。だったら、持って帰って食べて下さいと保冷剤入りの蕎麦とつゆを持たされその場を後にした。 事務所へと戻り、報告書をチェックするコウを横目によくよく見てみれば気を遣われたのか、ビニール袋の中の蕎麦は2人前。 (…律さん、蕎麦好きか?) 良かったら今日はこれを食べよう、帆高の口角が自然と持ち上がる。 「おっけー、帆高くんお疲れ様ぁ」 「あ、お疲れ様っす」 チェックを終えたコウが両手で丸のポーズからの笑顔に頭を下げる帆高が荷物を肩に掛けるも、惹かれる様に無意識に顔を向ければ、かち合う視線。 「……何、っすか」 「いやー、なんか、こう、なんて、言うかだねぇ」 首を捻るコウがまじまじと帆高を上から下へと。 一体何だろうか。 何か憑いているとか。夏だからと言ってそんな冷え方は御免被る。 「帆高くんも、何か雰囲気変わったなぁ、って」 「…雰囲気?」 「そう、雰囲気。こう、なんつーか、まるっとしたような、」 「……え、太った、みたいな?」 「あー、違う違う、あくまでも雰囲気っ、丸くなった、みたいな、感じだよ」 脇腹を掴む帆高にそう慌てて手を振るコウだが、うんうんと頷き、もう一度じっと帆高を見遣ると、おぉっと眼を見張る。 「わかった、あれだっ!恋しちゃったとか、そう言うのだっ、正解だろっ」 「………」 三十路超え、若干傷んだ茶髪に猫背、常にGパン、Tシャツと言ったラフな格好。 普段ヘラヘラと真っ直ぐに立てない様な男だが、流石に年の功とでも言うべきか、人を相手にする仕事を生業にしているだけに中々鋭い観察眼だ。 「あれ?違う?」 「い、いや…まぁ、当たらずとも、って感じで、」 だが、流石に正直に言うのは憚るところ。 何故なら一応社内恋愛と言っても過言ではない。前に一度律はコウに対して帆高の仕事に口を出している。 この仕事を続ける以上、少しでもバレる要素になるのは避けた方がいいだろう。 帆高にはこのバイトを辞めさせようなんて、律自身が考えている事なんて思ってもいない帆高は曖昧に答えるも、彼のその反応に満足したのか、コウはふふんと得意気に大したことの無い胸を張って見せた。 「やっぱり?だよねー、俺ってそう言うの気付いちゃうんだよねぇ。いいなぁ、若いなぁ、羨ましいぃー」 「う、羨ましいっっすか、」 「そりゃねぇ、どうも俺って女運悪いつーか、まぁ、仕事が忙しいってのもあって放ったらかしにしちゃうのも悪いんだけどさぁ」 「あぁ…」 そう言えばたまに事務所に寝泊まりしている時もあると聞いていた。 小さいとは言え社長業。それなりにしんどさも忙しさもピークを迎える時もある筈だ。 けれど然程悲壮感も感じないコウからしてみれば、今は仕事が恋人と言うヤツなのかもしれない。 「そう言えば、」 「はい」 「りっちゃんもちょっと変わったよねー…いや、だいぶ変わったかも、」 「、へ」 唐突な律の名前に過剰に反応し過ぎたのか、声がひっくり返るも気にもしていない風に社長椅子をくるくる回すコウがニヤリと笑う。 「最初入ってきた時は全然感情も無さそうで、真面目だけど何処かやさぐれてた感もあってさぁ、けど最近は感情がよく分かるって言うか、」 「へー…」 本当に侮れない男だ。 ドキドキと心臓が忙しなく動くのを何とかポーカーフェイスで乗り切る帆高だが、 「あぁ、そうそう、そういえばさっ」 「は、はい、」 「りっちゃんもぜってー恋しててさぁ!!」 「………へぇ」 何かを思い出したかのようにぷぷぷっと口元を押さえるコウの思い出し笑いに嫌な気しかない。 「この間りっちゃんの派遣先が俺の知り合いのとこだったんだけど、そこで恋バナの話から結婚の話になったらしくてさぁ」 「ーーほう、」 でも、気になってしまうのは恋人だから、と言う免罪符があってもいいじゃないか。 先程とは違う意味で、ドキドキしてしまう、 「りっちゃんにさぁ、『吉木くんは恋人との将来を見据えるなら何する?』って聞いたんだって。りっちゃんくらいのイケメンだから、周りに居た女性陣も興味津々で聞き耳立ててたらしいんだけど、つみたてNI○A?だってっ!ガチかなっこれってっ」 あはははははっと笑うコウを前に、何とも言えない渋い顔をしてしまう帆高が笑える訳も無く、 (確か、それって…) 『住宅、結婚資金の為』、『老後資金』。 これらが目的ランキングの上位だった、と前にワイドショーで紹介されていた事をぼんやりと思いし、ぎゅうっと蕎麦の入ったビニール袋を握り締めるのだった。
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