猫は笑う

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さっと茹で上げた蕎麦は、これしかないと渡された水切り用のザルに。 頂いためんつゆと律が作ってくれた炊き込みご飯で本日の立派な夕食の出来上がりだ。 「何かざる蕎麦にお椀って変な感じだよな」 「そうっすか?俺は食えれば全然気にしないです」 何となくそれっぽい雰囲気じゃないと首を傾げる律とは反対に、帆高はそんな事全く気にもしない。 何故なら何を食べるか、では無く、誰と食べるか、と言う屁理屈にも似た理論を今身を持って体験している最中だからだ。 目の前に律が居る。しかも恋人として食事を摂っている。 これだけで幸せな事ではないか。 しかもこの男、 (つみたて、考えてんだよな…) それはもしかしたら自分との将来がある、なんて考えてくれているのかもしれない。そう思うだけで、ハッピージャムジャムなんて虎や鳥達の動物が脳内で踊り狂ってくれる。 ほくほくと頬を持ち上げ、小鼻まで引く付かせる帆高だが、 「今日俺、大貫と会ったんだよね」 「あ、そうなんですか?」 ずるっと蕎麦を啜る律の所作を含めての美しさに目が焼けそうだ。 「大貫さん、元気でした?」 「見た目通りって感じ」 ふっと笑う律も好きだ。 この力の抜けた自然な笑みを特等席にて、しかも無料で観覧出来ている事が幸せでしかない。 釣られてへらりと口元を緩める帆高も蕎麦を進めて行く。引っ越し祝いと言う事でそれなりに奮発したものだったのか、のど越しの良いそれに増していく多幸感。 「そう言えば、お前の幼馴染何の進展も無さそうだな」 「あー、確かにそう言われてみれば話も聞かないし」 どうやら大貫の店に通う為のバイトだったのが、気づけば即戦力として働かされているらしい。 お人好しの大海の事だ、ひぃひぃ言いながらも頼られたら嫌と言えずに今日も体力の限り労働していたのだろう。 「俺等の事知ったら卒倒しそうだな」 「ーーー…あー…」 帆高を信用し、恋愛相談をしてくれている大海。 出来る事ならば帆高も自身の恋愛が上手くいったとすぐにでも報告したいところだが、正式にお付き合いが始まってまだ数日。 正直幸せいっぱい、羽目を外せと言われたら三角帽子にクラッカーを鳴り響かせながらタンバリンを玄人のカラオケ店員くらいに叩きまくれる勢いではあるものの、公言するにはまだ少し躊躇してしまう。 (ーーーーやっぱ、) もう少しだけ互いを知ってからの方がよろしいのでは、と思ってしまう為だ。 唐揚げが好きだとか、バイトの延長線で家事が出来るようになっただとか、それくらいの情報は知っているが、それこそファンが持っているアイドルの情報程度。 帆高が知りたいのは、プライベートと言うよりは、もっと繋がりと言うか、家族や思考もそうだが、それよりもっと、 (ーーいや、そればっかりがそうじゃないのは分かってっけど…) 『それなりの事』を終えてからだと思っていたりする。 お年頃の十代を現在進行形で進んでいる帆高。 興味もあれば、好奇心だってある。そしてそれ以上に健全男子であれば、そこそこの性欲もあるのだから当たり前に欲情する心情だって持ち合わせているのだ。 それによく聞くではないか。 『身体の相性って大事』と。 そもそもこの綺麗な男に性欲なんてあるのだろうか、と思ってしまうくらいに人間臭が無いのも気になるが、一応そこは置いといて。 (もし、万が一だけど…) 身体の相性が微妙、最悪なんて事だったならば、一体どうしろと言うのだろうか。 (ぜってー無理…) 床上手なんてすぐになれるものなのか。 帆高の努力でどうにかなるのであれば、そちらに全力で経験値を振り分けていこうと覚悟はある。 でも、それで補い何かがあった場合、それが問題だ。 いや、でも、でもだ。 (律さんだしな…あんまそう言うの気になんねー人かもしれんしなぁ…) そうであれば、まだ救いがありそうだ。 「でさ、帆高さぁ」 「はいっ」 「お前の性癖大丈夫?」 「ーーーせ、」 「歪ませたんだろ、俺が」 「お、ぉ、…あー…」 蕎麦を噴き出さないで良かった。 この状態で噴き出したりなんてしまえば、鼻から口からと未曾有の大事故になっていたところだ。 咀嚼した蕎麦を何とか飲み込み、ぎこちない動きで律をまじまじと見遣れば、何でもない顔のまま、ふっと首を傾げてみせる。 さらりと流れる藤色の髪は最近少しずつ褪せて灰色混じりの茶髪が薄らと浮き上がっているが、それもまた彼の特別感に見えるのだからこんな場面でも感嘆の声が出てきそうだ。 「自分で言ったの覚えてる?」 「な、何となく、」 確かに言った記憶はある。 ただ感情が昂っていた時の発言だけに、まさかその言葉を拾われるとは。 「性癖歪んだんだなぁ、って思っててさ」 「お、お恥ずかしい限りです…」 全くもって羞恥の極み。 色艶も良く、形も整った律の唇から性癖なんて言葉を聞かされたらそれこそ色んな所を擽られそうな帆高の背中が丸くなる。 「あ、あの、大丈夫、なんで」 大体恋人に性癖大丈夫か、なんて聞かれるなんてあってはならない。 考えていた事が考えていた事だけにこの話を終わらせようと顔を伏せつつ、迅速に認めるも、 「で、どんな風に歪んでんの?」 ーーーあ、この話続くんだ。
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