猫は笑う

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帆高は男だ。 生物学的にも身体的にも、法律上でもそれは紛れも無い事実で今迄生きて来た中、何ら疑問に思う事も無く、ただただ当たり前に過ごしてきた。 途中成長過程で様々な性の問題もあったりはしたが、そんなものたかが通過点でしかない。 『男』も十五、六年やっていれば発散の仕方や適度な処理の仕方だって掴めてくる。 朝から元気な姿を見せる時もあれば、疲労困憊だと言うのに無駄に主張してくる時もあり、逆に何をしてもぴくりと動かない時は多少なり狼狽したものだ。 皮がどーだ、サイズはこーだと友人達と盛り上がった日々も懐かしい。 いつか童貞と呼ばれるこれとお別れする事になるのだろう。それまでは仲良く付き合っていこうではないか。 勿論そんな事直接語り掛ける事なんて無いけれど、自ずと訪れるであろうその時を迎えるだけだと思って疑ってもいなかった、と言うのに―――。 「―――…全然要領を得ねーんだけど」 「…でしょうね」 テーブルに座ったまま向かい合うこの二人。驚く事無かれ、夕食を終えて既に一時間は経過している。 空いた皿等はシンクへと運んではあるものの、既に二十時になろうとしている時間だと言うのに未だ話は終わっていなかった。 お題、帆高の性癖について―――。 「て言うか、そんな俺の性癖なんてどうだっていいじゃないっすか、何がそんなに気になるんですか…」 最初はそう、のらりくらり躱していた帆高だが、 「は?ふつー気になるだろ、好きな奴の性癖なのに。お前だったら気にならねーの?俺の性癖」 なる。 食い気味に返答に掛かった時間は0.05秒程度。 ふっと笑う律と耳まで赤く茹で上がった帆高の渋い顔の対比と温度差は凄まじい。 「…じゃ、単刀直入に聞きますけど…」 「うん?」 あぁ、本当は聞きたくなかった。 これで神妙な顔をされたり、妙な間が空いたりなんてしたら立ち直るのにそこそこ掛かってしまう。 もっとゆっくりと、自然に流れでそう言ったのを感じ取りながら、と思っていただけに。そうしたら、色んな意味での覚悟も決められただろう。 ぐぐっと握る拳は固い。 「律さん、俺で…興奮します?」 「する」 「――――」 するんだ。 一瞬静まった部屋で、ひくりと帆高の頬だけが引き攣る中、薄っすらと口角を上げるだけの律の吐息だけが響く。 「何、お前そう言うの無いって事?悟りを開いた感じに歪んだって事?それが性癖?それとも普通じゃ欲情しねーからなって言う宣戦布告だったりする?」 「……………」 畳み掛けが凄い。 性を感じさせない律だけに露骨な物言いにこちらの方が言い淀んでしまう。 「い、言い方…」 「帆高は回りくどいんだよ、はっきり言えば?別に今更何か言われたってお前の事嫌いになる事なんてないんだから」 「―――――おふ…っ」 なんて事は無いみたいな、さらりとした口調だが台詞の威力が半端ない。腹パンされたかのような衝撃に、思わず背中を丸める帆高の額はテーブルへと挨拶をかます。 しかし、口元が段々と緩んでいるのを自覚してしまうのがこれまたしんどい。 (本当、この人って…、) 何処までも優越感を持たせて来る。 両手では持ちきれない程の幸福感も一緒に持たせるものだから、てれてれと持ち上げた顔は勿論赤い。 「で、続きは?」 ―――――続くんだな。 仕方ない。 意外と前世はスッポンだったのかもしれない律から逃れる術を考え付かない。 それ以上に惚れた弱みと言うのもあるのだろう、律のじっと見詰める眼に抗えない帆高の唇がぐぐぐっと尖るも、ふっと肩からは力が抜けた。 仕上がったなで肩。 「……俺、そのー…普通に律さんが好きだな、って思って、」 「うん」 「でぇ…、その、やっぱ俺だって男だし…一応…未使用ではあるけど、付いてる訳で…」 「…は?」 「いや…ほら、律さん、どっちかって言うと、綺麗な人だし、中性的な見た目で…こう、線も細いし、」 辿々しくではあるがそこまでぽつぽつと話す帆高に、一瞬だけ律の口元が引き攣る。 「い、一回くらいは、そう言う想像をしなかったのかと言われたら…嘘になりまし、て、」 コレは本当に仕方ない。 何故って理由は目の前にあるではないか。男とか女とかそう言うのを抜きにして、人間としてコレほど綺麗な人を見た事が無く、しかも恋愛なんてほぼ皆無だった帆高にとって視覚から入った情報がそのままに、男としての本能が動くのは当たり前の事。 ーーーつまり、それは、 「ーーお前……俺を抱きたいの?」 「ーーーまぁ、男なんで…」 帆高のカミングアウトが斜め上過ぎる。 珍しく律の顔色がトーンダウンするのも頷けるほど。 正直、もう少し違う事を期待していた。 もしかしてMっ気があるのだろうか、だとか、身体のある一部に激しく執着してしまう、だとか、匂いに反応するだとか、もしかして感じやすくなった、みたいな、そう、もう少し、ほんの少しだけ、そんな性癖が生まれたのだろうかなんて楽観的に思っていただけに、正解のリアクションを用意していなかったのは当然の事。 えぇ… (や…でも、な…) 帆高は男だ。 そんな本能が動いてもしょうがないのかもしれない。こう言っては何だが経験の多い自分が帆高を抱くものだと思っていたがそれはただの僻見だ。 だとしたら、 「ーーほた、」 「け、けど、俺、その、り、律さんになら何されてもいいな、って、つーか、されたいな、なんて…思い始めまし、て、」 「は?」 発された聞いた事の無い低い声は律から。
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