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―――――――へ…、
「ぇぇぇぇええええ、っくしゅんっ!!!!!!」
「風邪か?感染つりたくねーから近寄るなよ」
「ちげーわっ!!」
ずずずっと鼻を啜りながら、まだむず痒いと大貫は口元を動かす。
「噂されてんな」
「アイツ肩にズワイガニ乗せたみたいになってる、とか、そんなん?」
「せめてそこは戦車にしとけよ」
こちらも学内にあるカフェで昼食中。
人気のミートチーズホットサンドを食べる律の前では茹でただけのムネ身とキャベツにブロッコリーを機械のように口へと放る大貫は相変わらずと言ったところだ。
「―――で、どうよ」
「何が?」
「公文との日々、ってやつ?」
「お陰様で、って感じ」
「あぁ、そう」
――――まぁ、尤も話を聞かずとも見て分かる、と言うもの。
雰囲気もそうだが、それ以上にその顔付きとでも言うべきか。
ほんの数か月前までは、何を見ても面白く無い、楽しくも無い、全部が面倒臭いから誰も近づくなオーラを遺憾なく発揮、眉も眼も口元も決意の固いニート並みに一ミリも動く事も無かったというのに、今ではそんな殺伐とした空気も無く、時折公の場でも笑う事も増えた。
恋が人を変えるとは聞くけれど、まさに目の前で証明された気分の大貫は小さく息を吐く。
(まぁ、その代わりと言っちゃあ何だけど…)
今迄ちょっと怖くて得体が知れないミステリアスなイケメン、だったのが微笑めばただの王子、今までのは世を忍ぶ仮の姿だったのではなんてうがった見方をされるようになり、また違ったタイプの女性からも露骨に好意を寄せられる様になっていたりするのだから、律にとっては有難迷惑な話だろう。
―――――そして露骨と言えば、
「お前、サークルも辞めるって本当か?」
「うん、面倒だし」
あっさりとそう答える律の笑顔は曇り等ひとつも無い。
「サークルなんて出る事も無かったし、これから先も絶対に必要はねーよ」
「…へぇ、まぁ、俺もあまり必要性を感じなくなってたし、抜ける予定ではあるけどな」
飲み物は白湯。自分の家から用意した水筒は最近購入した物の中で大貫のお気に入りの物だ。
「お前って大人数でわいわいするのが楽しくて俺を誘ったんじゃなかったのか?」
「そう、なんだけどさ。何か別にこれをやろうって決めて行動する事なんて飲み会くらいでそれ以外はダラダラくっちゃべってるだけだし。俺も必要性を感じなくなった、って言うか」
「ふぅん」
律と大貫。
二十歳を超えたとは言え、まだ学生。社会人のように苦手な人間でも仕事上付き合わなければならないと言う訳でも無い。
数年後には嫌でもそんな付き合いだらけの世界が待っているのだから、だったら今だけでも気の置けない人間と有意義な時間を持てる付き合いを重視しようとしているのかもしれない。
最後の一切れのホットサンドを体内に収めると律は手の先をナプキンで拭う。
「…弁当にしようかな」
「は?何お前も俺みたいに持参すんの?」
「お前みたいな第二のカーネルサンダースになりてー訳でもコオロギみたいな主食になりてー訳でもないわ」
「ひどくないか?」
「普通に節約って言うか、俺が作ったり帆高に作って貰ったりとか、全然ありかなって」
「………」
節約。
まさかこの男からそんな言葉が飛び出すなんて。
何だかんだと資産家の祖父に両親共にバリバリの仕事人間。そんな環境下にあると言うのに本人も株を片手間に余裕を持ってやっているような男が、節約なんて。
それが手始めに手作り弁当?
「……へ、え」
何のリアクションも出来ない。
空になったタッパーを鞄へと詰め込み、大貫はチラリと律を見遣る。
(もしかして、だけど、)
将来の事を、考えている?
帆高との、未来の事を。
(え…えぇー…)
思わず両手を口元に当てる少女のようなポージングになってしまう程に此方が照れてしまう。
マジじゃん。
本気と書いてマジじゃん。
真剣と書いてマジじゃん。
高校時代のフットワークの軽かった律に戻ったのかと思ったが若干違うらしい。
軽いどころか、重い。
こんなに人を思える気持ちがこの男にあったのだなと初めて思えてしまった。
菜穂と付き合った時も驚きはあったが、それ以上と言うか、比べものにもならない程に帆高に対する思いはかなりのヘビー級だ。
あの平凡そうな男の何が良かったのかは正直分からないところだが本来恋とは説明出来る訳でも計算して答えを出す訳でも無いのだと改めて感心する。
漢字のように書き順があって完成するようなものならばこの世はオールハッピーだな、と。
(ーーあ、)
そこまで考えて、思い出したように大貫は白湯をひとくち。
「そういえば、さ、菜穂ちゃんだけど」
「何?」
「しばらくはすげー恨めしそうに見たりしてたけど、最近は合コンに勤んでるんだと」
「へぇ」
クスッと笑う律の仕草からは感情は読み取れない。
いや、感情はそこに無いとでも言うべきか。
「どうやらお前よりも良い男を見つけるんだと」
「わぁ。俺は努力して帆高には行かせないようにしないとな」
良い男を捕まえたと言う理由は半分は本気で、もう半分はきっとまた律が気に掛けてくれるかもしれないと言う叶う事ない動機が含まれているのだろう、と大貫は予測する。
菜穂の恋は律にとって恋では無かったなんて可哀想に。
恋をした事が無かったから恋に気付けなかった男はこうして初めての感情にようやっと追い付き楽しんでいる。
彼女が欲しかった束縛も嫉妬も、結局全ては帆高だけのものだったらしいーー。
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