27人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ
天使様と別れの時間
約束通りフェイは昼食に誘ってくれた。最近流行の野菜料理を出す小綺麗な食堂はローラがふらりと入るにはいささか高級感がありすぎる。おそらくは貴族や上流階級の人を相手にした店なのだろう。菜食主義者向けの店で、メニューには一切の肉料理がない。
ここでもフェイは事前に料理を予約してくれていたらしく、すぐに料理の用意がされる。
料理が並べられても、ローラは落ち着かない気分のまま過ごすことになった。
フェイが気を遣っていろいろ話をしてくれているのに、殆ど頭に入ってこない。自分でも驚くくらいがちがちに緊張してしまっていた。
「あー、ごめんね。もうちょっとくつろげる店の方がよかったね」
困ったような表情を見せるフェイ。
けれども、きっとこの緊張はお店が高級すぎるせいだけじゃない。
「いえ……こういうお店は一人だと来ることはないと思うので……」
誤魔化すようにそう口にしたけれど、それもまた事実だ。こんな高級店はローラには縁がない、はずだ。母は好みそうだけれど、ローラはもう少し気軽に入れるような喫茶店くらいが丁度いいと思う。
やっぱり、貴族であるフェイトはそういう感覚が違うのかもしれない。
「やっぱこういう店って肩が凝るよね。リオに騙されたかな……最近流行ってるって聞いたから予約したんだけど……」
フェイは困ったように言う。
また困らせてしまった。
罪悪感で息が詰まりそうになる。
昼食に誘ってくれたと言うことは、つまり彼はもうすぐ領地に帰ってしまうということだ。そうしたら、もう会えなくなってしまう。
せめて、最後の時間くらいは彼を困らせず、いい子だったと記憶に残して欲しいと思うのに、既に困らせてしまっている。
訊ねるのが怖い。けれども、覚悟を決めないといけない時期だ。
「あの……」
口を開いて、結局戸惑ってしまう。避けられないとはわかっていても、やっぱり彼の口から聞くのが怖い。
「どうしたの? そんなに改まらなくても、いつもみたいに力を抜いて、ね?」
優しい笑みを向けられると少しだけ安心する。
彼の笑みが好きだ。とても眩しくて輝いて見える。
今この段階でも、彼は間違いなくローラの天使なのだと確信できてしまう。
そう、彼はローラだけの天使だ。だったら、大丈夫。天使様はたとえ離れていても見守っていてくれる存在だから。
「あの……天使様は……いつ帰ってしまわれるのですか?」
せめて、お見送りくらいはしたい。そう思って訊ねた。けれども彼は黙り込んでしまう。
数秒、もしかしたらもっと長い時間だったかもしれない。フェイはだまり、一瞬顔を伏せ、それから少し困ったように笑う。
「あー……実は……今夜立つんだ」
とても言いにくいことを口にすると言うような口調で、もしかすると彼はなにも言わずに帰るつもりだったのかもしれないとさえ思える言い方だった。
「今夜?」
それではお見送りの品を作るには間に合わない。
「……その……ローラとの別れは辛いから……夜のうちに立とうと思ったんだ。数日は寂しがってくれるかもしれないけど、きっと……またすぐにいつもの日常に戻るよ」
あの時と一緒だよと彼は言う。
あの時とは、たぶんもうローラが覚えていないような子供の頃の話だろう。
「……そんな……」
どう、反応していいかわからない。
ひどく裏切られた様な気分だ。
あれだけ求婚してくれたのに、こんなに突然、それもなにも言わずに消えるつもりだったのだろうか。
結局、フェイから見ればローラは記憶の断片しか残っていないほど昔の幼い子供のままなのだ。
「……フェイ様は……意地悪です……」
こんなことを口にしては困らせてしまうとわかっている。けれども、言葉は勝手に口から飛び出してしまう。
「優しかったり温かかったり……私にたくさん楽しい素敵な時間を下さったのに……そうやって、全部夢だったと思わせようとするなんて……」
それとも、それはフェイが天使故のことなのだろうか。人間と感覚が違いすぎてこんなに残酷な仕打ちをしようと……。
「ローラ……」
フェイは一瞬傷ついたという顔を見せる。
いや、傷つけてしまったと考えたのかもしれない。ローラを傷つけてしまったことに彼自身も傷ついたとでも言うのだろうか。
「……ごめん。でも……君だって残酷だよ」
彼はそう口にして、既に冷めてしまった料理を口にする。
まるで平常心を取り戻そうとでもするように。
ローラもそれを見習って食事を始めた。けれども、なにも味なんてわからない。
それ以上、会話はなにもなかった。
たぶん一生のうちに二度と訪れることがないような高級な店だったはずなのに、料理の見た目も味も、それどころかお店の内装すら一切記憶に残らないまま、あの傷ついたフェイの表情だけが鮮明に刻まれた状態で家に送り届けられる。
「……じゃあ、ローラ……その……ごめん。俺も……身勝手だった」
一度なにかを言いかけ、戸惑い、それから悔やむような言葉を残し背を向けた彼に、なにも言えない。
言葉が浮かばなかった。言いたいことはたくさんあるはずなのに、口から発するべき言葉が選べない。
ただ息だけが漏れてしまう。
まるで逃げるように店内に駆け込み、そのまま階段を上がって自室に飛び込む。
余所行きの服を着替えもせずに寝台に飛び込み枕に顔を押しつけた。
「……酷いわ……」
もう、我慢できない。彼の前で必死に抑えていた涙が次々に溢れ出してしまう。
あんなに好きだって言ってくれたのに、何度も求婚してくれたのに……挨拶もしないで消えてしまおうとした。
弄ばれたような気分だ。
好きになったのは自分だけだったのだろうか。
好きになった?
自分の考えに驚いて、そして気付いてしまう。
今のローラはただいじけているだけだ。ずっと慕っていたお兄さんに突然見捨てられたような、裏切られた様な感覚になっている。
いや、違う。
たぶん……。
「……天使様が……フェイ様が……好き……」
言葉に出せば、ただぼんやりとした輪郭を感じる。
この感情はまだ曖昧だ。つまり世間で言う恋愛だとかそういう感情なのか、ただの憧れなのか理解できない。
だけど、彼はローラを残酷と言った。それはつまり……いつまでも答えを出さないローラに傷ついているという意味なのではないだろうか。
そう思うと、せめてちゃんと謝るくらいはしなくてはいけないと思う。
仰向けになって涙を拭えば、天井画の天使様と目が合う。
この絵も……フェイなのだ。
もう、昔のように彼を忘れることなんてできない。部屋にある沢山の絵が……彼と結びついてしまう。
彼が去ってしまったら、幸せな想い出がこの胸を深く傷つける。
そう考えると落ち着かない気分になった。
また、自分のことばかり考えている。だからフェイを傷つけてしまうのだ。
寝台に座り、壁に掛けられた絵を見る。リオに譲って貰った絵だ。黄と赤の中の天使様。たぶん、この光景を覚えている。
幼い頃に、この光景を見たはずだ。
どうして彼を天使だと思ったのだろう。
ただ、この光景の中でも同じことを考えていたと思う。
きっと、十年先でも、彼を見たらやっぱり天使様だと感じるだろう。理由はわからない。もしかすると、ただ、彼の纏う空気がそう思わせているのかもしれない。
そう、考えていると、店の方が少し騒がしい。
父の声だ。なんというか、不自然に張っているような響きに思える。
「フェイくん、ほんとにいいの?」
思わず部屋から出れば、よりはっきりと会話が聞こえる。まるで舞台役者のように全員に聞かせようとしているようだ。
「よくは……ないけど……でも、流石にこれ以上は……うん……」
どうやらフェイが来ていたらしい。父の声に意識を向ければ小さいながらもフェイの声が耳に入ってしまう。
なんの話だろう。
「悪い男だね。うちの愛娘を弄ぶのかい?」
芝居がかった不自然な発声を止め、父が問う。それでも彼の声はよく響いて聞こえた。
「……俺は、悪い男だから……純粋なローラを騙したんだよ。だって、俺は天使なんかじゃないのに……ローラは……」
それ以上は聞きたくないと拒んでしまう。
きっと悪い相談をしているんだわ。お父様にも失望した。
ローラは部屋に戻ってサリエルを抱きしめる。
結局、酷いのはどっちだろう。
そう、考えているうちに、怒鳴り声が聞こえた気がする。これはたぶん母の声だ。
「もう二度と顔を出すんじゃないよ!」
一体なにがあったのだろう。母が激高しているように思えた。
慌てて階段を降りれば、フェイの姿はない。
「なにがあったのですか?」
思わず、父に訊ねる。
「あ、いや……うん。フェイくん帰るって……その……もう、王都には来ないって」
父は気まずそうに言う。本当はこんなこと言いたくなかったとでも言うような様子だ。
母が追い出してしまったから。それだけじゃない。
王都に来ないなんて別の理由がある。
まさか。
思わず店から飛び出す。丁度、見覚えのある馬車が走り出すところだった。
「待って!」
思わず叫ぶ。
今、彼を追わないと一生後悔するような気がした。
今追わないと、ローラの人生の軸が、信じ続けていた物が、信仰が崩壊してしまう。
違う。
ただ、彼に行って欲しくないだけだ。
まるで幼子が駄々を捏ねるように。
「待って! 行かないで!」
気がつけば走り出している。
今日選んでいた靴は気取ったお店に行くためにいつもは履かない踵の高い靴だった。お世辞にも走りやすいとは言えない服。それでなくてもローラは運動があまり得意ではない。
けれども必死に走った。途中でよろけそうになっても。
馬車になんて追いつけるはずがないのに。そんなこと、考えもしないで。
途中で靴が脱げてしまう。けれども必死に走った。
「待って! 天使様!」
行かないで。涙が溢れてしまう。
もう、息も限界で、走ることも叫ぶこともできない。
いつの間にか抱きしめていたはずのサリエルもどこかへ放り投げてしまっていた。
それでも、乱れた呼吸のまま叫ぶ。
「フェイ様! 行かないで下さい!」
とうとう、その場で転んでしまった。自信作だった余所行きの服は丈夫な生地ではないから、たぶん破けてしまったと思う。
もう、呼吸も限界で、立ち上がることも、前を向くこともできない。
ただ、涙が溢れて、その場で泣きじゃくる。
「行かないで……行かないで……ずっと一緒に居てよ……」
子供みたいにすすり泣いていると、なにかが髪を撫でる。
「……ごめんね。ローラ……まさか転ぶまで走って追いかけてくれるなんて思わなかったよ……」
声に驚いて見上げれば、涙で滲んでは居るけれど、白い大きな翼が見える。
「……天使……さま……」
絵画の中の天使様がそのまま抜け出してきたのかと思った。
「……そこはフェイ様と呼んで欲しかったところだけど……って、あれ? この羽根どこから……」
声の主は舞い落ちる羽根の出所はどこかと視線を動かし、それから大袈裟に驚く仕種をする。
「あれ? え? どうなってるの? 俺……鳥だった?」
とても困惑している様子だ。
「……フェイくん、締まらないにも程があるよ……ローラの魔力は知ってるでしょ」
呆れたような父の声。
一体なにが起こってるのだろう。
「あの……」
涙を袖で乱暴に拭いながら父とフェイを見比べる。
「ローラ、泣くほど俺と離れたくないって思ってくれたってことでいいんだよね?」
フェイの大きな手が、手を引いて起き上がらせてくれる。今更膝を擦り剥いた痛みを感じたけれど、そんなことは些細に感じてしまうほど、困惑している。
「あの……私……」
本当に天使様が天使様だった。それよりも……行ってしまったはずなのにどうしてと訊ねようとしたのに言葉が出ない。
「ローラが追いかけてくれたの……凄く嬉しい。ローラ、俺と結婚して欲しい。やっぱり、君を置いていくなんてできない」
しっかりと手を握られ、揺らぐ瞳に見つめられる。
「え? あの……」
「あー……酷いことをしたのはわかってる。でも……君を諦められない」
親の前だというのにしっかりと抱きしめられてしまい恥ずかしい気持ちと困惑がせめぎ合っている。
「このまま君を連れ帰りたい」
その言葉は本心なのだろうか。
まさか両親の前でこんな冗談は口にしないだろうという気持ちと、彼の言葉を信じ切れない気持ちがある。
それに気がついたのか、父が近づいてフェイの肩を叩いた。
「まずは、一度戻ってローラの手当をしようか。それと、かわいそうなサリエルも」
その言葉でようやくサリエルを放り投げてしまったことを思い出す。
折角おめかしをしていたサリエルはすっかりどろんこになってしまっていた。
「あ、サリエル……ごめんなさい……」
思わず謝る。いつも一緒だったはずのサリエルのことまで忘れてしまうなんてどうかしている。
「ジョージィ……約束通り、俺はこのままローラを攫っていくよ」
フェイが父を見る。その声には冗談なんて混ざっていないように聞こえる。
「……まずは、ローラの手当が先。それに、ローラが混乱しているよ」
約束とはなんだろう。
泣きすぎたせいか働かない頭のまま店まで運ばれる。
子供に戻った気分だ。
うんと小さい頃にも膝を擦り剥いて誰かに運ばれたような気がする。
「……てんし……さま?」
赤と黄の中で……とても綺麗な天使様を見た。
「……俺は天使なんかじゃないよ。でも、どうしてか、ローラはいつも翼をくれちゃうんだよね……」
フェイは少しだけ困ったように笑う。
「翼?」
「これ、ローラの魔力で出来てるみたいなんだけど……どうやったら片付くかな? 実体があるっぽいからいろんなところにぶつけちゃいそう」
フェイの視線が彼の背の方へ向く。確かに、大きな翼が生えている。どうやら幻覚ではなかったらしい。
「ローラがずっと俺の事を天使だって信じてくれたから、だとは思うけど……ごめん、動かし方がわからないからたぶん飛べないと思う」
それより仕舞い方がだとか、服に穴は開いていないかだとか、そんなことを気にし始めてしまう。
「フェイくん……かっこつかないにも程があるよ……ほら、ローラ、おいで。膝の手当をしよう」
まるで没収とでも言うように、フェイの腕からひょいと父の腕に移動する。その背後には手当の道具を用意した母の姿があった。
「まったく……またローラに怪我させて」
母がフェイを睨む。
「ご、ごめんって……悪気はないってか怪我させるつもりはないんだって……けど……まぁ、俺がちゃんと見てなかったのが悪いってことでしょ?」
フェイは母には全く勝てないと拝むようにして謝る。
「また?」
不思議に思って首を傾げると、消毒液が傷口に沁みて思わず呻きそうになる。
「あー、ローラは覚えていないかもしれないけど、前の店に居た時もね、フェイくん結構遊びに来てて、ローラがまだちっちゃかった頃、滅茶苦茶忙しかったときにフェイくんに預けたことがあったんだよ。そしたら、ローラが転んじゃってね。子供なんて怪我をする物だと思うけど、マリーはそれが気に入らないって……うん。しばらくフェイくん出入り禁止になったんだ。いや、あのあとすぐにローラを嫁に欲しいって言い出したからだったかな?」
手当をしながら、懐かしむように笑う父を見て、あの黄と赤の景色を思い出す。
「天使様にお会いしました」
「あー、そう言えばそう言っていたね。教会の天使像にそっくりだったからかなって思ったのだけど、やっぱり、あの天使様はずっとフェイくんなんだね」
忘れていた。けれども忘れていなかった。
私をずっと見守ってくれていた天使様はもう一度姿を見せてくれたのだから。
「俺は今でも変わらないよ。ローラに俺の嫁さんになってほしい」
真っ直ぐ見つめられればもう、断る理由が浮かばない。彼が去ってしまうと思っただけであんなに苦しかった。自分では知らないほど体が動いてしまった。
「……はい……私でよければ……」
そう答えた瞬間の彼の反応は予想とは全く違った。てっきりいつもの少し軽いノリで喜ぶのかと思ったら、まるで自分の耳を疑うように硬直して、それから数秒真面目な顔になる。そして、とても驚いた様子を見せ、口元を手で隠ししゃがみ込んでしまう。
「……マジで……え? これ夢? え? ねぇ、マリー、ちょっと、俺の事蹴ってよ……現実かどうか……」
とても動揺しているようにも見える。
「……人の妻にヘンなこと頼まないでくれるかな? 蹴られたいなら俺が思いっきり蹴ってあげるよ?」
「……うん。お願いします」
まさかお願いされると思わなかったであろう父は呆れを見せ、それから立ち上がり、蹲ったままのフェイの肩に足を乗せる。
「現実だから。俺の娘がやっと決心したって言うのに……いい加減にしろ」
にこやかに笑っていたはずの父が、普段からは想像もつかないほど低い声を発したかと思うと、そのまま思いっきり踏んだ。
「ぐっ……肩外れたかも…………ジョージィ……相変わらず……もう絶対ジョージィには喧嘩売らない……」
相当痛かったらしい。肩を押さえて床に倒れ込んでしまう。
「ローラ、本当にこんなかっこ悪い男でいいの?」
心配するように訊ねられる。
「えっと……」
「今ならまだ間に合うよ? レオの後妻になる?」
あっさりととんでもないことを口にした父に驚く。
フェイでさえかなり年上だというのに、後妻なんてことになれば相当歳の離れた人ではないだろうか。やはり父も金持ちの貴族に嫁がせたいと思っているのかもしれない。そう考えると悲しくなってしまう。
「あ、冗談だって……それにね、ローラ、一応フェイくん俺の要望もマリーの要望も満たす好条件なんだよ? ちょっと自分のこと好きすぎるけど」
そこが最大の問題だけどと父は続ける。
「こんなんだけど、マリーが望む大金持ちの貴族様だし、こんなんだけど、そこそこ商売も上手い。それに、なにかあったときローラを守れるくらいの実力はあるはずだし……うん。こんなんだけど……」
「ジョージィ……さっきから酷くない? 俺、これでも一応由緒あるルチーフェロ家の当主なんだけど……」
反論しようとしたフェイは、自分で「これでも」と言ってしまったことに気がついていないようだ。それが面白いのか両親が揃って笑ってしまう。
けれどもそれが強い信頼関係にあるのだと思わせた。
「ほんっと、ローラは男を見る目がないとは思ったけど……ここまで馬鹿なら悪いことは出来なさそうだね」
母の言葉にフェイは蹲ってしまう。
「ねぇ、二人とも、流石に酷くない? 俺だって……俺なりに頑張ってるっていうか……とりあえずローラに苦労させないだけの地位と蓄えはあるからそれで勘弁して下さい……」
まだ消えない翼が心なしかしょんぼりとしているようにさえ見える。
「ねぇ? ローラは俺を選んでくれたんだよね?」
「え? あ、はぁ……」
「え? 俺の嫁さんになってくれるって言うのは……やっぱ俺の妄想からの幻聴だった?」
このところ毎晩夢に見たせいで現実との境がわからなくなってる? などと悩む姿に驚いてしまう。
「……いえ……その……もっと……いつもの天使様かと思ったら、反応が違いすぎて……」
全く想像と違ったから驚きすぎて反応に困ってしまった。
「え? じゃあ……ローラ、俺と領地に来てくれる? 王都みたいな華やかさはないけど、比較的穏やかで過ごしやすいところだから。あー、冬はすんごい寒いし退屈だから王都に戻ってきてもいいし」
でも夏場は快適だよと必死に好条件を並べるのはまるで商人のようだ。
「……あの、いきなり行ってご迷惑ではないでしょうか?」
普通結婚というのは準備が必要なはずだ。
「俺の方はいつでもローラを迎える準備は出来てるよ。いつかローラをお嫁に貰った時のために改装に改装を重ねた部屋が」
「……本当に小児性愛者じゃないか不安になるな……」
父は呆れた顔を見せる。
「……やっぱり、結論を早まったかしら?」
「うーん、レオの後妻になった方が安全な気がするなぁ」
両親が顔を見合わせてひそひそと相談を始めてしまう。
「ちょっと、ジョージィもマリーも酷いよ。俺、もうほんとにローラのこと貰ってくよ? もう絶対手放さないから! ローラ、サリエル以外の必要な物は後で送って貰えばいいよ。行こう。ここに居たらあの二人にどんどん苛められそうだ」
半分涙目になって言うフェイはきらめく化粧が剥がれ掛かっている。まるで幼い子供同士がじゃれているように見える大人三人に驚きながらもローラは椅子を引っ張り出して腰を下ろした。
「えっと……結婚には親の許可が必要になるので……困りましたね」
もう見守ることしか出来ない。テルプロミーズの法では娘の結婚には親の許可が必要だ。親が居ない場合はその代わりの人間の許可が。
「え? ローラ? 俺の味方してくれるんじゃ……」
「天使様と一緒に居たい気持ちは本当ですが……その……急過ぎて……」
まだ心の準備はできていない。
いや、ただの言い訳だ。
フェイはずっと前から求婚し続けてくれていたのに、それをずっと先延ばしにしてきたのはローラだ。
「フェイくん、どうせそんなに急いで領地に戻る必要ないんだからもう一週間くらいこっちにいなよ。俺だっていきなり今日かわいい娘を連れて行かれるのは嫌だし、花嫁衣装の試着補正くらいはしておきたいし」
父の言葉に驚く。
急いで戻る必要がない?
それよりも、花嫁衣装の試着補正ってことは……。
「お父様……いつの間に……」
「いやぁ、怪我してちょっと作業遅れちゃったけど、フェイくんがあんまりにもしつこくローラが欲しいっていうからね。仕方ないかなって。諦めの悪い男なんだよ。軽く見えるくせにね」
つまり、かなり前から嫁に出すこと前提で動いていたと言うことだろう。
「え? じゃあ……お母様も?」
「まぁ、ローラが懐いているのは知っていたし……この気の小さい男ならそうそう悪事は働けないからね」
それでもまだ少し不満があるという様子の母を父が優しく抱き寄せる。
「マリーが見事な刺繍を刺してくれたよ。あのドレスは間違いなくうちの最高傑作だ。本当なら半年くらい準備期間が欲しいところなんだけどね」
そう笑う父の姿がぼやけてよく見えない。
二人とも、ローラの幸せを確信してくれている。
「あ、でもフェイくん、嫁入り前に手を出したらその羽もぎ取るから」
「もぎっ……いや、出さない。……出しません。俺だってローラのことは大事にしたいから、ローラに会わせてのんびりゆっくり……うん、この先もローラの天使様でいられるように……最大限の努力はします」
時々翼を気にしながら、ちらりとローラを見る。
「一生大事にするから」
「……はい……」
彼が言うならきっとそうしてくれるのだと信じられる。
白い翼があるからだろうか。いや。翼がなくなってそれを信じられる。
優しく微笑まれるとそれだけで胸の奥が温かくなる。
その姿が、やっぱりいつか見た天使様と重なった気がした。
最初のコメントを投稿しよう!