天使様と未来の予感

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天使様と未来の予感

 美術館で沢山の芸術と触れたせいか、それともフェイとの外出に刺激されたからなのか、ここ数日、ローラはとても捗った。つまり、とても手が進む。  一週間も経った頃にはフェイの為にデザインしたスカートを殆ど仕上げてしまっていた。それに加え、新しいデザインも。  自分の為の服を作ることも勿論好きだ。今回は作業場に飾られた天使画に刺激され、普段はあまり使わない色合いを水彩画のようにぼかして染めた上着を作った。何色かと問われると難しい色だ。青とも緑とも言えない色に黄色と紫が混ざっている。それを少し男性的な肩で、そして袖は少し幅広く作った。外出用だ。それと同じ色で染めたスカートも作った。悪くない出来だ。スカートだけなら作業場でも問題ない。上着を椅子に掛けて作業するのも悪くないかもしれない。  仕上がったばかりの服を着て、店番に出る。  流石に今日は人が少ない。しばらくは大きな催しもないのだろう。  アンダーソン洋品店は元々貴族の顧客が多かった。けれども近頃は大衆向けにも力を入れている。つまり、既製服だ。貴族相手の仕立てでもそこそこ名は売れているが商機は多い方が良いというのが母の考えで、貴族向けの高級路線はそのままに、貴族の流行から少し遅れた大衆向けの既製品も用意する。そうすることである程度型紙も流用できる。安く提供するためのからくりだ。とは言っても、誰でも買えるような品ではない。あくまで、高級品なのだ。 「ローラ、いいのを作ったね」  店番用の手仕事支度をしていると、父に声を掛けられる。 「はい、いい色が出ました」  染は久々だったけれど、気に入った色が出たのは嬉しい。 「ローラは本当に物作りが好きだね」  そう言う父は嬉しそうだ。怪我も治り大分手が動くようになってきた彼は仕事慣らしの真っ最中で普段は新入りにさせるような単純な裁断や直線縫いで勘を取り戻している。 「普段ならそろそろフェイの屋敷で夜会が開催される時期なんだけど、今年は見送るみたい」 「え?」 「王都の屋敷を引っ越したばかりで内装が間に合わないと言うのが本人の言い訳だけど、単純に面倒なだけだと思うよ。着飾るのは好きだけど夜会はあまり好きじゃないんだ」  父は楽しそうにそう言って、フェイの屋敷がある方向を見る。  ここからは見えなくても、ローラもその建物は知っている。中に入ったことはないけれど、外から数回見たことがある大きくて立派な屋敷だ。一目で貴族の屋敷だとわかる。 「賑やかなのは好きだけど、堅苦しいのは苦手だって」 「ふふっ、フェイ様らしいですね」  彼の人柄は、纏う空気そのものをいう印象。何気ない父の話ひとつでも好感を抱く。 「今日は……フェイ様はいらっしゃるのでしょうか?」 「どうだろう? 気まぐれなところがあるから」  急がないとは言われているが、仕上がったスカートを納品した方がいいだろう。一応約束の十点は既に仕上がっている。ただ、それとは別にここ数日で湧き出したデザインを全ては形にしきれていない。できればデザイン画も見せたいところだ。  彼の別邸は本当にすぐ近所。歩いて行ける距離だ。しかし約束しているわけではない。急に押しかけては迷惑だろう。 「フェイに会いたい?」  父がからかうように訊ねる。会いたいと言えば会いたい。けれども、たぶん父が想像するような意味ではない。 「約束の品が仕上がっているのでお届けしようかと思ったのですが……急に押しかけては迷惑でしょうし……でも、少しでも早く見て頂きたいような……」  彼が来ないととても寂しい。それは事実だ。けれども彼は、父の友人で店の得意客だ。ローラから会いに行っていいものなのかと悩んでしまう。  店の方が都合で客を呼び出すなんてとんでもないことだから。 「まぁ、可愛い娘が寂しがっているしね。ちょっと待ってて」  父は上着を手に取り店を出る。従業員に声も掛けずに出て行ってしまったことに困惑するが、きっとすぐに戻るということなのだろう。  ローラは少し落ち着かないまま裁縫箱を開けて刺繍針をとる。付け襟に刺繍を入れようと思って用意していた。  付け襟は近頃庶民に人気だ。アンダーソン洋品店は高級路線の店ではあるが、その中でも比較的低価格帯の商品で、一目でこの店の品だとわかる図案が入っている。しかも手持ちの服に組み合わせて使える。つまり、なんでもいいから一点くらいこの店の品を持ちたい人にはぴったりの品物だ。高給取りでなくとも少し背伸びをすれば買える。  ローラはすっかり刺し慣れた図案をひと針ひと針丁寧に刺していく。  そう言えば、母がそろそろ二号店を出したいと言っていたことを思い出す。母は野心家だ。本店が引っ越したばかりで建物も広く、以前より従業員も増えたけれど、いずれは他国にも店を出したいという野望があるらしい。そのためにも国内での事業拡大は重要になる。  けれども、元は家族経営の店だ。確かに両親ともに優れた職人だ。父は祖父の代から真面目な仕事をしているし、母は貴族相手に商売を成功させてきた。しかし、だからといってこの先拡大して成功するとは限らない。競合店が増えてきている。  両親の仕事は確かに認められている。けれども、昔ながらの手作業だ。技術は日々進化している。ローラは噂でしか聞いたことがないが、遠い異国では既に機械による大量生産で庶民も安く服を買うことが出来るらしい。安く手軽に買える服は数年で買い換える。ひとりの人間がたくさん消費してくれる。単価が安くてもたくさん売れれば利益が出る。そんな店がすぐ近くに出来たとき、高級路線のアンダーソン洋品店は生き残れるだろうか。  父が作る服は丁寧な仕事できちんと手入れをすれば何十年も着ることが出来る。母が作る服は斬新さの追求と確かな技術で芸術性が高い。けれども一夜限りの品ではなく、こちらもきちんと手入れさえすれば何年でも持つ。  貴族相手なら奇抜でもいい品が何度でも売れる。彼らは自分だけの奇抜な品を求め、見栄の為に何度でも買ってくれる。けれども庶民はそうではない。  仕事着ならば丈夫な良い品がいいだろう。けれども、安価な品が増えたら? 汚れる度に買い換えられるような安い品が溢れれば客はそちらに流れてしまうかもしれない。  奇抜な服ならば流行がある。流行というのはすぐに移り変わるのだから高価な良い品を長年着るよりはその場限りの安い服を、流行の移り変わりに合わせて安い品を買った方が常に流行の服を着られる。  もし、貴族も同じような考え方になってしまったら、アンダーソン洋品店の様な店は生き残れないかもしれない。  着る物はその人の人格を表す要だとローラは思う。自分をどう見せたいかを考え、他人をどんな人物なのか判断する材料にする。  もし、他国で始まったような同じ品を安価で大量生産するようになれば……そこら中同じような格好をした人だらけになってしまうのだろうか。  そう考えると、ローラは悲しくなる。  装いは自己表現だ。言葉には出来ない自分の内側を表現してくれる。  そんなことを考えているとうっかり指を指してしまった。太い針は見た目ほどは痛くはない。けれども品物を汚さないように気をつけながら、指をくわえて止血する。 「ごめん、ごめん! 遅くなっちゃった。お昼にはローラを誘いに来るつもりがレオに強制連行されちゃって……って、ローラ、指怪我したの? 大丈夫?」  丁度指をくわえている最中に少し慌てた様子のフェイが入ってきた。恥ずかしいところを見られて少しだけ気まずい。 「いえ、ぼんやりしていたら刺してしまっただけです。痛くはないのですが、品物を汚さないか心配で」  痛みはなくても血が滴ってしまうことがある。それは避けたい。  心配してくれた彼はいつもよりも余所行きと感じさせる装いで、化粧も煌めきが増量しているように思えた。 「今日はなにを作っているの?」 「付け襟に刺繍をしていました。庶民の若い女性に人気なんです」 「へぇ。ところで、ジョージィがローラが俺に会いたがって寂しがっているからとっとと来いって言ってたんだけど……本当? 俺に会いたいって思ってくれた?」  フェイは少し照れた様子で訊ねる。  一体どんな呼び出し方をしてしまったのだろう。 「えっと……その……スカートが完成したので……その……届けに行ってはご迷惑かと思ったのですが……結局父が呼びに行ってご迷惑をおかけしてしまってすみません」 「え? だってローラ、フェイが来ないってそわそわしてたでしょ」  父がまたからかうように言う。  そわそわ。そんな風に見られているなんて思わなかった。ただ、少しでも早く完成した作品を見て欲しかったし、実際に彼が着ている姿も見てみたかった。 「え? スカート出来たの?」 「あ、はい。その、こちらに」  陳列台の端に預かり品の札を掛けて吊してある品を示せば、フェイはまるで新しい玩具を与えられた子供の様に早足で棚に近づき、実際に手に取って見たり自分の足に当てて姿見で確認したりする。 「うわぁ、こんなにたくさん、頑張ったね。うん。いいな。これとか超気に入った。俺この色好きって言ったっけ? 中々出ない色だよね。勿論全部買うよ。色も付けさせて」  上機嫌な彼は値札も確認せずに言う。 「フェイくんいつもお買い上げありがとう。ついでにもうちょっといろいろ買っていかないかい?」  父はここぞとばかりに彼から搾り取ろうとしているに違いない。勿論、友人同士のおふざけもあるのだろうが、ローラはやっぱり落ち着かない気分になる。 「えー、どうしようかな。折角ローラが俺の為にスカートたくさん作ってくれたし……そうだな。このスカートに合わせたシャツとか上着とかなんかテキトーに作ってって言ったらまた何日か掛かっちゃうしなぁ。既製品からなんか探していこうかな。ついでにローラが今作ってるそれ、俺も使えそうなのある?」  どうやら彼は本当にいろいろ買ってくれるつもりらしい。 「こちらは女性用なので、天使様には小さいかもしれません」 「あー、首回りかぁ。残念。紳士用はないの?」 「紳士用はあんまり売れないんだよねぇ」  父は溜息を吐く。それから陳列台に吊された既製品の中からいくつかを手に取り、フェイに当てて比べている。 「フェイくんかっこいいからなんでも着こなせるとは思うけど、これとかどう?」 「またまた、おだててなんでも買わせる気でしょ? いくら俺だってそう毎回同じ手には乗らないって。あ、でもこれいいな。ジョージィも結構いい趣味してるよね。うん。いいな。あと、夏物いくつか注文しておこうかな。時期に着れるならそんなに急がないから領地まで送って。なんだっけ? 最近さ、なんか速達してくれる業者あるんでしょ? いやぁ、少し前まで魔術師頼りだった部分がどんどん安定化していくんだもんなぁ」  フェイはうんうんと頷きながら最近の技術はどうだとか話を進めていく。  その前に、彼は今、領地に送れと言わなかっただろうか。 「あの……天使様……フェイ様は領地に帰ってしまわれるのですか?」  思わず訊ねれば、彼は振り向く。  少しだけ、寂しそうな表情に見えるのはローラの願望なのかも知れない。 「うん。元々こっちには冬の間だけのつもりだったから」  そう、答えた彼の言葉にずきりと胸が痛む。  それは、つまり……もう、会えなくなってしまうと言うことだ。 「あれ? いつまでこっちにいるの?」 「うーん、そろそろ雪融けだしなぁ。本当は、ローラを連れて帰りたいところなんだけど……あーっ、俺の癒しが……やっぱリオにローラの肖像描かせておこうかな」 「こらこら、まだ嫁にやったわけでもないんだからそれは認めないよ」  二人の会話がどんどん遠くなっていく。  もう、会えなくなってしまう? それとも、また雪の季節に彼は王都に来るのだろうか。  とても強い衝撃を与えられた気分だ。胸が重く、痺れてしまう。  もし、彼と二度と会えなくなってしまったら……。そう思うと息が苦しい。 「ローラ? 大丈夫?」  すぐ目の前にフェイの瞳。グレイの瞳がとても心配そうに覗き込んでいた。 「えっと……はい……少しぼんやりしていて」 「ごめん、俺のせいだよね? 無理させちゃってたかな?」  作業量が多かったせいだと思われたようだ。 「いえ、とても創作意欲が刺激されて……新作の案もたくさん浮かんで……つい、夜更かし気味でした」  たぶん、ぐっと我慢しないと子供の様に行かないでと駄々を捏ねてしまいそうだ。そして、フェイは優しい。ローラがわがままを口にすればとても困ってしまうだろう。  大丈夫。彼がいなくても天井画の天使様が見守ってくれる。それに、リオに譲って貰った天使画もある。そう、ローラの周りには沢山の天使様が……。  そう、思ったところで、全て目の前の彼がモデルなのだと思い出す。  今まで、ずっとローラを見守ってくれた天使様はフェイが去ってしまったら、きっと寂しさと痛みをいつまでも思い出させてしまう。 「ローラ? 今日はもう休んだ方がいい。顔色が悪いよ」  父の声にただ、頷くことしか出来ない。  気付きたくなかった現実に気付かされてしまった気分だ。  一緒に居る時間が楽しくて、彼が居てくれるだけでとても安心できるから忘れてしまっていた。  フェイは貴族だ。自分の領地がある。彼はとても真面目だからきちんと自分の領地のことを考えて、領民の為に尽くしている。大切な領地のことを他人に任せきりにしたりなんて出来ない人だ。  王都にいる間はローラを優先させてくれていた彼は、領地に帰れば領民の為に頭を悩ませきっとローラのことなんて考える時間もなくなってしまうだろう。 「大丈夫、また会いに来るよ」  まるで、見透かされたようだった。  優しく頭を撫でられる。 「ゆっくり休んで。領地に帰る前に、一度君を昼食に誘おうと思っていたんだ。美味しい店があってね。だから、すぐに消えたりはしないよ」  優しい言葉に頷く。  けれども、つまりそれは残酷な別れの時期が近いと言うことを告げているのだった。
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