天使様は自分が大好き

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天使様は自分が大好き

 ひと針ひと針心を込めて、ハンカチに薔薇の刺繍を入れる。  近頃王都ではハンカチに刺繍と同じ花の香りを付けるのが貴族達の流行だ。もう、名前の刺繍は古いらしく、ハンカチと香水を一緒に贈るのが今時のやり方らしい。  別に刺繍には変わりないとローラは思うのだが、注文に来る人は花の出来にとても口うるさい。  ローラの息抜きだった刺繍はいつの間にか苦痛に変ってきている。  昨夜、少し夜更かしして、デザイン画を十枚仕上げた。天使様の服を作れるなんてそれだけで胸が高鳴ってしまう。  夜更かしをして色を塗っていると、大きな物音がして、ひとりきりだったローラは怖くなって裁ち鋏を手に階段を降りた。店舗の玄関に辿り着くと少し疲れたように笑う天使様と、よろよろになった父の姿に、驚き以上に安心したことは覚えている。強盗ではなかったと。  曰く、酔っ払った父が国王に怪我をさせてしまったらしい。しかも、よりによってキャンディワゴンによじ登ったのを国王自らが止めに入ったせいで怪我をさせたと言う。  なんてことを。強い目眩を感じた。  これは大事だと思うのだけれども、説教で済んだよと笑う天使様の言葉に少しだけ安心する。  それに、今、天使様はこの家に居るのだ。そう思うと、そわそわと落ち着かなくて、気を静めるためにも必死に刺繍を進める。 「それ、俺のためなら嬉しいんだけどな」  急に後ろから声がして、思わず刺繍枠を落としてしまう。 「て、天使様……」  神々しいほど輝く彼の姿に、視線がそらせない。 「俺は、天使じゃないよ。寧ろ、君を誘惑する堕天使かな。悪魔にはちょっとばかし美しすぎる」  彼はそう言って笑って、勝手に従業員用の椅子をローラの隣に持って来る。慌てて刺繍枠を拾い、手元に視線を戻すと、彼はゆっくり足を組んだ。 「ジョージィから、君を口説く許可は貰ったからね。まぁ、ダメって言われても口説きに来るけど」  彼は笑ってじっとローラの手元を見る。 「フェイ様は美しすぎる、とか刺繍してくれてもいいんだよ?」 「あの、これ……お客様の、注文のお品なので……」 「なーんだ、俺のじゃないのか。じゃあ、俺にも作ってよ。俺は名前入りがいいな。麗しのフェイ・ルチーフェロ侯爵で」  真面目な顔を作って言う彼に思わず笑ってしまう。彼は本当に自分のことが好きすぎるらしい。舞台の中の王子様だとでも思い込んでいるのかもしれない。  それでもそれが嫌味にならないというか、妙に似合ってしまう。  彼という人柄がその行動に嫌悪感を抱かせないのだろう。 「あれ? 俺、何かおかしなこと言った?」  きょとんとした表情で見つめられ、ローラはますます笑ってしまう。 「いえ……その、ご自分で、麗しの、とか言ってしまうので……天使様は、面白いお方ですね」  ローラが笑うと、彼も笑ってくれる。 「君が楽しいなら、俺は構わないけど、俺の名前は、フェイだから、君にもそう呼んで欲しいな」  でも、天使様って言うのも嫌いじゃないよと彼は付け足す。  変った人だ。それに、彼の傍はとても居心地がいい。 「ローラは、刺繍、凄く上手だね。刺繍って、ほら、すんごい根気が居るでしょ。俺はあんま好きじゃないな。できないことはないけど、一日中とかやってると体を動かしたくなっちゃってさ」 「ふふっ、父と同じことをおっしゃるんですね。父も、本当は体を動かす方が好きだから、刺繍の仕事は嫌だって。革の仕立ての方が好きだとも」  そう言うと、フェイも笑った。父のことを思い出したのだろう。気取りのない柔らかい笑みだった。 「うん、君のお父さんね、若いときはめちゃくちゃ強かったんだよ。騎士団からも勧誘来るくらい剣の腕も凄くてね。でも、家業があるからって仕立て屋になったんだ。あれは勿体無いなと思ったけど、仕立ての腕も一流だからね。今はこれでよかったんじゃないかなって思う」  彼はどこか懐かしそうに言う。とてもそうは見えないけれど、彼は父と歳が近いのだ。若作りと言ってしまっていいのだろうか。実年齢が信じられない程度には若く見えてしまう。 「父も若く見られますけど、天使様も、とてもお若いですね」 「え? そぉ? けど、もうみんな歳知ってるからさ、女の子はぜんっぜん近付いてくれないし、世間じゃ俺は男が好きってことになってるし、うん、近頃見合い話すら来なくなってさ」  金持ちなのに、貴族なのにと彼は言う。  変った人だ。  彼は、とても、面白い。少なくともローラは思う。傍に居る人を楽しくさせる天才なのではないかと。しかし、どこまでが冗談なのか少しわかりにくい人でもある。 「まぁ、おかげでローラに再会できたからいいかな」 「へ?」 「だって、結婚してたら王都の一等地に別荘なんて買えないしょ。奥さんはきっと着飾るのに忙しくて……俺の相手なんてしてくれないだろうし……」  ずーんと、彼は沈む。 「えっと……な、なにか、ありましたか?」 「いや、元カノに振られたときのこと思い出した」  彼は落ち込んだ様子で言う。 「え?」 「十七の春なんだけどさ、俺があんまりにも鏡ばっかり気にするから、思いっきりね、ばちんと俺の頬を叩いたの。すっげー痛かった。けど、とっさに出たのがさ、顔だけは勘弁してください、だったからますます怒らせちゃって。だったら一生鏡の前にいろって言われちゃった」  そういやまだスカート穿いてなかったっけと彼は懐かしそうに零す。ローラは笑えばいいのか、気の毒そうな表情を作ればよいのかわからずに、彼の話を黙って聞いて、続きを待った。しかし、元恋人との話はそこで終わりだったらしい。 「俺の領地、結構寒いからさ、冬場とかスカートの方が快適だったりするんだ」  確かに、彼の格好は温かそうだ。パンツの上に更にスカートを重ねているのだから。なんとなく、彼はふわふわとしたコートを着ていそうな気がする。色は、黒、かななどと考えて、ローラは思わず笑ってしまう。 「ローラ?」  不思議そうに見つめられ、少し恥ずかしくなり、刺繍に視線を戻す。 「えっと……天使様は、その……丈の長いお召し物の方がお似合いですね……あ、その、スカートのデザイン、いくつか考えたのですが……」  ローラは慌てて夜更かしして描いたデザイン画を出す。 「え? マジ? 流石、仕事速いね。マリーみたいだ」  フェイは身を乗り出してローラに近付く。ふわりと、彼の吐息が頬を掠めた気がするほどに、距離が近い。 「そ、その……ほ、殆ど、私の趣味みたいなものなのですが……」  いざ見せるとなると、途端に緊張して、そう、前置きをしてしまう。職人としては恥じるべき行為だろう。 「うんうん、楽しみ。俺、ローラの感性はかなり好きだよ。そうそう、こないだの花飾り可愛かった。なかなかあんな綺麗に翠を重ねた花飾りって無いし、あのふわっと軽い素材もいいよね。こないだって言ってももう半年前か。あの時、作った子に会いたいって言ったのに、ローラ熱出しちゃって寝込んでるって言ってたから、心配だったんだ。なんともなかった?」  どうやらフェイは次々に話したいことを思い出してしまうようだ。  軍神様に似てると、ローラは思う。軍神様も、彼のようにぐいぐいローラに近付いて、好き勝手に自分の話したいことだけ話して、時々強引にローラを連れ出そうとする。けれども、そんな彼女を嫌ってはいない。  どうも、ローラは、沢山話してくれる人のほうが、居心地がいいらしい。 「あの時……お会いできなくてとても残念でした。だって、私の作った髪飾りをそんなに気に入って下さる方がいるなんて……」 「あれはね、もう一目惚れ。やっぱさ、服とか装飾品ってこう、見た時の衝撃とひらめきが全部だと思うんだ。だから、俺は、俺に似合うものを瞬時に見つけ出せる。あー、今日もあの髪飾りにすればよかったかな。でも、ローラの前では、結わないままの髪を見て欲しいかな」  彼はそう言って長く軽い茶の髪をぱらりと手で崩す。  綺麗。  とてもよく手入れをしているのだろう。さらさらとした髪だ。  けれども、彼を見て不思議なことがある。  装飾品は、布か革ばかりなのだ。 「天使様は、金属のアクセサリーは身につけられないのですか?」  ブローチなどで少し見かけるくらいで、あまり金属が無い。 「あ、俺、金属ダメなの。こう見えて結構繊細に出来てるんだよーなんて。だからね、結構大変なのよ。食事の時もね、出来るだけ木のスプーン使ったりとかね。まぁ、金のカトラリー使えば済むんだけど」  よそじゃ中々そうはいかないと彼は言う。 「一番困るのは、剣かな。まぁ、柄に色々工夫はしてるけど、念には念をと革の手袋したりとかね。ジョージィは初めてそれを見たとき、俺がびびり過ぎてると思ったみたいだけど、お肌に悪いことはしたくないし」  自分の頬に両手を宛てて言う彼に、思わず笑ってしまう。  かなり大変なことだろうに、彼はローラを笑わせようと気遣ってくれているようにも思えた。 「まぁ、純度の高い銀だとわりと平気だったりもするんだけどね。けど、そうなると職人捕まえる方が大変でさ。腕は良くても趣味じゃなかったりとかね。だから、俺は金属以外の装飾を極める」  けれども、彼のつけている革製の腕輪だって止め具は金属だ。  肌に直接触れなければ大丈夫なのだろうか? ローラにはよくわからない。  じっとフェイを見ていると、彼は熱心にローラのデザイン画を捲っていた。 「んー、ああ、これ好きだな。こっちも。んー、でも、これもいい。いや、迷うな。ねぇ、全部欲しいって言ったら怒る?」  彼はまるでおねだりをする子供のような目で言う。 「へ?」  ローラはあまりの出来事に、瞬きをくり返すことしか出来ない。 「いや、ごめん。一つに絞らないとね。うん。いや、でも……迷うなぁ……こっちもこれも、いや、もう、全部いい。特にさ、ローラの描くデザイン、ここの裾のちょっと斜めになるとことかすっごく俺好み。これとかさ、後ろの方が長くて、歩きやすそうだし、あー、でも、この形も面白いな」  フェイは何度も何度も戻ったり進んだりを繰り返し、ローラの描いた絵を見る。 「ローラの一番の自信作、どれ?」  問われて少し困る。  全部フェイに似合うと思って考えた。  けれど、あえて、服に彼を合わせるとすれば……。 「全部……」  選べるわけが無い。全部彼に着せることを考えたデザインだ。 「え?」  驚いた顔を見せるフェイに、気恥ずかしくなる。けれども、正直に答えるのが誠意と言うものだ。 「全部……天使様にお似合いだと、思います……」  どの服も、彼以外に着こなせないのではないかと言うほどに、彼が理想の人形だ。  人の為に服を作ったのに、服の為に人があるような気がする。 「……コレってさ、俺達、今、すっごく利害が一致してない? 俺は全部欲しいし、ローラも全部俺に着せたいでしょ?」  フェイはまるで悪事をたくらむかのような表情で、ローラを説得しようとする。 「は、はい……」 「じゃあさ、全部注文してく。あ、でも、無理しなくていいから。ゆっくりで。俺、暫くこっちで暮らすし。へっへーん、この三件先に別荘買ったんだ。ジョージィが引っ越すって言ってたからさ、ご近所さんになってみようと思って。いいなぁ、ご近所さん。俺の領地じゃあんまそういうの無いし」  彼は楽しそうにそう言う。そして、また、ご近所さんと呟く。余程その言葉が気に入ったらしい。 「あ、ごめん。俺の屋敷の周りって、近くに家無いからさ。ってか、敷地が広すぎるんだよ。庭開放して子供たちを集めようかとかも思ったけど、俺の格好のせいでさ、親達が猛反対するらしくて、結局、子供たちも遊びに来てくれないし……そんなにスカートだめかなぁ? 意外と動きやすいし快適なんだけどな」  フェイはそう言って自分のスカートを摘み上げる。  昨日と同じ服だが、三段のフリルは女性的なデザインなのに、彼が着ると不思議と男らしさを感じる。  お化粧をしているけれど、仕種が女性的ということではない。  なんというか、本当に、性を超越した場所にいるというか、彼を天使以外に表現出来そうに無い。  そうだ、あの、軍神様も、軍神以外に表現できないように。  きっと天使様と軍神様が並ぶと美しいのだろうと、ローラは僅かに期待する。  しかし、二人とも、自分のことばかりで恐らくは相性は悪いだろうなどと思った。 「あー、今、俺が目の前にいるのに他のやつの事考えてたでしょ? 酷いよローラ。俺と居る時は俺のことだけ考えてくれないと」  彼はわざとだろう。少し拗ねたしぐさを取る。こうすると、まるで子供のようだ。 「ご、ごめんなさい……」 「だーめ、完璧なの仕上げないと許さない」  彼は悪戯っぽい笑みで言う。 「え?」 「俺、君が好きだ。本気だよ。見えないかもしれないけど……少し話しただけで、ずっと一緒に居たいって思うんだ」  じっと見つめられると、なんだかそわそわと落ち着かなくなってしまう。 「あ、あの……」 「俺と、結婚して欲しい。絶対大事にする。君が他の誰かのところへ行ってしまうなんて考えたくも無い」  力強い瞳に、戸惑う。  そんな風に言われるのは初めてだ。 「あ、あの……私は……」  視線を合わせることさえ辛いほど、胸がばくばくと言っている。 「あ、ごめん……俺、我慢できなくて……その、ゆっくりでいいから。急がない。ううん、寧ろ、君が頷くまで俺は諦めない」  力強い瞳に見つめられ、ローラは思わず視線を逸らす。許されるなら今すぐ逃げ出したい気分だ。 「あ、あの……お、お仕事があるので……」 「あ、ごめん……って、俺も一応客なんだけど? ローラ、ちゃんと接客してよ」  彼は冗談っぽくそう言う。  あ、まただ。ローラが困ってると思って、彼は気持ちを和らげようとしてくれる。  フェイと言う人は、どうしてこんなにも優しいのだろうと戸惑ってしまう。彼は、ローラが知る貴族とは違いすぎた。 「……天使様……不思議な方ですね」 「え?」 「……なんだか、ずっと前から一緒だったような、不思議な感覚がします」  驚く彼にそう告げれば、彼は少し不思議そうに口を開いた。 「あ、それ、レオも言ってたな。ジョージィも。なんか、俺の魔力って、そんな感じらしいよ」 「え?」 「あー、なんだろう。相手を落ち着かせるって言うのかな、そんな感じの魔力らしくてね。まぁ、日常生活に不自由するような魔力じゃないからいいけど……その割りに……俺って、誰にでも恋愛対象じゃないって言われるんだよな……」  彼はまた頭を抱える。  こんなにイケメンなのになぜモテないと自分で言ってしまうあたりがいけないのだろうと思ったが、口には出さないでおく。 「それで、ローラ、俺にもハンカチ作ってくれる?」 「は、はい……」  思い出したように口にした、彼の勢いに負けて思わず頷いた。 「うん、お代はちゃんと色も付けとくから。ついでに結婚指輪も贈っていいかな?」 「ゆ、指輪は結構です……」  いくら天使様が優しくて素敵な方だからと言って結婚は別の話だ。  別に恋人が居るわけでもないが、それでも。 「まだ、その……」 「俺のことをよく知らない?」  彼は先にローラの言い訳を奪ってしまう。かと言って逃げ道を塞がれただとかそんな感覚はない。 「俺のことは、たっぷりしっかり品定めしていいよ。俺は、君を夢中にさせる自信があるし、君に嫌われるほどの極悪人じゃないとも思ってる。まぁ、君の純真さを利用する悪い大人っていうのは、あるかもしれないけど」  彼は笑って、また、デザイン画を手に取った。 「ねぇ、完成したら、この絵もくれる?」 「え?」 「絵も巧いね。なんか、この独特の色使いが結構好きだな。ローラは、中間色の使い方が巧い」  彼はそう言って、デザイン画を指で撫でる。 「これ、何で塗ってるの?」  話題のためと言うよりは純粋な好奇心という訊ね方に聞こえる。 「えっと、色鉛筆と絵の具です」 「へぇ、結構本格的なヤツ?」 「えっと……こないだ、軍神様が、たまにはローラに貢いでみたくなったと下さったもので……」  そう答えると、一瞬フェイが固まった。 「ぐ、軍神様!? そ、そいつ、まさか……君の恋人?」  フェイは慌てた様子でローラに顔を近づけた。 「い、いえ……その、軍神様は……えっと……軍神様は軍神様です」  他に表現が思い浮かばない。彼女は凛々しくて荒々しい。とても強くて、自由な人だ。 「いやいやいや、ってか、天使と軍神はどっちが上?」 「へ?」  質問の意味が理解できない。 「いや、だから……君にとって、天使と軍神って、どっちが大事なの?」  じっと見つめられ、息が詰まりそうになってしまう。ローラは少しだけ考えて、口を開いた。 「それは……天使様です」  軍神は、国を護ってくれる勇敢な、ありがたい神様だけれど、天使は人々に癒しを与えてくれる。  軍神が残した傷を癒してくれるのは天使だ。  そう言う意味で、ローラは、天使のほうが必要だと思う。  フェイは少しばかり安心した表情を見せた。 「じゃあ、俺はまだ、期待してもいいよね?」 「え?」 「君に、何回でも求婚する。君は何回断ってもいいけど、俺は、命が尽きるまでは諦めないよ」  真っ直ぐな瞳にどきりとする。  一体、何が彼をここまで動かしてしまうのだろう。  少し、怖いのに、ローラは視線を逸らすことが出来なかった。
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