ーーどうか

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ーーどうか

 重ねられた寒椿の花びらの下で、雪の肌が少しずつ水に変わっていく。  足許から、さらさらと砂の落ちていく音が聞こえる。    当然ながら。    僕は思う。    僕には、君の願いを叶えてあげる力など、なにもない。あたりまえだ。だって僕はただのゆきうさぎだ。空から降る雪でつくられた、命すらない、単なる雪の塊だ。  この姿になる前。ただ降り積もる雪のひとひらである僕にできることは、ただそこにあるということだけだった。なにかを見ることも聞くこともできない。そもそも、なにかができない、というのを感じ取ることもない。自分と自分ではないものの区別もない。ほんとうに、ただ、そこにあるだけ。そういう存在だった。  けれど、僕は今、自分を取り巻く世界を感じることができる。この世界の色彩を見ることのできる目を、世界を取り巻く音のすべてを聞くことのできる耳を、君がくれたから。  だから。なにかひとつでもいい、恩返しがしたかった。しゃべることのできない僕が、君にありがとうと言葉で伝える代わりに。  きっと、今までここに置かれた何羽ものゆきうさぎたちも、同じことを思っただろう。  気がつけば外は夜になっていた。  しかしそこにあるはずの闇は、ぼんやりとした白い光に照らされてその濃度を薄めている。 あたりは大雪となっていた。  しんしんと、空気が冷えていく。  あたたまりかけていた僕のからだは、また少しずつ冷やされて外の温度と同じになる。  社の格子窓から見えるその雪もまた、かつてゆきうさぎであったものたちの欠片だ。格子の隙間から降り込んだ彼らが、そっと僕の上に舞い降りる。彼らの思いが、その冷たい体温とともに、このちいさな全身に染み込んでいく。  ――どうか溶けないで。  願いを叶えてあげる力を持たない僕たちに、それでもただひとつ、できることがある。 それは、なんとかして溶けずにいること。  溶けずにいて、願いをかけた者の希望をつなぐこと。  なにかを劇的に変化させることは僕にはできないけれど、こうして君を応援することはできる。僕が僕としてここにいる、ただそれだけで。このからだをなくさない、それだけで、君が少しでも、「自分の願いは叶う」のだと信じることができるなら。
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