(一)

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 件の新歓コンパは西院の居酒屋チェーン店で催され、同じ大学からは新入生と上級生合わせて二十人程度が参加。普段から交流のある他大学の上級生が十名程度の、コロナ禍としてはやや大掛かりなコンパだった。ちなみに、当該アウトドアサークルはコロナ禍のアウトドアブームに乗じて立ち上げられた有象無象のサークルの一つで、実態はアウトドアなどしない合コン目的の集まりだったというのは、あとから知ったことだ。そもそもアウトドアサークルなのに新歓コンパを居酒屋チェーンで開催することがおかしく、美奈自身も会の途中から違和感はあったとのことだが、勧誘されたとはいえ行くことを決めたのは自分自身だという自己責任感、初めて一人で地元を離れた不安、また初めての飲酒の高揚感、それらが相まって、そのときはその場の空気に身を委ねる以外の選択肢が思いつかなかった。  一次会が終わり、二次会はカラオケに移動となったが、そのころにはすでに酩酊の入り口に立っていた美奈の記憶は曖昧で、カラオケ店の場所は不明。参加人数も不明。時間も不明。カラオケでも上級生に勧められるままに飲酒を重ねており、ほとんど記憶がない。気づけば知らないマンションの一室に居り、三人の裸の男性と雑魚寝をしていた。慌てて自分の服を着、荷物を取って外に出たときにはすでに日は高かった。自分がどこにいるか解らず、タクシーを拾い、下宿先に戻った。着の身着のままシャワーを浴びた。ストッキングを履いていないことに、そのときに気付いた。腕に強く掴まれたような痣が何ヶ所もあった。陰部から出血があった。それから次の生理が来るまで、妊娠の恐怖に憑りつかれていた。安易によく解らないサークルの新歓コンパに参加してしまったこと、未成年で飲酒したこと、二次会に誘われたときに断らなかったこと――初めての性行為の記憶がないこと、自分が記憶していないだけで、アルコールの勢いでその行為に同意していたかもしれないこと、考えれば考えるほど自分自身を責め、眠れなくなったが、地元の両親に心配をかけまいと、大学だけは通い続けた。  その後、被害のことはほとんど思い出さずに年月が過ぎていたが、今年の初夏ごろから急にフラッシュバックがあり、それを紛らわせるために飲酒とリストカット、アームカットを始めた。その傷に、由香が気付いたという経緯だった。  被害後、大学に通い一人暮らしを継続するなど、一定の社会生活を送れていたのは、解離性健忘様の状態だったのではないかというのが、公認心理師の資格を持つ綾本さくら巡査部長の推察だった。人の心は自分の身を守るために、無意識下で目まぐるしい働きをしている。  今もフラッシュバックは予期せぬタイミングで起こることがあり、あるいは強い予期不安からそれを紛らわす意味合いで過度の飲酒、自傷行為に走っているところから、精神状態としてはPTSDの診断がつくものと思われ、聴取のあと美奈は、由香と、綾本さくらに付き添われて性暴力被害の指定協力医療機関となっている精神科クリニックに受診することとなった。聴取の最後に処罰感情について尋ねたところ、「できることなら逮捕してほしいけど、親にこのことを知らされて心配かけるのは嫌です」と美奈は言い、被害届は一旦保留となったのだったが、しかし事件を認知したからには捜査は開始できる。久美子はそうして現場となったマンションの前に立っているのだった。当日は酩酊していて、また被害後もパニックで正確な場所を覚えていなかった美奈だが、幸いなことに当時から現在まで使っているスマートフォンの位置情報と連動した行動履歴アプリから、容易に現場のマンションの場所までは特定できた。  しかし難しいのはここからだ。二年も前の事件であり、被害は閉塞空間の中で発生し、明らかな証拠が得られる可能性は低い。部屋番号までは解らないから、犯行現場が特定できない。被疑者も然り、当時その部屋の住民が被疑者であるという確証はない。  それら現時点では大多数が不確定であり、正直なところ、捜査の行く末は不明だった。それでも、できることをやるしかない。久美子はこれまでも、行く末の解らない捜査も立件が難しい事件も取り組んできたのだったが、下京中央署に異動してきて半年、前の署以上にそうした困難ケースが回ってくることが多く、三十三歳、働き盛りとは言え、さすがに疲弊がちなのだった。
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