(一)

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 電話の向こうで赤坂美穂は「こっちに首突っ込んでくるってことは、どうせ《不協和音》さんになんか頼まれたんやろ」と笑いつつ、春日成二の現時点での見立てを交換条件に事故概要を教えてくれた。車種は黒のヤリスクロス。付近の防犯カメラ映像からナンバーは判明済。そこから持ち主もすでに割り出されており、名前は清水洋祐。福知山市在住の二十七歳。久美子はそれだけ聞いて内心、頭を抱える。被害者の連れの男と同姓同名の別人という可能性は限りなく低く、春日の見立ては限りなく信憑性が高くなったのだが、しかしあくまで状況証拠に過ぎない。殺人の決定的証拠ではない。  そういうわけで、美穂にはオフレコを念押しして春日の見立てを伝え、とりあえず昨夜の事故の件で清水洋祐にコンタクトを取るのは控えるように伝える他なかった。はっきり言って、久美子が何某か判断できる範疇の問題ではなかった。  煙草を咥え、春日成二が戻ってきた。久美子はたった今、美穂から聞いた情報を伝え、併せて勝手な行動をしない方がいいんじゃないのと忠告の一言を添えておいたが、それに対する春日の返答はフンッと鼻で一つ笑っただけだった。春日がこのあと何をしようとしているかは、なんとなく予想がつく。事故のあと現場から逃げたのが清水洋祐本人であれば、道路交通法違反での逃走者ということになる。自転車との接触、電柱との接触は当て逃げ、ひき逃げで立派な犯罪であり、それを理由に清水洋祐の身柄を拘束。あとは取調べで殺しの件を詰めるつもりなのだろう。別件逮捕だろうが何だろうか、とにかく被疑者の身柄を確保し、早期に事件解決を図るのは春日のやり口だった。  捜査会議は出んから、何かあったら連絡寄越せよ。春日成二はそう言うと、また踵を返して大股で再び強く歩き出した。あえて聞くまでもなく、福知山に向かうものと思われる。春日の背中を静かに見送り、久美子は愛車の運転席に戻った。事件の展開が展開だけに、自身の功績や手柄に興味のない久美子にしても、これは捜査会議で報告せざるを得ないだろう。本来なら春日自身がすべきことだが、その役割を体よく久美子に押し付けられた形になっていた。
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