食べちゃダメ

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「なんで、人間を殺してはいけないの?」 「なんで、人間を食べちゃいけないの?」  「人間は、豚さんも、牛さんも、殺して食べてるのに、人間のことは殺して食べないの?」 5歳の僕は、ママに何度もこんな質問をした。 ママに初めてその質問をした時、ママは大きく目を見開き、目をウルウルさせながら、 「どうしてそんな事を言うの?人間を殺しても、食べてもダメ。豚さんや、牛さんは、人間が生きて行くために、命を頂いているの。それで、人間は生きていけるのよ。だから、豚さんにも、牛さんにも、有難うとお礼を言って食べるのよ。」 最後には泣いていた。 ママの様子を見て、人を殺すことも、食べることも、してはいけない事だとは理解した。 でも、豚や牛を殺して食べてよくて、なぜ人間はダメなのか、僕には納得が出来なかった。 少し成長した時に、ママの説明も進化していて、少し納得できる説明になっていた。 「人間のコミニティーでは、人を殺してはいけない、食べてはいけないと法律で決まっているの。人間の社会で生きる以上、そのルールを守らなきゃいけないの。それはわかるよね。」 ママは、僕の目を真っ直ぐに見つめる。 大きく息を吸い込み、話しを続ける。 「それにね、もし、いつ誰が殺しに来るかわからない、いつ食べられるかわからないってなったら、安心して生活できないでしょ。いつも周りを気にして、ドキドキして生活しないといけないよね。誰が殺しにくるかわからないのに、他の人と一緒にお仕事も出来ないし、遊べないよね。それに、お友達や知ってる人が殺されちゃったら悲しいよね。」 ママの真剣な目から、やっぱり人を殺したり、食べたりしてはいけない事は理解できた。 人間の世界で生きる以上、ルールだから守る、それも理解できた。 自分も殺されて食べられるかもしれないと思うとゾッとしたし、殺されたくもないし、食べられたくはないとも思った。 だけど、どこかでそれも仕方ないと思う自分もいた。それに、友達や知ってる人が殺された時に悲しいと思うかはわからなかった。 そして、相変わらず、豚や牛は殺して食べてよくて、人間がダメという論理的な理由としては納得は出来なかった。 確かに、自分が豚や牛と同じかと言われると、それは違う気がする。でも、生き物という観点では同じなんじゃないかという気もする。 命を粗末に扱うこと、無駄な殺生はいけないと、僕も思う。 でも、感謝して、有り難く、無駄にせずに食べたら? 僕には、いろいろな事が納得が出来なかった。 ママは一生懸命説明してくれたけど、僕が完全に納得できる答えではなかった。 だから、僕は、小学生の時に、担任の先生にも聞いてみた。 「なんで、人間を殺してはいけないの?」 「なんで、人間を食べちゃいけないの?」 先生の目は明らかに動揺していたし、言葉にはしていないが、僕への恐怖も浮かんでいた。 それでも、その先生は、僕を叱るのではなく、優しく懸命に諭してくれた。 でも、その答えは、ママのそれと変わりなかった。 そもそも、法律だって、人間が勝手に決めたものなのに。 倫理観を教えられたけど、その倫理観だって人間が決めたもの。 僕は、途方に暮れた。誰も、僕が納得できる答えをくれない。 そして、その時、僕は、もう一つ悟った。 僕は、頭が良く、また、察しのいい子どもだった。 だから、先生の目に浮かんだ恐怖を見た時に、この質問は、もう誰にもしちゃダメだと理解した。 この頃から、僕はママにも質問はしなくなった。 でも、ママは、僕が理解し、納得したわけではないことを知っていた。 だから、時折、僕を優しく諭した。 僕は、ママのことは好きだった。恐らく。 パパは、いたけど、あまり会った事はなかった。仕事が忙しい人だったから。 でも、そのおかげで、ママと僕は、何不自由なく、裕福な暮らしができた。 パパも嫌いではなかった。恐らく。 僕は、ルールを守って生活をする事にした。人間社会のルールだから。納得はしていないけど。 中学生になり、高校生になり、大学生になり、社会人になり、僕は成長とともに、納得していなくても、ルールだからとうまく生きる術を覚えた。 納得できないまま、自分を押し込める事は、苦しかったけど、仕事上、人の生死に関わる現場にいたから、なんとかルールを守り、生きてくる事ができた。 でも、それができたのは、ママがいたから。 ある時、ママが病気になった。とても重い病気だった。 やせ細り、声を出すのもやっとな状態なのに、 「もうわかったいると思うけど、人は殺してはいけないし、食べてもいけないの。ママがいなくなっても、そんな事はしないと約束して。」 5歳の時、初めて僕が質問した時のようなウルウルした目でママが言った。 だから、僕は約束をした。 「大丈夫。わかってるよ。そんな事はしないよ。約束する。だから、安心して。」 ママは、安心したように泣きながら頷いた。 そして、その数日後、ママが死んだ。 でも、僕にはあまり感情がなかった。悲しいかどうかわからなかった。 ママはいなくなったんだと思っただけだった。 僕は、医師だ。 だけど、殺さないし、食べない。 殺そうと思えば殺せるけど、殺さない。食べようと思えば食べれるけど、食べない。 でも、人が死んだ時に、なぜ食べないのか、まだ納得はしていない。 殺したわけではなく、自然な死なんだから、食べてもいいんじゃないか? だって、勿体ないでしょ?命を粗末にしちゃダメなら、食べる方がいいんじゃない? 僕は大人だ。 だから、僕の考えが普通じゃないのは理解している。 でも、普通も人間の決めた尺度だ。 もう僕はわからない。わからない事だからけだ。考えすぎて、疲れてしまったよ。 だから、僕は、もう色々考えずにママとの約束を守って生きていく事にした。 でもね。 そう決めたのに。 「わたしを食べて。」 そう言う女性がいるんだよ。 僕はママとの約束を守って生きていくって決めたのに、その言葉は、僕の心を乱す。 本人がいいって言うんだから、食べてもいいんじゃないかと思ってしまう。 でも、人間なら、人を殺したり、食べたりしちゃダメなんだよね。ママ。 「人間は、人を殺したり、食べたりしちゃダメなの。そういうことをしちゃダメよ。約束よ。」 ママに何度も言われたよね。 そう。約束したよね。 でも、僕、その人とも約束しちゃったんだよ。 その人の事を食べるって。 でも、その人、殺して欲しいとは言ってなかった。 殺しちゃダメだけど、食べて欲しい。 難しいお願いだ。 そうか。 僕が人間をやめればいいのか。 人間じゃないなら、ルールを守らなくてもいいよね?ママとの約束も、守らなくてもいいよね? ねぇ、そうでしょ?ママ。 でも、やめ方がわからない。 「僕は、人間をやめます。」 って宣言したらいいって事でもない。 今日も、僕にはわからない事が沢山ある。
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