この先、300メートル

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「悟、息を止めてて」 「なんだよ」 「悟の胸にコサージュをさしたいんだけど、わたし、汗臭いのよ」 「別に構わないよ」 「わたしが嫌なんだけど」  悟がため息をつき、わざとらしく指で鼻をつまんだ。  なので、わたしは安心して悟に近づき、青いコサージュを彼の胸につけた。そして、少し離れて彼の姿を見る。 「卒業生っぽい」 「これ、渚がもらったものだろう」 「そうだよ。陸上部の後輩たちから。でも、写真もとったし、思い出は作ったよ」 「あの女の子たちか。渚、好かれていたからな。彼女たち、ぼくがコサージュを貰ったと知ったら、怒るだろうな」 「大丈夫だよ。もう、卒業したんだもん」 「そうだよな。卒業したんだもんな。もう、いろいろと面倒なことはないんだな」  悟が、手で「おいで、おいで」をしてくる。  はて、と思い近づくと、突然、抱きしめられた。 「なに、どうしたの」 「おばさんから、渚がいなくなったと聞いて心臓が止まりそうになった。いなくなられるって、キツイな」 「それは、そうだよ。悟のこと、みんな心配しているよ」 「みんななんて、どうでもいいんだ」 「どうでも良くないよ。生徒会のひとや、悟のクラスの子たち。みんな、悟と連絡が取れないって、わたしにまで聞いてきたよ」 「……渚だけでいい」  悟の腕が緩む。  悟とわたしのおでこがくっくけられる。 「なにもかも捨てて出ていくとなったとき、ぼくの心残りは渚だけだった」  悟の真剣な眼差しは、わたしだけに向けられている。 「渚が好きだ。なのに、好きだって言えなかった。言わなかった。ぼくは、ずるかった」  悟の思いがけない告白に、わたしの腰は抜けた。  彼の腕を掴みながら、しゃがみ込んでしまったのだ。  すると、わたしに合わせて彼もしゃがんだ。 「悟に好かれているなんて、これっぽっちも気がつかなかった」 「だろうね」 「わたしも、好きだよ」 「だろうね」 「いまさ、無性に腹が立ったんだけど、なんでかな?」  むっとして言い返すと、悟が笑った。  悟の家に向けて歩き出す。  繋いだ手が、重なる体温が、わたしと悟が今までとは違う関係になったと言っている。 「……大学、どうだった?」 「受かったよ。渚は、清野女子大だろう。留守電に入っていた」 「悟は大学に、ここから通うの?」 「四月になったら、二番目の兄のマンションへ転がり込む予定。ここよりは、大学に近いからね」  悟がわたしの髪をくしゃりと撫でる。  なんだか、甘いな! 「悟の家は、どこ? あと、どれくらい?」 「そうだな。この先、300メートル行ったところだよ」  この先、300メートル!      多分、永遠に、悟の家には着けないと思う。                          (おしまい)      ☆お読みいただきありがとうございました。仲町鹿乃子
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