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「悟、息を止めてて」
「なんだよ」
「悟の胸にコサージュをさしたいんだけど、わたし、汗臭いのよ」
「別に構わないよ」
「わたしが嫌なんだけど」
悟がため息をつき、わざとらしく指で鼻をつまんだ。
なので、わたしは安心して悟に近づき、青いコサージュを彼の胸につけた。そして、少し離れて彼の姿を見る。
「卒業生っぽい」
「これ、渚がもらったものだろう」
「そうだよ。陸上部の後輩たちから。でも、写真もとったし、思い出は作ったよ」
「あの女の子たちか。渚、好かれていたからな。彼女たち、ぼくがコサージュを貰ったと知ったら、怒るだろうな」
「大丈夫だよ。もう、卒業したんだもん」
「そうだよな。卒業したんだもんな。もう、いろいろと面倒なことはないんだな」
悟が、手で「おいで、おいで」をしてくる。
はて、と思い近づくと、突然、抱きしめられた。
「なに、どうしたの」
「おばさんから、渚がいなくなったと聞いて心臓が止まりそうになった。いなくなられるって、キツイな」
「それは、そうだよ。悟のこと、みんな心配しているよ」
「みんななんて、どうでもいいんだ」
「どうでも良くないよ。生徒会のひとや、悟のクラスの子たち。みんな、悟と連絡が取れないって、わたしにまで聞いてきたよ」
「……渚だけでいい」
悟の腕が緩む。
悟とわたしのおでこがくっくけられる。
「なにもかも捨てて出ていくとなったとき、ぼくの心残りは渚だけだった」
悟の真剣な眼差しは、わたしだけに向けられている。
「渚が好きだ。なのに、好きだって言えなかった。言わなかった。ぼくは、ずるかった」
悟の思いがけない告白に、わたしの腰は抜けた。
彼の腕を掴みながら、しゃがみ込んでしまったのだ。
すると、わたしに合わせて彼もしゃがんだ。
「悟に好かれているなんて、これっぽっちも気がつかなかった」
「だろうね」
「わたしも、好きだよ」
「だろうね」
「いまさ、無性に腹が立ったんだけど、なんでかな?」
むっとして言い返すと、悟が笑った。
悟の家に向けて歩き出す。
繋いだ手が、重なる体温が、わたしと悟が今までとは違う関係になったと言っている。
「……大学、どうだった?」
「受かったよ。渚は、清野女子大だろう。留守電に入っていた」
「悟は大学に、ここから通うの?」
「四月になったら、二番目の兄のマンションへ転がり込む予定。ここよりは、大学に近いからね」
悟がわたしの髪をくしゃりと撫でる。
なんだか、甘いな!
「悟の家は、どこ? あと、どれくらい?」
「そうだな。この先、300メートル行ったところだよ」
この先、300メートル!
多分、永遠に、悟の家には着けないと思う。
(おしまい)
☆お読みいただきありがとうございました。仲町鹿乃子
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