嵐とすず

5/5
16人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 どれくらいの時間、そうしていただろう。いつの間にかふたりで手をつないだまま眠っていた。目が覚めると外はもう真っ暗で、窓をあけると遠く涼しげに虫の音が聴こえた。  俺は外に出て、台車にすべてのタンクを積み、片手でごろごろとその台車を押していく。もう片方の手ではしっかりと嵐の手を握っている。絶対に、この手だけは離さない。  診療所の前に着く。閑静な住宅街で、電気がついている家などひとつもない。俺は無言でタンクをあけ、とぽとぽと灯油を地面にかけていく。五本分、丹念に。  とぽとぽとぽ……と。  とぽとぽとぽ……と。  よく燃えるように。  しっかり燃やせるように。  完全に焼き尽くせるように。  許せない。許さない。  すべての灯油をまき終えてから、試しに手中のライターの火をつけてみる。綺麗で妖艶に煌めく炎がなまめかしく揺らめいている。今日はもっと綺麗にしてあげるよ。つなぐ手を握りしめ、ちらっと隣に目を向ける。嵐もこちらを向き、ぎゅっと握り返してくる。幸せそうな表情。その可憐な微笑みを守るために、俺はこれからも生きていく。  ライターを投げ入れた瞬間、轟々とした激しい爆音とともに、火炎の嵐が巻き起こった。これが大火というものか……黄金色の炎が一気に燃え上がり、あたり一面を焼き尽くす。全方位から同時に巻き起こる力強い業火の渦。ああ、とても幻想的だ。  さあ、一気に燃やし尽くしてくれ。  嵐の負った深い傷も。  つらい思いも哀しみも。  嫌な嘘も全部、全部。  全部、焼き尽くしてくれ。  黒煙が舞い上がる満天の星空を眺めていた嵐が、目をきらきらと輝かせながらこう言った。 「綺麗だね、お兄ちゃん」  ああ、綺麗だ。 〈了〉
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!