嵐とすず

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「保険適用で受けられるんだって、注射」 「ウソだろ、なんだその怪しい話」 「バイトの先輩が言ってるからウソじゃないと思う」 「ああ、そのゲイの先輩?」 「そうそう」  ホルモン注射は結構高い。二週間に一回くらいの頻度だが、一回二千円から三千円くらいかかる。俺たちは常に、同じような悩みをもつ仲間同士で情報を共有しているものだが、保険適用内で受けられる医療機関の話はあまり聞かない。 「明日行ってみようと思うんだけど、すずはどうする?」 「俺、明日も夜勤だもん。やめとくわ」 「じゃあ僕だけ様子見てくるね」 「ああ、怪しかったらやめなよ」 「分かってる」  そんな会話を嵐としたのを覚えている。いま思えば、このときにもっと強く止めていれば、こんなことにはならなかったのだろう。俺のせいだ。嵐がこんなにも傷つき、悲しみの中にいるのは、全部俺のせいだ。  翌朝、俺が夜勤から帰ってくると、嵐が玄関でうつぶせになって倒れていた。俺は慌てて嵐を抱きかかえ、容体を確認する。瞳孔が開き、口から泡をふいている。靴を履いたまま家のなかに入り、ひとまずはソファーに寝かせる。口のまわりをタオルで拭いてやり、ペットボトルの水を飲ませる。 「……ああ、すず」 「嵐、何があった? どうしたんだよ」 「もう僕、駄目だ」 「嵐?」 「死にたいな」  嘘だったのだ。ホルモン注射なんてなかった。そいつはゲイですらなかった。嵐が連れ込まれのは、その先輩の実家でもある小さな診療所。どうやら医者の息子らしく、うまく手続きをすれば保険を適応できる方法があるとか……そんな甘い話だったらしい。そのまま騙された嵐は、やすやすとそいつの実家にあがりこんだ。実家は留守だった。診療所も休診日だった。嵐は、そいつに無理やり部屋に連れ込まれた。おそらく、変な薬も飲まされた。  そして、そのまま……押し倒された。
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