0-2章 人間ソナー

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0-2章 人間ソナー

 ドイツからの研究データを元に、海軍省技術部は、まず全国の6歳から8歳の小学生から音楽教師が特に音感に優れる生徒を推薦させ、最終的に東京目黒の海軍技術研究所に100名の子供が集めた。  それら集められた少年少女には、音感テストを繰り返し行い。各ヘルツの微小な音の探知から、暗闇での音の指向性調査などで選抜。その結果、とびぬけた成績を収めたのが当時6歳の園部清治だった。  彼は生まれつき視力は0.1%以下という弱視で、当年代の子供よりも小柄であったが、実験の結果通常の可聴域20Hzから20,000Hzと言われる通常の児童よりも、はるかに重低音と超音波を聞き分ける驚くべき能力を身につけていた。  その後、海軍内でも極秘開発された人間ソナー用の装置に、園部少年を補音器として接続することで、従来の10000m、測角5度が限界とされたソナー性能を一気に10倍近くに引き上げることに成功した。  しかし、人間の聴覚器官に補音器を直結する構造は、遮断機があったとしても、魚雷や座礁等で突然の爆音に対し無防備で、実戦では聴力障害の後遺症は避けられない。またそれ以前に、沈没時の緊急退避への配慮がなく、海軍技術研究所内でも殺人装置と呼び反対する者もいた。  よって、伊号第四百四に設置された人間ソナー初号機は極秘とされ、艦内でこのことを知るものは指揮官榊原大佐と艦長の浦川少佐に限られた。  出発した伊号第四百四潜水艦は、その後途中敵と遭遇することなく僚艦との合流地点に到達。しかし敵に先回りされ奇襲作戦は失敗。重爆撃戦線の中で僚艦は全滅。その中にあって伊号第四百四だけは奇跡的に戦線離脱に成功した。   佐世保を目指しての帰還途中で燃料が底を尽き海上浮上、乗組員全員脱出の後、敵から『人間ソナー』を隠すために艦長浦川の判断で自沈した。  生存者は救命ボートで太平洋をさまよううちに米艦隊に発見されたが、その時すでに終戦から1週間を経過していた。    伊号第四百一潜水艦の乗組員200名の命を救った園部少年は、収容所で姿を消した。  ただ、生き残った乗組員の証言に、「指令室に『人探』と赤色の名札が吊られた伝声管があり、敵戦艦の位置を超長距離にも関わらず正確に診断していた。その声は子供のようだった」とあるのみだった。  そして75年の年月が過ぎた。 「人間ソナー」の存在は完全に歴史から消された。はずだった……。  二〇二〇年二月 アメリカ連邦政府の中枢機関において機密指定された文書の開示が行われた。  当時のGHQの報告書で、終戦後からの数年間に旧日本軍、政府の隠し財産の盗難事件に、特殊な聴覚を持った人物の存在、今後日本政府と協力して、特殊能力を持った人間の発見と研究の必要性が示唆されていた事が判明した。  とまぁ  こんな背景設定を持つお話ですが、この先はそんなこと全然関係なさそうな人だけで展開していきます。  なので、まずはこの重いパートのことを気にしないで、次の章から気楽にお付き合いいただけると幸いです。
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