5.宣告

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 愕然とつぶやく穂香に、医師は首肯する。 「普通、無優病は他者への優しさから徐々に消えてゆく。だからこそ自己愛が最後まで残り、それが原因で暴力行為などの問題が生じる。……智也君は、心の底から自分より他人を優先できる人間だったんだろう。それはとても素晴らしいことだが、今回はそれが裏目に出てしまった」  一番に無くなるはずだった他人への優しさ。それを持ち続けていたがために、穂香は智也が無優病であるはずがないと思い込んでいた。  しかしそこまで考えて、穂香は学校での諍いを思い出す。智也が無優病の診断を受けたいと言い出すきっかけとなった、クラスメイトとの言い争い。 「でも、智也は他人に怒ることができます! 自分の意見をちゃんと言えることだって、自己愛のひとつのはずです!」  智也は「自分が怒りっぽくなっていないか」と気にしていた。もし医師の言う通りなら、智也は自分が怒りっぽくなったと感じることすらないだろう。そう疑問を呈する穂香だったが、医師の答えはよどみなかった。 「残念だが、智也君のそれは自己愛ではない」 「……え」 「学校での話は、私も本人から聞いている。智也君の怒りは、あくまでも他人のための怒りなんだ。自分に向けられた悪意には無関心でも、他人のためならば心の底から彼は怒る」  思い返せば、智也は自分が笑われたことに対しては何も言わなかった。ただ、無優病のことを「偽善病」と呼び、優しくあろうとした人達を嗤われたときには、らしくないほどに激高した。 「自分への優しさが無くなった結果、智也君は自分を顧みないようになった。……恐れることをしなくなったんだ。だからこそ、今まで保身のために躊躇っていた行動を取るようになった。それが、彼にとっては怒りっぽくなったと感じられたのだろう」  全くの反論を許さないその説明に、穂香は全身から力が抜けていくのを感じた。もう、智也が無優病であることを否定できる材料は彼女の中には残っていなかった。それでもなお、認めたくない、信じたくないという思いが、何も考えられなくなった頭の中を掻きむしる。  魂が抜けたような穂香に、医師は一瞬だけ目を伏せた。智也が無優病であることのほかに、医師として告げなくてはならないことがまだ残っていた。
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