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「泣かないで、穂香。僕はうれしいんだ」
かけられた言葉は優しさか、気遣いか、あるいは記憶に頼っただけのただの模倣か。
「僕はやがて植物のようになるかもしれないけど、そんなことはいい。誰も傷つけずに済んだ。そのことがたまらなく嬉しいんだ」
「……なんで」
あくまで本心からそんなことを言う智也に、穂香の感情は決壊する。
「なんでそんなに平気そうな顔をするの……っ!」
自分の感情が無くなった。もう怒れない、悲しめない。でもその原因が目の前にいる。感情が無くなっても知識が、記憶が無くなったわけじゃない。ならば責めてくれ。自分勝手に行動し、あなたの感情を奪った私を責めてくれ。私に罰を与えてくれ。
その想いは叫びとなって、静かな病室にこだまする。
「誰のことだと思ってるの! ほかでもないあなたのことでしょう!?」
でも、
それでも智也は、その顔に優しそうなほほえみを浮かべてこう言った。
「ありがとう、僕のために怒ってくれて」
これほどまでに哀しい感謝を、穂香は受け取りたくなかった。なかった、けれど。
この時、穂香は理解した。
もう智也の中に、自分への優しさは欠片も残っていないのだ。
わずかに残る他人への思いやりすら、記憶の中の自分を真似するだけの、空虚なもの。
その日以来、智也は、穂香の持ってきたものを受け取らなくなった。挨拶を返すこともしない。話しかけた時はわずかな反応を見せるだけで、自分から何かを話そうとはしない。
ただずっと、その顔に穏やかなほほえみを浮かべていた。
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