.優しさ

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「智也!」  毎日見ている智也の病室。その中で、一人の男が警備員に取り押さえられていた。 「ふざけんな! ずっと俺を笑いやがって! 何がおかしいってんだ、アぁ!?」  無防備なところへたたきつけられた剥き出しの悪意に、思わず身体が縮こまる。しかしその怒声は穂香ではなく、ベッドに倒れこんでいる少年に向けられていた。 「智也! いったい何が……?」  急いで駆け寄り抱き起こすも、智也の表情は何も変わらないほほえみ。ただその左頬は大きく裂け、額からはたらりと血が流れていた。  怒りには瞬発力がいる。穂香が視線鋭く男のほうを振り向くと、すでに鎮静剤を飲ませたのか、男は虚空を見るようにして警備員に運ばれていく。 「すまない、あの患者も無優病で、目についた智也君に暴行を……。彼も智也君も、無優病であることは変わらないのに……」  医師が穂香に謝罪する。謝るべき相手は私じゃない。そう指摘することはできたが、そんなこと、医師も十分わかっているだろう。改めて普通の無優病を見て、穂香は智也を想う。  同じ無優病でなぜこうも違う。なぜ智也だけが生きたまま死ななければならない。先ほどの男のように、全て自分の思うがままに生きられれば、どれだけ幸せだろう。たとえそれが、智也の望む生き方ではなかったとしても。 「智也……」  額の血をぬぐう。頬の切り傷に触れると、智也は少しだけ居心地が悪そうに身をよじったが、何の抵抗もしないまま、傷に触れる穂香の指を受け入れた。 「とも……や……」  何がきっかけだったのかわからない。  普通の無優病を見てしまったせいか、比べてしまったせいか。傷を負っても何の感情も見せない、人形のような智也を目の当たりにしたせいか。それとも、傷に触れた穂香を受け入れ、まだどこかに優しさがあるのではないかと錯覚してしまったせいか。  穂香にはわからない。わからないまま、その両目から大粒の涙をこぼしていた。  止めたい。止まらない。止めたくない。止めどない。  自分でもどうしたいのかわからない、そんな涙がふと、誰かの指に拭われた。 「穂……香。泣かない……で」  その場にいた誰もが、目を見開いた。
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