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3.自らへの疑念
穂香は智也を連れ、保健室に来ていた。人のいない場所で落ち着かせるという意味もあったが、何より他人の視線にさらされないところへ智也を連れていきたかった。
「……はぁ」
深く沈み込むソファに腰かけ、智也はため息とともに額を抑えた。
「気にすることないよ、あんな奴らのこと」
教室でのことを気にしているのだと思った穂香は、智也を励まそうとそう声をかけるが、智也は「ありがとう、でも、違うんだ」とそれをやんわりと否定した。
「……違う?」
智也の悩み、今の落ち込み方が、先ほどの教室での言い争いに対するものだと思い込んでいた穂香は、その返答に疑問で返す。
「……最近考えちゃうんだ、どうしても」
ためらいがちに口を開いた智也は、額から離した手のひらを見つめて言った。
「自分が、怒りっぽくなってないかって」
「――っ」
穂香は息をのむ。それは確かに、教室での言い争いがきっかけの悩みだったのかもしれない。だが、それだけで済まされる悩みではないはずだ。智也は優しい人間だ。それは生来の性格ももちろんのこと、常日頃からの心がけのたまものでもある。智也は優しいだけでなく、常に他人にとって優しい自分であろうとしているのだ。それは穂香が誰よりも知っている。
だからこそ、そんな智也が恐れないわけがないのだ。無優病という病を。自らの意思も尊厳も、何もかもを奪ってしまいかねないそれは、智也にとって文字通りの地獄だろう。
智也はただ悩み、落ち込んでいただけではなかった。自分が自分ではなくなってしまう恐怖と、今も戦っているのだ。
「そ、そんなことあるわけない! 今朝だって、智也はすっごく優しかった。そりゃ、さっきのはびっくりしたけど……。それでも、智也が怒るのはいつだって、誰かのためじゃない!」
少しでも智也の不安をぬぐいたい。そんな思いから否定の言葉を連ねる穂香。それはその場しのぎの慰めなどでは決してなく、すべて穂香の本心から出た言葉だ。
「……ありがとう」
「……っ」
けれど、智也の晴れない笑顔を見てしまっては、自分の言葉に何の力もないのだと理解するには充分だ。今の智也が求めているのは、きっと自分自身の納得で、他人からの評価ではないのだ。
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