【Prologue】

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【Prologue】

【Prologue】  ⁑⁑⁑⁑⁑  ヴォルガラード帝国北東部リューリク州/州都【リューリク】——。  帝国と連合国という二大国が、その地を二分する世界最大の大陸ヴァイスアードラ。  その中でも、永久凍土(えいきゅうとうど)に位置する地域が領土の大部分を占めているヴォルガラード帝国の冬は(きび)しい。  まだ16時を少し過ぎたくらいだが、既に空は薄っすらと暗い。  広大な荒野には雪が降り積もり、どっさりと分厚(ぶあつ)く、白い絨毯(じゅうたん)を広げていた。  宙には白い(もや)(ただよ)い、とにかく視界が悪い。  遥か遠くに見える地平線までは、気の遠くなるような銀世界が広がり、雪が積もった巨大な山々は、自然の広大で(おか)(がた)い神聖さ、そして帝国という国の威光を知らしめるかのように屹立(きつりつ)していた。  州都でありながら、この地には人の活気をほとんど感じない。  毛皮の付いた外套(がいとう)に身を包む色素の薄い肌を持つ人々が時折り、すれ違い様に会釈(えしゃく)を交わす。  薄暗い雪道を進んで行けば、小さな木造住宅、薄荷色(ミントグリーン)薄紅藤(うすべにふじ)色のアパルトマンが一定の距離感で並ぶ一帯(いったい)がある。  帝国の建物が明るい色に塗装(とそう)されていることが多いのは、視界が悪くなる雪の時期でも見つけやすくするためだ。  建物はどれも長い年月によって風化と劣化(れっか)が進み、そこに世界屈指の大国である帝国の強大な国力を見ることはできない。  そこには一国が維持するには広大過ぎる領土を持つが(ゆえ)弊害(へいがい)、そして帝国が資源に(とぼ)しく、農作物を育てるにも適さない永久凍土の発展よりも、戦争による領地拡大に注力してきた背景があった。  更に()を進めていけば、凍結した池を背にして、横長の巨大な屋敷が建っている。  明るい翡翠色(ビリディフローラ)の屋根を持つ卵色の屋敷だ。  中央の屋根は丸く、視線を下げれば白い円柱が屋根部分を支える門がある。  先ほどの一帯にあったような家々とは違い、長い歴史を感じさせる(たたず)まいだが、定期的な改修などがされているのだろう。  その外観は新築のものとも、ほとんど差を感じさせない美しさがある。  白い枠の窓、その先にある部屋では、暖炉(だんろ)から近い赤茶色の小さな円卓で二人の子供が身体を寄せ合い、古びた分厚い本を読んでいた。  黒い髪に柘榴石(ガーネット)よりも深い真紅の瞳、色素の薄い白い肌から、すぐにこの二人が姉弟であることはわかりそうなものだが、彼らから放たれる雰囲気は対照的だ。  姉の方は10代半ばに達していないくらいだが、既に大人の女性の片鱗(へんりん)を示していた。  黒のサテン素材のブラウスを着こなした姿には、色気すらも漂っている。  (あで)やかさを(かも)し出す彼女の顔に浮かぶ微笑みは、隣に座る弟へと静かに注がれていた。  弟の方はというと、まだ五歳を過ぎた頃だろう。  だが、その顔に年相応の笑顔はない。  遺伝的な白い肌と鋭く紅い瞳は、姉とは違い他者へ高圧的な印象を与える。  服装は帝国の裕福な家の子息には、一般的な灰色の生地に縦に紅い(ライン)が入った軍服のようなジャケットだ。  無表情ながら、どこか眠そうな弟の隣で姉はハープの音色を奏でるように、静かに言葉を(つむ)ぎ出す——。    〝遥かに広がる黒い海——《宇宙》——。   その果てには大いなる意思が存在しています。  宇宙の意思は、私たちの惑星(オブシディアン)に〝三柱の女神〟を(つか)わせました。  長女オーロラと三女のセラスは『光』と『創造』の権能、次女のリュドミラは『闇』と『(ほろび)』の権能を(ゆう)していました。  オーロラとセラスにはこの星を光で包み、新たな生命を創造する使命があり、リュドミラには星が命の灯火(ともしび)を消した後、あらゆる生命を宇宙に導く使命があったと言います。  女神たちはこの世界に海と空、自らの子である、あらゆる生命が生きるための大地、彼らの(かて)となる自然を産み落としました。〟 「姉様、〝糧〟ってなんですか?」 「あら、ごめんなさい。少し難しかったわね。糧というのは食べ物のことよ」 「なるほど」  興味を持っているように感じられない返答をする弟に、姉は笑みをこぼしながら、再び分厚い本に視線を戻した。  〝女神たちは人類をどう導くか、その方針をめぐって争うことになります。    オーロラとセラスは女神が直接、人類社会を管理することによる〝調和〟を求めました。  ですが、リュドミラは人類の〝進歩〟の可能性に賭けたのです。〟 「調和、進歩……?」 「そうね、教育方針の違いのようなものと思えば良いわ。大人が(こま)かく指示をするか、教えることを教えたら子供に自由にさせるか」 「へぇ、僕はリュドミラの方が好きだなぁ」 「ふふ、それはあなたらしいわね。それじゃあ続けるわね」    〝リュドミラの独断(どくだん)により、人類には多くの知恵が与えられました。  その中でも、神秘の力とも言われる〝奏力(ディーヴァ)〟を利用した数多(あまた)の発明は、文明を急速に発展させました。  そして、その過ぎた力は人類の争いさえも加速させたのです。  富、土地、麗しき美女——強大な力を持った人類の欲望は、とどまることを知りませんでした。  為政者(いせいしゃ)たちは大地を自らの手により、火の海へと変えて自身の身さえも焼き滅ぼしたのです。  人類の愚かさを嘆き悲しんだオーロラとセラスは、長きに渡る戦いの末にリュドミラを倒し、彼女を〝天空の(その)〟の最も高い場所に封じました。  オーロラとセラスは、自らの民の中から最も善良な心を持つ人々を選び、彼らの一族に未来を託して天空の園へと昇っていきました。  その(のち)、戦いと悲しみに満ちた世界に(さば)きを下したのです。  【死の冬(フィンブル)】——。    時期外れの雪は、明けることなき冬の始まりでした。  その雪は(つるぎ)であり、毒であり、滅びを告げる宣告でした。    何年、何十年、何百年続いたのか——正確な記録は残っていません。  大地を凍結させた雪は、人類の築き上げた文明を氷の底へと(ほうむ)り去りました。    残された人類は再び、この大陸フルルドリスから文明を築き上げたのです。  善良な人類の子孫が世界から(つど)い、平和を願い建国されたのが後に大陸を開拓して統一した【セントクォーツ王国】——。〟 ——『臣民の為のセントクォーツ王国建国神話』 ニコル・ボードレール著 
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