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そこで姉は本を静かに閉じた。
「やっぱり、僕はリュドミラの方が好きだな」
「あら、どうしてかしら? 彼女が人類に知恵を与えなければ、文明の滅亡は回避できたかもしれないのよ?」
「それはそうですが、リュドミラは自分の子供たちを信じたのです。親が子供のこと信じてあげられないでどうするのですか」
姉は弟の言葉に少し驚いたようだったが、話を続けるように促す。
「それに結局、オーロラもセラスも今はどこにいるのかわかりません。天空の園なんて僕は見たことがありません。二人は自分たちが辛いものを見るのが嫌になって、人類に全てを丸投げしただけです」
姉は言葉を発さずに、弟のつづく言葉を彼から目を逸らさずに待つ。
「何よりも、一人を相手に二人がかりで戦うのは何というか、〝ダサく〟感じます」
「ふふ、そうかもしれないわ。それにしてもあなたがそんな言葉を使うなんてね。でも、私たち家族も直に王国に移ることになるわ。王国の人々はオーロラとセラスを強く信仰してるから、それを侮辱するようなことを言ってはダメよ?」
「むぅ、わかりました……」
「いい子ね」
不満げな弟を窘めると姉は席を立ち、窓の前に移動すると視線を下に向けた。
弟も席を立ち、姉の隣に並ぶとそれにならう。
黒塗りの車体の先端に銀製の蛇が象られた〝奏力車〟が屋敷の前に停まる。
姉弟の父の愛車で帝国の高級メーカー【サーペント】のものだ。
姉は紺色のシルクの小袋から、歪な形をした紫色の光を中心に閉じ込めた白い鉱石を取り出す。
彼女が、それを弟の耳に押し当てると、心を落ち着かせる音色が彼の体を駆け抜けていく。
「ユハ・ライトネンが、〝福音石〟から抽出した奏力を利用した古代技術を蘇らせてからおよそ50年——」
暫しの間、目を瞑った姉は覚悟を決めたようにゆっくりと言葉を紡いでいく。
「私達の文明は急速に近代化し、古代の技術を復活させている。そして再び〝滅び〟に近づいている」
「大丈夫だと思います——」
「えっ?」
意表を突かれた彼女が隣を見ると、弟は珍しく無邪気な笑顔で、外の雪景色を眺めていた。
「だって僕らは過去の人類とは違う。オーロラとセラスに見捨てられた僕たちに〝進歩〟が許されたのならば、自分達で今度こそ正しい未来を選べばいい」
「そうね……。きっと私たちは今度こそ間違わない。いいえ、間違ってはいけない」
姉の左手が静かに弟のそれに重なった——。
「姉様?」
「直に雪が止んで、この国にもファレスが訪れる。それでもこの街は変わらない。四季がある街はどんなところなのかしらね」
姉弟は揃って雪山の遥か先にある国へと想いを馳せる。
「今回、私たちはお父様の意向に従うだけ。私たちは所詮は、無力な雛鳥に過ぎない。これからも多くの運命による干渉を受けるでしょう。それでも、私たちはきっとこの先、どんな未来も自分で選べるはずよ。クラウン、私の愛おしい弟、これはあなたが私に教えてくれたこと。だから、どこに行っても、それを決して忘れないで——」
クラウン・ビショップ当時7歳、クローディア・ビショップ当時13歳。
これは二人がまだ、セントクォーツ王国に旅立つ前の物語だ。
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