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「ちっ……。おめおめと逃げ帰ったかと思ったが、まだ俺の前に立つ度胸があったとはな。それとも部下たちと同じところに送ってほしくなったか?」
「悪いけど私、情の薄い女なの。死者を思い返す趣味は無いわ……」
周囲一帯を底冷えさせるような昏く、無機質な女性の瞳が男を見下ろす。
その視線は直接それを受けているわけではないクラウンの背筋すらも凍らせるほどに冷たい。
だが、同時に彼女の瞳は灰簾石のように高貴で神秘的な美しさも併せ持っていた。
「はっ、怖い女だ」
「心にもないことを……。ついでに、躾のなってない犬と戯れる趣味も無いわ……」
女性が審判者のように、その杖を縦に振り下ろせば、鎖が意思を持ったかのように男を更に強く締めあげていく。
「がっ……!!」
男の顔から余裕が消えていく。
苦痛と苛立ちの感情が表情に浮かび、強く噛んだ唇からは血が滴り、石畳を赤黒く染め上げていく。
「さて、時間が無いわね……」
女性は一切の恐れを感じさせることなく、塔から飛び降りると、そこから一足飛びにクラウンの目前まで距離を詰めた。
「おわっ!?」
突然のことに、クラウンは不恰好にも尻餅をついてしまう。
「な、なんなんだよ! お前らはっ!?」
「はぁ、見飽きた反応ね……」
女性は心底、つまらないものを見るような目でクラウンを見下ろす。
その風貌は聖職者のようにも見えるが、神に使える者というよりも死神の代理人という方が、クラウンには余程しっくりきた。
「ねぇ、貴方? これってもしかしなくても、私が状況を説明しなきゃダメな展開かしら……?」
「あ、あぁ……。し、してくれるなら助かるが……」
「えぇ……。めんどくさい……」
「はぁっ?」
「はぁ、こんなことなら説明要員に怪我覚悟で、もう一人くらい助けてくるんだったなぁ……。あぁ、でもそれもめんどくさいな……。というか、今日話しすぎてもう疲れた……」
クラウンは察した——。
はっきり言ってしまえば、自分は年上の美人が大好きだ。
目前に立つ女性は、もちろん、その例に漏れない。
こんな状況でなければ、下手くそなナンパを披露していたかもしれない。
だが、この女性は関わってはダメな類のあれだ。
とはいえど、この場で見るからに危険な男と変わり者の美女ならば、どちらを頼るべきだろうか。
迷う余地はなかった。
「しっかりしろ! あぁ、もう! さっきまで割とかっこよかったじゃねぇか!!」
「えっ? かっこいい……。そ、そうかしら……?」
女性は感情を氷の底に封じ込めてきたかのような作りものめいた顔を、赤く染め上げると少しそわそわとした様子を見せる。
——うん? この美人、意外とチョロいんじゃねぇか?
「お、おう! なんたって、あんなヤバそうな奴をあっさり、止めちゃうんだからな! だから頼むぜ? なっ?」
「そう……。でも残念なお知らせがあるわ……」
「うん?」
「あと一分もしないうちに私の拘束が破られるわ……」
しばしの間、二人の視線が無言で重なった。
「何とかしろおぉぉっ——!」
視線を赤髪の男へと向ければ、彼の周囲には一面、炎の絨毯が広がっている。
その炎は主人の周りを演舞を披露するかのように動き回り、男を拘束してる魔法陣を燃やし尽くそうとしていた。
「無理言わないで……。心底、腹立たしいけどあの男の力は本物よ、私の部下も何人あいつに殺されたか……」
「——っ!?」
クラウンの額にひやりとした汗がにじむ。
女性の顔が何かの覚悟を決めたように真剣なものへと変貌する。
「いい、細かいことは聞かないで。貴方は魔術師として目覚めつつある。私も彼もあなたの力が欲しい。貴方が彼についていくと言うのならば、始末するしかないわ。さぁどうする——?」
さっきまでのゆったりとした喋り方ではなく、彼女は一息に言い放った——。
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