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17 その名前
情事まがいのことをした後、瑛太郎の足は自然とあの家から遠ざかっていた。
単純に気まずいというのもあったが、それ以上に、志憧の最も大事にしている者の側で彼を汚してしまったという引け目があったからだ。杏珠に会わせる顔もない。
仕事帰りにあの細道をのぞいたことは何度かあったのだが、玄関先にあの親子の姿はなかった。なんとなく、「絶対に会える」と思わない限り、あの二人には会えないような気もしていた。
そして瑛太郎は彼らに会わない間に、あの家についての情報を知ることとなった。
「秋山さん、これです」
後輩が持ってきたファイルの内容は、仕事には直接関わらないことだった。後輩の社員は小首を傾げながら言った。
「この物件、うちでは扱う予定はないそうですけど、なにか関係あるんですか?」
「あ、いや、ちょっと気になっただけ。ありがとう」
そうですか、と言って後輩が自分の席に戻ったのを見計らい、瑛太郎はファイルを開いた。パソコンに残らないように紙の資料で頼んだのは、ごくごく個人的なことだからだ。
志憧と杏珠が住む家のことだった。不動産関係で働く瑛太郎は、どうしてもあの場所に家が建っていたことが不思議で仕方がなかった。絶対にあそこは空き地だった。最近建ったにしても、家の古さとのバランスが合わない。
だが調べてみると、確かにあの家はずいぶん前に建てられていた。築四十年。
「そんなに前から・・・?」
どうやらどこかの空き地と勘違いしていたようだと自分に言い聞かせるも、瑛太郎は腑に落ちなかった。
調べていくと、あの家は一度売りに出されている。元々の持ち主は野間口中也という男で、販売していたのは瑛太郎のつとめている不動産会社の先代の社長の時だった。
あの家に表札はかけられていなかった。家の中にも名前がわかるようなものはなかったと思う。
「野間口・・・・・・野間口?」
その響きをどこかで聞いた、いや見た気がした。ファイルを睨みながら考えを巡らせているうち、それは漢字の「野間口」ではなく「nomaguti」であったことを思い出した。
志憧がフォトフレームの裏側から取り出したエアメイル。亡くなった恋人から送られてきた封筒の裏には、「Yuuhi Nomaguti」と書かれていた。志憧の恋人の名前は「のまぐちゆうひ」だ。
では野間口中也は、恋人の父親か。年代としてもちょうどいい。だとすれば杏珠は野間口中也の孫ということになる。志憧は他人だ。なぜあの家に住めているのか。売りに出されていたのは十年以上前だし、現時点、瑛太郎の会社では扱いを取りやめた物件だ。
瑛太郎はあのエアメイルの宛名を思いだそうとしていた。そこには必ず志憧の名字が書かれていたはず。なのにどうしても思い出せない。
不思議な家と、血の繋がらない家族。瑛太郎は深く考えずに、パソコンに「のまぐちゆうひ 自動車事故」と検索をかけた。
記事はあっさりと出てきた。おおまかには志憧の言うとおりの内容だったが、ひとつ決定的に違うことがあった。
亡くなったのは確かに野間口雄飛とその妻の有紗。しかし有紗は妊娠していたとは書かれていなかった。
見落とされたとは考えにくい。早産とはいえ、妊婦であることがわからないはずがないし、その子供が助かったとなればネットニュースでその情報を伏せる理由もないはずだ。
杏珠は野間口雄飛の娘ではないのか?
ではいったい誰の子だ?
志憧の本当の子なのか?だったらなぜあんな話を?考えれば考えるほどに、瑛太郎はわからなくなった。
志憧に会わなくなり、二週間が経っていた。
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