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7 天の川
その晩はカレーだった。杏珠は卓袱台にカレー皿を三つ並べ、水をなみなみ入れたサーバーポットを丁寧に抱えて運んできた。
カレーには、いかにも男の料理と言った風情の、大きく切られた肉や野菜がごろごろ入っていた。
「にんじんきらい」
「じゃあ肉も我慢だな」
「やだ、おにくたべる」
「肉を食べたかったらにんじんも食べなさい。ひとつしか入ってないぞ」
杏珠は頬を膨らませ抗議したが、志憧は人参を乗せたスプーンを杏珠の口もとに運ぶ。ぎゅっと目をつむって杏珠は人参を口に入れた。もぐもぐと咀嚼しておおげさに飲み込むと、自分のフォークで嬉しそうに肉をつついた。
「志憧もはい、あーん」
杏珠は一番大きな肉のかたまりをもちあげて、志憧の顔の前に差し出した。
「それは杏珠の分だぞ」
「でも、あーん」
仕方なく志憧は口を開け、その肉を頬張った。仲むつまじい親子の風景。しかしどこか影があるというか、まるで恋人同士のようだ、と頭を過ぎる。こんな幼い少女相手におかしなことを考えた自分に呆れつつ、瑛太郎はカレーを食べた。
杏珠は食事が終わると、いそいそと色紙やペン、はさみやのりが入った箱を卓袱台に乗せた。瑛太郎がなにをするのか尋ねると、杏珠は嬉しそうに言った。
「たななたかざりつくるの」
たなばた、と言えないのが可愛らしい。箱の中からペンと色紙を取り出し、難しい顔で厳選すると、緑と青の紙を瑛太郎の前に並べた。これで作れ、ということらしい。
瑛太郎が紙を細長く切り、杏珠が端と端を糊で留めて輪を作る。それをいくつもいくつもつなげていく。洗い物をすませてキッチンから出てきた志憧が、杏珠の隣に腰を下ろした。
「杏珠、短冊は?」
「たんざく」
「お願い事を書く紙だよ」
「おねがいごと、かく!」
ぱあっと明るい顔をしたかと思うと、杏珠はピンク色のペンを持ち、色紙になにやらしたため始めた。まだ小学校に上がっていないと見える杏珠の字は複雑で、「あ」なのか「ね」なのか「ぬ」なのかもわからないが、とにかく無心にかきつける。
「できた!」
どれどれ、と志憧はその難解な短冊を持ち上げた。わくわくした顔で杏珠は評価を待っている。
「よく書けたな、えらいぞ」
志憧は微笑み、杏珠の頭をぽん、と押さえた。満面の笑みで杏珠は志憧に抱きつく。卓袱台に置かれた短冊には、ひっくりかえった「あ」から始まる五文字。おそらく「あまのがわ」と書きたかったのだろう。願い事ではないが、百点満点の出来だ。
志憧に絡みつくうち、杏珠は彼のあぐらの中にもぐりこみ、すやすやと寝息をたてはじめた。
瑛太郎は小声で失礼します、と言って立ち上がった。志憧は寝入った杏珠の髪を撫でながら、笑顔で会釈を返した。
その口が「また」と無音で動くのを瑛太郎は見た。次がある、そう思いながら瑛太郎は親子の家を出た。
今日は七夕だ。
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