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8 さらさら
夢なのか、現実なのか。
見えたのは、あの日と同じ光景。瑛太郎はバスタオルを持って浴室へ。兄と従兄弟が中にいるはずだった。高校生だったはずなのに、今、瑛太郎はスーツを着ている。脱衣所で抱き合っているはずの兄と従兄弟の気配も感じない。瑛太郎はそっとドアをあけ、中をのぞいた。
そこには誰もいない。しかし誰かの脱ぎ捨てた衣服が脱衣かごの中にある。襟が黒でパイピングされたTシャツと、綿のパンツ。浴室の中では誰かがシャワーを浴びている、さらさらさら、さらさらさら、と水が流れる音が聞こえる。半透明のガラスの向こうに人影が見えた。
瑛太郎はそれが、焦がれた従兄弟の背中だと思って、そっと扉を押し開けた。
引き締まった筋肉の上を、熱い湯滴が次々と滑り落ちてゆく。白い湯気の中、男は濡れた髪を掻きあげた。
「瑛太郎」
背中の持ち主が言った。従兄弟の声じゃない。兄でもない。振り向いたその顔を見て、瑛太郎は驚き息を呑んだ。
志憧だ。どうしてここに?いや、そんなことより大変なのはこの状況だ。志憧は一糸纏わぬ姿。
「どうして・・・・・・あなたがここに・・・?」
志憧は何も答えず、瑛太郎に向かって手を差し伸べた。瑛太郎は出された手に吸い込まれるように触れた。掴まれた手はしっかりと握られ、瑛太郎は志憧の顔を見上げた。
ゆっくりと近づいてくる志憧の顔が、瑛太郎の耳元で止まった。
「あなたが呼んだ」
「ぼ・・・僕が?」
志憧は濡れた髪が貼り付いた顔をさらに近づけ、瑛太郎に柔らかなキスをした。
体中にびっしりと汗をかいて、瑛太郎はカーテンの隙間から差し込む朝日で目を覚ました。重い体を起こして、夢を見ていたんだと知り、さらに体が重くなる。
生々しすぎる夢。今も湯気の香りが鼻に残り、唇には志憧の感触が残っている。全身を覆っているのは汗というより水だ。本当にシャワーを浴びたみたいだ。
「夢を見るなんてどうかしてる」
独り言をつぶやいて、ベッドを抜け出した。浴室に向かい、汗で湿った部屋着を脱いで脱衣かごに投げた。
「・・・え・・・っ・・・?」
脱ぎ捨てた部屋着の下に、見慣れない服があった。手に取り広げて、瑛太郎は固まった。
それは夢の中で見たTシャツ。襟に黒のパイピングの施されたデザインを覚えている。
「そんな・・・」
これは間違いなく自分のものじゃない。似たようなデザインのものだって持っていない。一人暮らしの長いこのアパートに、客を招いたこともないから、他人のものが紛れ込んだとも考えにくい。
瑛太郎はTシャツを脱衣かごに戻し、乱暴に浴室のドアを開けた。
もちろんそこには誰もいない。
熱い湯を勢いよくかぶりながら、瑛太郎はきつく目を閉じた。
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