若隠居、逃走する(3)

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若隠居、逃走する(3)

 かくして、僕たちは今、こうして必死に走っているのである。  なぜか魔術の類いがまったく発動しないので、僕にとっては不利だ。幹彦にしても、身体強化はできても与えた傷が片っ端から完治するので、やはりマイナスだ。  こいつらが侵入してきた危険な吸血鬼の仲間に違いないが、思っていた以上に厄介なことになりそうだ。  何で今更全力疾走のペースでマラソンをしないといけないのかと嘆いていたら、角を曲がってすぐのドアが開いていて、中から人が手招きをしていた。 「入って! 急いで!」  そこがどこか、それが誰かを確かめる余裕もなく、とにかく僕たちはその中に飛び込んで、床の上にへたり込んだ。  静かにしろと合図を送られたが、心配はいらない。喋りたくても息が上がって喋れない。  ドアの向こうを、 「あれ。どこに行きやがった」 「くそ、せっかくの天然物が」 と言いながら走って行く足音がして、やがてそれも聞こえなくなった。  そこでやっと、深い息をついた。 「ああ、くそ。鍛え直し、しねえと」  幹彦は悔しそうに言った。 「何なんだよ、あれ」  僕は言いながら、密かに風を生み出すように魔術を放ってみて、やはりできないことを確認した。  この世界では魔術が使えない、ということだ。  魔素がないとしても、今の僕は体内で魔素を生み出すことができるので、発動できるはずだ。  それでも魔術が発動できないということは、その原因は別のところにあるということになる。  考えこみそうになったが、そんな場合じゃないと思いだした。 「ここは」  辺りを見回すと、どうも飲食店のようだった。カウンターには椅子が十脚並び、四人がけのテーブルが四つある。  僕たちを引き込んでくれた男はドアに張り付いており、厚い生地のカーテンが下りる窓には別の男が張り付いて外を隙間から覗いていたが、どちらも身を起こすと、 「行ったぞ」 と安堵しながらカウンター前の椅子へと歩いて行った。  カウンターの中には女性がひとりおり、 「まあ、水でも飲んで落ち着きなって」 と言いながら、僕たちに水の入ったコップや皿を持ってきてくれた。  ありがたくそれをいただく。 「ふああ、美味しい。  ありがとうございました。ごちそうさまです」 「はああ、生き返るぜ」  幹彦も一気に飲み干して、息をつく。  チビたちも水をごくごくと飲んでいた。 「あの、助けてくださってありがとうございました」  言いながら、改めてこの三人を見た。  カウンターの女性は、年の頃は二十代後半から三十代だろうか。陽気そうで、ふくよかな女性だった。  ドアから引き入れてくれた男は、同じくらいの年齢だろう。ふくよかで陽気そうな男で、拳には拳だこができていた。  窓から外を見ていた男は、年は同じくらいで、痩せてひょろりとしている。そしてどこか神経質そうに見えた。  そして、店内は強いにんにくのにおいがしていた。  ここは何屋だろうと思いながら立ち上がった時、女性が朗らかに言った。 「これから夕飯にするんだけど、あんたたちも食べるかい」  言いながら、湯切りをする。  あれはまさに、ラーメンだ。 「あ、お腹空いてきたぜ」  幹彦が言い、チビも尻尾を振ってそばに寄ってきた。ピーコ、ガン助、じいはカバンの中から頭を覗かせている。 「どうせ朝になるまで外には出られないんだ。ゆっくりして行くがいいぜよ」  拳だこの男がそう言って、椅子に座れと手招きする。 「ああ。どうしてこんな時間まで外なんかにいたのか答えたまえ。私たちが気付かなければ、吸われていたところだぞ」  痩せた男が言いながら、フンと鼻を鳴らす。 「まあまあ、夜は長いんだ。座りなよ。  ちびちゃんたちもロウメーンは食べられるのかな。焼き煮豚がいいかな」  聞いたチビは、尻尾をぶんぶんと振る。  焼き煮豚とは、チャーシューのことだろうと思う。何せチャーシューの作り方は、焼いて煮る、または漬け込む、だ。 「あ、焼き煮豚をお願いできますか。  ああっ! あの、お金が、ちょっと」  まずい。ここの貨幣など持っていない。無銭飲食はまずい。  しかし女性は笑った。 「まあまあ。太陽自由軍は、吸血鬼に追われていたやつを助けないとね」  それで僕たちは、座りかけていた椅子の上で素っ頓狂な声を上げることになった。 「吸血鬼!」  予想通りだと僕と幹彦は思わず声を上げた。しかし、それを聞いた女性と男ふたりが、今度はキョトンとする番だった。 「何を今更わかりきったことを……」  痩せた方が顔をしかめて言い、拳だこの方が僕たちをじろじろと見て言う。 「もしかして、地方の小さな地下避難所で生まれ育ってきたのか?」  僕たちは、どう答えればいいのか迷い、そっと目を合わせる。  その様子に、彼らは勝手に納得したようだった。 「ああ、それなら仕方がないのか? でも、そういうことは教えておくものではないのかね?」 「小さい頃、教える前に死んだのかもしれないよ。その後そこに隠れたまま育って、食料が尽きて出てきたんだじゃないか。少し前には時々そういうコミュニティがあったもんだよ。見つけられて養殖場に連れて行かれる前は」  女性が嘆息して言い、よくわからないが、僕たちはそれに乗っかることにした。 「実はそうみたいです。外のことは知らないままで。なので、よければ色々と教えていただけますか」  幹彦がそう言うと、拳だこの男は涙を浮かべて鼻をすすり、痩せた男は背中を丸め、女性は笑みを浮かべて言った。 「ああ、いいよ。  まずは腹ごしらえだよ。あたしの特製ロウメーンを食べな。そっちのちびちゃんたちにはよく煮込んだ焼き煮豚をあげようかね」  僕たちはカウンターについた。  チビ、とりあえず今はまだ犬のふり! カウンターに座らない!
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