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裕子が部屋を後にすると、外はすっかり暗くなっていた。澄み渡った夜空に無数の光が瞬いて、裕子は夢の世界にいるような錯覚に捉われる。ふと自分が迷い鬼になった気がした。
外廊下の天井に設置された共用灯が、黄色い光を放ちながら明滅する。
廊下の奥に視線を移すと、二つの小さな人影が見えた。白いワンピースを着たゆうが、さらに小さな少年の手を引いている。ゆうの顔からは爛れた火傷の痕がきれいに無くなっていた。
裕子に向かってゆうが微笑みかける。裕子も手を振って応える。ワンピースの白が徐々に薄まって透明化していく。二つの小さな影が夜の中に溶けて見えなくなっても、裕子は手を振り続けた。
ごめんな。ばあちゃんの力も年々弱まってしもうてな。あんたが迷子になってるのに、今になるまで気づいてあげれんかった……
それから乾いた笑みが漏れる。
自分が迷い鬼になったかどうかなど、どうでもいいことだった。遅かれ早かれそれはやって来るのだ。
迷い鬼の呪縛を解く方法は二つだけ。それは恨みを晴らすか許すこと。
だから裕子は決してこの呪いから逃れられない。
あの日、家を空けてしまった自分を、たった一人の孫を死なせてしまった自分を、孫の復讐に手を染めてしまった自分を、裕子は絶対に許すことが出来ないのだから。
突然、背後から羽交締めにされたような金縛りに襲われる。耳元で怨めしい呪詛の言葉が吐かれる。
「ばあちゃんを苦しめる奴は絶対許さへん。絶対に復讐したるねん。迷い鬼になってずっと恨み続けたるんや」
夜風が吹く。裕子はあの懐かしい匂いをはっきりと感じる。
「……さあ、ばあちゃん、どうする? うちと一緒に鬼になる? それとも自分を許してうちを解放してくれる? さあ、どっち?」
自分を抱き締める小さな手に触れた気がした。裕子は耐え切れずに決壊し、膝をついてその場に崩れ折れた。
いつまでも止まない悲鳴にも似た老女の慟哭が、晩夏の夜空に吸い込まれては消えていった。
END
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