迷い鬼

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 裕子の視線がリビングの隣にある和室に移る。隅には不釣り合いな大型のクーラーボックスが置かれ、床には一部分だけゴミが除けられた場所がある。  裕子は和室まで移動すると、その場所に屈みこんだ。むき出しになった畳は所々黒く変色し、(むし)られてささくれていた。手を触れるとベタベタと不快な感触があった。触れた指を鼻先に近づける。  醤油と砂糖の匂いがした。  裕子はたちまち理解する。空腹に耐えかねたこの少年は畳を食べたのだ。    突然、ガチャガチャと玄関で音が鳴った。続いてゴミ袋を蹴り散らかす音とともに、誰かがリビングに入って来るのが見えた。  裕子は咄嗟に和室の押し入れに身を隠すと、少年に向かって人差し指を口に当てて見せた。  少年の顔が見る見る蒼ざめていく。  リビングに現れたのは写真に写っていた女だった。毒々しい金髪に真っ赤な口紅。胸元が大きく開いたタンクトップに裾のほつれたジーンズの短パンを履いている。女は携帯を耳に押し当てたまま旅行鞄を放り投げると、我が子の存在を無視するように少年の前を通り過ぎた。それからソファの上のゴミを無造作にどけて寝転がる。 「沖縄旅行最高やったよ~! カケルもテンション爆上がりでさあ~、もう朝から晩まで燃えまくり~!」  下品な笑い声をあげながら足をばたつかせる女を、少年が暗い目で見つめる。女は相変わらず少年など存在しないかのように振る舞い続ける。  あまりにも居たたまれない光景だった。そして裕子の中に沸々と怒りが湧き上がる。  この女は痩せこけた息子に十分な食事も与えないまま、一か月も家を空けていたのだ。  女は寝転がったまま細いタバコに火をつけた。 「子供? ああ、あいつなら大丈夫、ちゃんとからさ~」  限界だった。沸点を超えた裕子が押し入れから飛び出そうとしたとき、少年の横顔が目に入った。何かが変だった。違和感の正体を探るように凝視する。ソファを転がる女を覗き込むように少年が背をむけた瞬間、裕子は「あっ」と声を上げそうになった。
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