ALSの医師に

1/1
27人が本棚に入れています
本棚に追加
/17ページ

ALSの医師に

 僕は大森(かける)。医師を目指していた僕は帝国大学医学部に入学し、筋萎縮性側索硬化症(ALS)が専門の大泉教授の研究室に入った。そこで様々なALSの患者さんに出会い、不治の病であるALSと前向きに闘っている彼等に大きく鼓舞(インスパイア)された。そして三年から五年の余命を一生懸命生き抜き、天国に旅立って行く彼等を見て、ALSの治療技術の開発を生涯の仕事にする事を誓った。  医学部を卒業し二年間の研修医期間を終了すると、僕は大泉教授が部長を務める脳神経内科に配属された。そして引き続きALSの患者さんの治療とALS新薬の開発を進めていた。  水品光一さんと言う五二歳の患者さんに出会ったのは僕が脳神経内科に来て二年目の冬だった。既に彼はALSの発症から四年が経過し、四肢の運動障害、構音(発音)障害、嚥下(えんげ)障害、呼吸障害が発生しており、胃瘻(いろう)での栄養摂取、人工呼吸器による呼吸補助を行なっていた。そして発話は唯一自分の意志で動かせる眼球を使ってパソコン上の文字を選び行なっていた。症状の進行を抑える為の投薬は最近承認された『ラジカット』の点滴を今週から開始しており、運動ニューロンの保護により症状は安定していた。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!