第三章3  『鬼』

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第三章3  『鬼』

 岩場の中が懐中電灯の光で照らされる。大、ではなさそうだ。大なら、照らすことなどせずに触ってくるだろう。では、いったい誰が? 眩しそうに手を掲げた早希が指の隙間から、光源を見つめた。 「大丈夫かよ?」了が手を差し伸べている。  早希はきょとんとした顔つきで、了の手を取った。共子も続いて、岩場から警戒をしながら出てくる。  岩場近くの地面では、大が肩から出る血を抑えながら悶絶していた。それを横目に了と、銃を懐に仕舞っている西村が立っている。どういたしまして、と早希のお礼に対する言葉を準備していた了に、早希は突拍子もない言葉を投げかける。 「撃ったの? 撃つことないでしょ」 「はぁ? なんだ、てめぇ。助けてやったのに、その言い草。お礼だろ、お礼、まずはよ」 「それはありがたい。けど、撃って死んだら、どうすんのよ」 「そりゃ、撃ったら死ぬに決まってんだろ。何言ってんだ? 西村さんが、てめぇら助けるために撃ってくれたんだろうが。なんで責めらんなきゃなんねぇんだ」 「撃たなくたって、他にやり様があるでしょ、って言ってんのよ、馬鹿!」 「馬鹿だぁ? ふざけんなよ、てめぇ!」 「てめぇ、てめぇ、って煩いのよ。あたしの名前は早希。名前で呼ぶぐらいしなさいよ、馬鹿!」早希が顔を突きつける。 「了。もういい」うんざりした様子の西村が、二人を止めた。 「ねえちゃん。助けてやったことには変わりねえんだ。そんなに喚くな」 「それは。ありがとう、ございました」 「そんなことよりだ。おまえらを連れていってはやるが、痣があるこいつは置いていく。いいな」  血を流し、苦しむ大を見つめ、「それはだめ。大も連れていく」早希はきっぱりと断る。 「てめぇ、お人よしなのも、いいかげんにしろよ。さっきまで襲われてたんだぞ」了が呆れた。 「そうだよ、早希。それは、おかしいって。大が悪い。今は、この人たちの言うことが正しいよ」と共子は了に賛同する。 「でも。見殺しにすることなんて、できない」 「こいつには痣がある。ってことはだ、あいつがそのうち追ってくる。どうすんだよ」 「それは」と返答に窮する早希が大を見やると、横たわっていたはずの大が肩ひじをつき、上半身を起こしていた。 「おまえも一緒に残ればいいんだよ」目を見開き、大が笑う。  大はすかさず早希の足を掴もうと飛びつくように、手を伸ばす。早希は反射的に大の手を避けた。だが、大は諦めなかった。たちまち標的を変え、奥にいた共子に向かっていき、足首をしっかりと掴んだ。 「はは。これで、一人仲間になったな」  共子の顔はみるみる真っ青になっていく。 「てめぇ!」了が大の顔を蹴ると、大は反転し、地面へと倒れた。大は痛みを堪えながら、勝ち誇ったように、ひひひ、と甲高い声で笑っている。大の笑いに呼応し合うかのように、獣の声が周囲に響き始めた。 「この、音。くそ!」了がもう一発、大の頭に蹴りを入れると、倒れ、気を失った。  西村は共子の足首に懐中電灯を向ける。捕まれた足首の部分には手形の痣が浮かびあがってきている。 「これで、私も、呪われたんだね……」共子は早希を見つめると、走り出す。早希は迷った。ログハウスでは感染していなかった共子。今は触られ、呪いを受けてしまった。追いかけたところで、何かできるのだろうか。 「待って、共子!」それでも早希は後を追った。例え頭が拒否しても、身体が動いてしまう。まずは止める。考えるのはそこからだ。意外にも、今回の追いかけっこは一分も経たずして幕を閉じた。前を走っていた共子の姿は、大がかりなマジックを見ているかのように、忽然と早希の視界からいなくなる。 「共子!」早希が血相を変える。  共子が消えた場所へと早希は駆け寄る。周辺を探ると、崖の縁からむき出ている木の根にしがみつく共子の姿を見つけた。暗闇のため、認識することが難しかったが、岩場の周辺は崖になっていた。運の悪いことは重なり、ちょうど地盤が緩くなっていた箇所に共子が足を踏み込んだ際、足元が崩れ、落ちたのだ。崖はどれくらいの高さがあるのか、はっきりとは見えないものの、落ちたら無事では済まない。下手をすれば命を失うことは容易に予想できた。早希は地面に体をつけると、共子の手を掴もうと、手を伸ばす。 「共子、大丈夫? あたしの手を掴んで!」 「早希……」  共子は自身の足の痣に視線を向け、弱々しく首を振った。 「だめ。できない。私が早希に触ったら、早希にも呪いがかかる」  呪い、という言葉を聞き、早希は一瞬たじろいでしまうものの、考えを振り払うように首を振り、また手を伸ばしていく。 「いい、関係ないよ。ここで助けられなかったら、後で必ず後悔する。共子が死んじゃったらやだ!」  共子は早希の一所懸命な顔を見つめると、苦笑し、咎めるような視線を投げつけた。 「共子?」 「早希の偽善者っぷり、ほんと、むかつく。何、いい子ぶってるの? 私が触ったら、呪いが感染して、殺されるんだよ!」 「分かってるよ」 「全然分かってない! 早希は昔からそう。分かったつもりで、いい子ぶって。高一のときだって。覚えてる? 早希が告られたことあったよね。自分も好きだったくせに、私が好きだからって、勝手に身を引いて。なんなの、いつも自分が損することばかりして。自分が犠牲になれば、こっちが喜ぶとでも思ってるの?」 「それは、違うよ」 「違わない!」 「違うの! 本当は怖いよ。告白のときだって単に臆病だっただけ。先輩やみさえが殺されたときだって、誰よりも早くあの場から逃げ出したかった。怖いに決まってるじゃない!」 「じゃ、私なんて放って、早く逃げなよ!」 「でも、とにかく嫌なの。理屈じゃない。共子には死んでほしくないの! 死んだら、何も残らないでしょ。お願いだから、手を取って!」早希は涙ぐみ、共子に訴えかけた。共子は足を掛け、蹴り上がろうとしたが、土は崩れ、体はずるっと落ちていく。 「共子!」 「早希……」  早希は共子を追うように身を乗り出すと、手が千切れてしまうのではないかというぐらい伸ばした。 「早く、早く捕まって!」 「でも、私が触ったら――」 「もう、いい! そんなこと、どうでもいいから。早く捕まって!」  早希の諦めない姿勢に観念し、共子は苦虫を噛み潰した顔で、早希に向かい、手を伸ばした。しかし、共子の手は泥で枝を掴む手に力が入らずに滑っていってしまう。早希との距離は更に離れていった。 「共子!」  己の正義の為には人を殺めることなど迷いはしない西村は、それ以外で人が死ぬのは嫌な性分だった。そういうときは、つくづくヤクザには向いてないなと、決まって自嘲する。早希たちを見て、やれやれ、と西村が動こうとすると声が聞こえる。 「くそ、うぜぇな。なんで他人なんか助けようとすんだよ」隣にいた了が西村より先に走り出していた。  了は西村以上にヤクザに不向きだった。加えて、了は、ときとして考えるより先に行動に出る。それがうまくいくときと、いかないときはあったが、そんな了の一面を西村は買っていた。了に二人を任せ、西村は残ることにした。西村の傍らでは、人知れず大の目が開いていく。  早希は共子へ届けと、一所懸命にその手を伸ばしている。共子の体は、ずり落ち、距離は次第に離れ、手は木の根に到達した。早希の涙が共子の顔へ滴り落ちる。もうだめ、と早希が目を閉じた。 「大学行ってんのによ、意外と頭悪りぃんだな」  声に気付き、早希が隣をばっと見ると、了の姿があった。了は近くにあった長めの木の枝を拾い、手にしていた。なんで、ヤクザが。思わぬ展開に頭が追いつけずに早希は固まっている。 「おい、ぼうっとしてんじゃねえよ。これ使えば、触らずに助けられるだろ。一緒に引っ張るぞ」と了が言い放つ。なんで、ヤクザが助けようとしてくれているの? 大からも助けてくれた。これで二度目。でも、どうでもいい、今は考えている時間はない。 「うん!」早希は了が持つ木の枝を一緒に掴むと、共子に向かって伸ばした。  手が滑り、崖下へ落ちるすんでのところで、共子は二人が差し出す枝を掴む。 「せぇの」という了の掛け声を合図に、二人が枝を引っ張る。持ち上げられていく共子は、崖の縁を蹴り上げた。今度は足場が崩れることもなく、共子は地面へと這い上がった。荒い息のまま、早希と共子は顔を見つめ合うと、顔がほころんだ。  共子は上半身を起こし、気まずそうな顔で、「ごめん、早希」と頭を下げる。 「いいよ、もう。助かったんだから」早希が微笑んだ。 「マジで勘弁してくれねえかな」了は土埃を落としながら立ち上がると、わざとらしくため息を吐いて二人に水を差した。上から目線の物言いに早希はむっとして起き上がり、不快感を露わに言う。 「助けてもらったのは感謝するけど、そんな態度はないでしょ」 「へえ。助けて貰っておいて、その言い草は大したもんだ。さっきといい、おめえの頭の中には、『ありがとう』の五文字はねえのかよ。大体な、放っておけばよかったじゃねえか。余計なことすっから、大変なことになんだよ。助けに行って死んだらどうすんだ。てめえの命が一番大切だろうが」  早希は目をしばたたき、「じゃあ、なんで、あんたは助けにきてくれたのよ」と訊ねた。 「そりゃあ、おめえ」と了は言うと、明後日の方向を向き、「分かんねえよ。勝手に体が動いただけだ」とごまかした。早希は了の矛盾した言い分に、吹き出しそうになるのを堪える。 「何それ。大体――」  離れた場所から聞こえた銃声が、早希の言葉を止めた。なぜ銃声が……、殺人鬼が現れて、西村が応戦しているのか。  三人は銃声が鳴った西村の下へと駆けつけると、発砲したはずの西村は、なぜか肩を押さえ、片膝をついている。向かいには、血が流れる右腕をだらんとさせ、銃を左手で掲げる大が、狂気じみた笑みを浮かべていた。 「はは。撃ってくれた、お返しだよ」  了は西村の横へと駆け寄り、「西村さん。大丈夫っすか」と声をかける。「油断した」西村はしかめ面をした。気絶から目覚めた大は西村に隙ができるのをじっと待ち、銃を奪い、西村を撃っていた。 「大、やめて。一緒に逃げよ」 「はぁ、逃げる? 早希、いったい、どこに逃げるっていうんだよ。和真、みさえ、晴斗を見ただろ。逃げられないんだよ。俺も殺されるんだ。だったら、おまえら皆、道ずれにしてやる。触ることで、この痣が、この呪いが感染るんだったら、皆触ってやる!」  大が西村に向けていた銃口を共子へと動かす。 「いや、やめて……」 「心配するな、共子。もう俺とは仲間だろ。次は、おまえの番だよ、早希」と言いながら大は早希に銃を構えると、よたよたと歩き始める。 「待って。殺人鬼っていっても、さっきから何も起こらない、来ないじゃない。あれは、やっぱり動物か何かの仕業だったのよ。それに、もしいたとしても、ヤクザの人たちもいる。皆で立ち向かえば、どうにかなる」  早希の言い分を聞き、大は嘲笑った。 「もう関係ないんだよ、逃げるとか逃げないとか。俺が殺されるのは、きっと確定してんだ。だったら、おまえら道連れにして、それまでの時間楽しむしかないだろ。二人でさ」と大が舌なめずりをする。気持ち悪い……。心の底から早希は思った。 「来ないで!」早希が険しい表情で叫ぶ。 「逃げよう、だの。来るな、だの。そんなにころころと態度変えられたら、こっちは、どうすりゃいいのか、分かんないだろ。そもそも、おまえに選択肢なんてものは、ないんだよ」 「てめぇ!」了が向かおうとすると、大は素早く銃口を向け、牽制した。 「呪いなんかわざわざ感染させずに、おまえはすぐに殺してもいいんだぜ」 「くそ」  早希は大への怒りが湧きあがり、拳を強く握った。 「そんなかっこつけたって、大に人を殺すとか、そんな勇気ないでしょ。バスケ部の後輩が変な奴に絡まれてるとき、助けなかったよね? 待ち合わせしているときに、あたしが怖い人にナンパされてても、何も言わず隠れてたよね。あたし、知ってるよ。大が臆病なこと」 「うるさい、うるさい、うるさい! 殺せるさ。でもな、わざわざ犯罪者なんかにならなくても、触るだけで殺してくれるんだ。必要性がないだろ?」 「最低ね」と早希が冷たく言い放つと、大は顔を上に向け、歓喜の身震いをした。 「やっと本音が聞けて嬉しいよ。どんなに口説いても、心は閉ざしていたからな」 「今、見えている本性を感じてた。だから、嫌だったの」  大は痛みを堪えながら、右肩から流れる血で真っ赤に染まった手を掲げ、早希の頬へと、伸ばしていった。手についた血が、早希の靴に、胸元に、ぽたぽたと滴り落ちる。指が早希の肌に触れそうになった時だった。  大の表情が気味悪い笑顔から苦悶へと変わっていく。右肩のシャツが盛り上がってきたかと思うと、鋭利な刃物が突き出て、血が噴き出してくる。何が起きているのかを把握できないまま、早希は唖然と大の様子を見つめた。視線を刃物から上げていき、大の背後に立つ、それに気付くと、全身の毛が逆立つのを感じる。 「……鬼」早希は思わず口を開いた。
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