第二章2  『偽り』

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第二章2  『偽り』

 リビングには天井から吊るされた淡い暖色の電球が灯っている。床の血はすでに拭かれており、早希と共子が部屋の隅に移された和真とみさえの死体に白いシーツを被せ、涙を流しながら、手を合わせている。  ソファには佐々木が腰を深く落とし、足を広げていた。隣には西村と了が椅子に座り、大学生たちは対峙するように座っている。早希たちは戻ると席に着く。誰も喋り出そうとはしない。居心地の悪い沈黙が続いた。ヤクザの会合に比べれば、こんな空気など大したことねえ。それに、こいつらは単なる学生だ、何を気遣う必要がある、と思った了は、「結局よ、なんでこんなことになってんのかは、誰もわかんねえのかよ」と口を切った。  「ああ、俺たちは、おまえらが」と大は言いかけたところで、口の動きを止めた。山奥でのヤクザたちの行動、人を埋めていた映像が頭に浮かんだのだ。謎の犯人だけではなく、このヤクザたちも言葉遣い一つで人を殺す可能性があるいうことを思い出し、改めて言い直す。 「とにかく。僕たちは、あなたたちに追いかけられて、ここに戻ってきました。後は見ての通り、です。僕たちにも何が起きているのか、さっぱり分からないんですよ」 「じゃあ――」  了などに仕切られまいと、「で、おまえはその、自殺したじじいに会ったんだな」と佐々木が喋り出し、共子を向く。 「そう」 「頭がイカれたじじいに会った、そいつが自殺した? そんだけの情報じゃ、この状況の説明がつかねえだろ」 「そんなこと言われても」共子は視線を逸らした。 「チャラいの。おまえは、じじい以外に何か見てねえのかよ」晴斗に向かって喋ったはずの佐々木は、晴斗がいないことに気付くと、左右を見て探した。 「おい、あいつどこいった? 全員集めとけって言っただろ。早く呼んで来い」と佐々木は大に指図する。大は、はい、とも言わず、口をへの字に結んだまま、リビングを出ていった。  ヤクザと大学生が話し合う奇妙な空間で、早希が今日起こったことを頭の中で整理をしていると、ログハウスへ戻ったときの共子の態度を思い出し、違和感を覚えた。 「そう言えば、共子さ。みさえの痣を見たとき、凄く怯えてなかった?」早希が訊ねる。 「あれはただ」と言うと、共子は言葉につかえた。 「なんだ、痣って?」佐々木は腕を組み、首を前に出した。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※  薄暗い共同トイレの洗面台で、晴斗は蛇口を捻る。冷水を顔に浴びせると、鏡に映る自分を見つめた。どうしてこんなことに……。みさえの悲惨な姿が脳裏に浮かんでくる。切離された頭部から流れる夥しい量の血、床に倒れる首を失った胴体、首から夥しい量の血が床へ広がっていく。手の中には切断されたみさえの頭部。寝ているように目を閉じている安らかな顔は綺麗だとすら思う。「は、る、と」みさえの口が動き、血走った眼が見開いた。 「あっ!」晴斗は声を出して顔を上げると、青ざめた自分が鏡に映っている。みさえの姿はない。気持ち悪さと悲しみが込み上げ、洗面台に両手を置き、嗚咽した。体の水分が全て出ていってしまうのではないかというほどに。  少しずつ呼吸を落ち着かせていくと、涙で霞む視界には、捲ったシャツの袖から出る腕に何やら黒いものが見える。目にゴミが入った? 汚した覚えはない……。感じたことのない違和感。手で涙を拭い、腕を見つめた。腕には黒色の手の形をした痣が浮き出てきている。 「……何だよ、これ」渋い顔でそれを見つめていると、「晴斗!」とトイレの入り口に来た大の呼びかけに、体を震わせた。すばやく痣を隠すように腕を背にして振り返る。 「何やってるんだ。集まれって言われただろ」 「あ、ああ。今、行くよ」  大が去ると晴斗は腕を見る。気にするものではない。しかし、抱いた違和感は拭いきれない、とシャツを戻して腕を隠した。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※  大と晴斗がリビングに戻ってくると、皆に囲まれた共子が、車中で語った村の惨劇をヤクザに話している最中だった。 「で、その昔の事件と、この件と、何が関係あるってんだよ」 「だから、それを今から説明しようとしてるんでしょ」佐々木の問いに共子は呆れた表情で答えた。 「なんだと、こら」身を乗り出す佐々木に、共子も引かず、眉を吊り上げた。なんで学生に舐められんだ、こいつは。了は共子と佐々木のやり取りを見て、顔を背けて笑いを押し殺した。 「ねえちゃん。いいから、進めろ。殺人鬼、痣、何か知ってることがあったら、今のうちに全部言っとくんだな」西村が割って入る。 「痣って?」西村の話を聞いた晴斗が、隣の早希に小声で訊いた。 「みさえに痣ができてたでしょ。ほら、肩のところに。それに、みさえが和真先輩にも痣があったって言ってた。晴斗も聞いてたよね」 「ん? あ、いや。言ってたかな」晴斗は不自然な腕組みをした。 「共子、とにかく話しを続けてくれ」大は話を先へと促す。 「うん。山村で謎の大量虐殺があったところまではいいよね」共子がうなずくと、各々もうなずいた。 「その村の惨事を目撃した男っていうのが、実は私のお爺ちゃんなの。よほどショックだったんだと思う。何度も、私にこの話を聞かせてきた。もちろん、当時は幼かったし、話にも少しうんざりしていたから、あまり信じていなかったけれど」 「今となっては、信じるしかないわね」早希が言う。 「うん。みさえの痣を見たときに思い出したの。お爺ちゃんが、『殺されていた村人全員には、手の形をした痣があった。だから、手の形をした痣を見たときには気をつけるんだ』とも言っていたのを。そのときには、何の話かよく分かってなかった。けど、もしかすると」 「その話と、今日死んだ爺さんが、『触るな。呪い。あいつが来る』と言っていたことが妙にリンクしてしまうな」大はうんうんと唸る。 「和真先輩はお爺さんに触らせた。痣ができた。そして、みさえにも。村人たちを殺した犯人は捕まっていない」早希は自問自答するように呟いた。 「恐らく、手形の痣がある人間は」と早希が言うと、共子が、「殺人鬼に殺される」と続きを言い放った。  苛立った顔をした佐々木は、席から立つ。 「はっ、馬鹿馬鹿しい。おまえらホラー映画の観すぎだ。しかも、B級、いや、C級だな。なんだそりゃ。呪い? 痣がある人間を、殺人鬼がやってきて殺すだ? 痣なんか大なり小なり、ある奴はあるだろ」 「だけど、実際に殺されてたっすよね」了が水を差した。 「そりゃ、おまえ」と言いかけた佐々木が言葉に詰っていると、ここまで黙って聞いていた晴斗が、佐々木を助けるように話に加わる。 「いや、その人の言う通りだよ。大が言ってたけどさ、動物の仕業。熊か何かだよ。呪いとかさ、そんな馬鹿げた話、あるわけねぇじゃん」晴斗は焦った様子で立ち上がり、語気を強めた。 「それにさ。万が一、それが本当だとしてもだよ。考えてもみろよ、もう何十年も経ってるんだ。そんな犯人? 殺人鬼? 生きてるわけねぇじゃん!」 「晴斗、何を興奮しているんだ。みさえが死んで辛いのは分かる。だけど、実際に何者かがいて二人を殺したんだ、そこはちゃんと整理しておかないと」大が諭す。 「は? 興奮? どこが? 興奮なんかしてないさ。人が死んだのを噂のせいにするのは非科学的だって言ってるだけだろ!」 「噂って、おじいちゃんは本当に――」 「共子には悪いけどさ。どうせさ、歳でぼけちまってたんだよ」晴斗が共子の話を断ち切った。 「やめなさいよ、晴斗!」早希が叱る。  大学生たちの言い争いが続く中、西村はサングラス越しにじっと晴斗の表情を見つめていた。ヤクザという職業柄、命乞いをする者や、金払いを渋る者たちは嫌というほど見てきた。共通点は誰もが皆、嘘つきだということだ。嘘をつく者は、お決まりのように焦り、汗をかき、饒舌になる。残念ながら晴斗には、すべてが当てはまっていた。 「にいちゃん。態度がおかしいな、何を隠している」と告げる西村に皆が注目した。 「何かを隠す?」大が顔をしかめる。 「おまえ。殺された奴らと同じだ。痣が、どこかにあるな」西村が見つめている晴斗に、皆が目を向けた。「そう、なの?」心配そうに早希が見つめる。 「ば、馬鹿じゃねぇの。ね、ねぇよ。痣なんか。あるわけねぇじゃん! サングラスのあんたもさ、何を根拠に勝手に決めつけてんすか?」と西村に異議を唱えた。 「根拠? おまえのその態度だよ」西村は懐に手を入れ、銃に手をかける。 「なんだよ、撃つってのかよ。痣なんか、知らねぇって言ってるだろ! 何で俺が殺されなきゃなんねぇんだよ!」晴斗が怒鳴った。 「晴斗、落ち着いて」と共子が宥める。 「おまえ、あるんだな。痣が」大は哀れんだ表情で晴斗を見た。 「ちげぇよ! ないって言ってるだろ!」 「わかったから、まずは座ろう。な、晴斗」両手を掲げ、大が晴斗を説得しようとしたところで、西村への態度に腹を据えかねた了が、「違うって何がだよ。西村さんの言うことが違うって言い張るなら、おまえ脱げよ、ここで!」と晴斗に詰め寄り、混乱に油を注ぐ。 「なんで俺が脱がなきゃなんないんだよ! ふざけんなよ!」晴斗は喚き散らしながら、外へと飛び出して行った。 「待て、晴斗!」晴斗の後を追いかけようと、立ち上がった大の肩を佐々木が掴んだ。 「いいよ、向う先は車だな。どうせ、鍵はあいつが持ってんだろ」と佐々木はニヤけた顔で言う。 「あ、そうだ、そうです。あいつが鍵を持ってたはず。だったよな、早希?」 「うん、確か」 「くそ、晴斗の奴。一人でここから逃げる気か。早く止めないと」  佐々木は掴んだ手を下ろすと、「じゃ、心配いらねえよ。なぁ?」と了を向いた。「あ、そうっすね」と了が同調する。ヤクザたちの落ち着き払った態度に、大、早希、共子の三人は釈然としない表情で互いの顔を見た。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※  駐車場に来た晴斗は、慌ただしくワゴンに駆けこむ。痣……、呪い……、そんな非現実的なことが現代で起きるわけがない。メディアがでっち上げたまやかしだ。でも、和真さん、みさえの死は説明が付かない。そして、狂った老人の自殺。震えが止まらない手で、なんとか車の鍵を取り出すと、鍵穴へ挿し込んだ。エンジンを掛けようと、キーを回す。エンジンは掛からず、車体からは空回りする音しか聞こえてこない。 「ざけんな、何でだよ、何でかかんねぇんだ。掛かれ、掛かれよ!」  車を照らすのはログハウスから漏れる僅かな光と空からの月明かり。キュルキュルと車の空回りする音が空しく響く。晴斗は辺りを警戒するも、フロントガラスからは闇しか見えない。その時、フロントガラスに白い手が現れたかと思うと、音を立ててガラスを叩いた。 「ひっ」晴斗は目を閉じて声を上げる。  信じてはいない、と心では思ってみても、想像は悪い方、悪い方へと働いてしまう。目の前にはきっと殺人鬼がいる。鍵は閉めただろうか? 記憶が定かではない。けれど、恐怖が勝り、目を開けて確認することもできない。 「殺さないで、殺さないで。ごめんなさい、ごめんなさい」晴斗は繰り返して助けを乞うことが精一杯だった。殺人鬼は嬲り殺すタイプなのだろうか……。手が現れて以来、時間は経てど、何も起こらない。晴斗は意を決し、閉じた目を開けていく。眩しい。光が目に差し込んでくる。フロントガラスの向こうには、懐中電灯を手にしたヤクザと大学生たちが、車を囲んでいた。佐々木はポケットから得意げな顔つきをして、車の部品らしき物を取り出すと、晴斗へ見せつける。 「簡単に逃げられると思うなよ」  晴斗はまだ状況を理解しきれず、口を開けたままだ。森から、ガサッと音が聞こえた。「殺さないで!」と晴斗は身を丸める。佐々木も懐中電灯を音がした森へと向けた。木の隙間から飛び出てきたのは一匹の狸だった。 「さっきの声の正体はあいつみたいっすね」了が西村に言う。  それを聞き、「狸の、鳴き声?」と早希が小首を傾げた。  西村は大学生たちを見ると、車に背を向け、親指で晴斗を指差す。 「とりあえず、あいつは縛っとくぞ。いいな」  車の中では晴斗が頭を抱え、殺さないで、殺さないで……、と囁きながら縮み上がっている。晴斗の状態からも、西村の迫力からも、大は、「はい」と弱々しく答えるしかなかった。
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